日野町の正法寺(しょうぼうじ)(藤寺)の概要が知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡日野町大字鎌掛にある臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は十一面観音。山号は後光山、別名藤寺ともいわれ、境内にみごとな藤の老樹がある。寺伝に行基開基とある。1692年(元禄5)通玄普存禅師が現在地にうつす。大日堂は12世紀の終わりころ、大日山に草創されたものを後世この境内にうつす。また石造宝塔は正和4年(1315)の刻銘があり重要文化財に指定。(森山宣昭)」とあり...
View Article日野町の正明寺(しょうみょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡日野町大字松尾にある黄檗宗の寺で、山号は法輪山。『寺記』によれば、聖徳太子の開基、もとは境内に子院93をかぞえる天台寺院。織田信長のとき、寺領を没収され衰退した。のち永源寺の一絲と黄檗の竜湲両禅師が寺の再興に尽力した。本堂(1645年)は清凉殿の古材であるとつたえられ、木造千手観音および脇侍の不動明王、毘沙門天立像(室町)は重要文化財に、木造大日如来坐像...
View Article長浜市の深坂地蔵(ふかさかじぞう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡西浅井町沓掛(くつかけ)、塩津港から敦賀北陸に通じる旧道深坂峠地先にある小堂。地名のとおり深坂地蔵、別名堀止め地蔵、塩かけ地蔵とも称される。石の半身像で伝説によれば、平清盛が日本海との交通に琵琶湖を利用する運河計画をたて、越前国守平重盛に命じほりはじめたところ、岩石多く、大石をわると血がながれ、裏面に仏像があらわれたのでほることを中止し、地蔵をまつったと...
View Article大津市の法明院(ほうみょういん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市園城寺町にある。天台寺門宗。1653年(承応2)の創建で、天台密教の修行道場としてひらかれた。寺伝によれば、霊元法皇が、父後水尾上皇造営の修学院離宮からこの地へしばしばおとずれ、その風光の良さに感動し、離宮から法明院の庭園に錦?楓、光輝梅を移植したという。1724年(享保9)義瑞によって中興。明治初年、フェノロサが来日したさい、法明院の時雨亭に仮住。桜井...
View Article高島市の宝幢院(ほうどういん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡マキノ町大字海津字芝原にあり、真言宗智山派摩尼山宝幢院薬師寺と称し、大崎寺、最勝寺、宗正寺、権水寺、酒波寺など7カ寺の末寺をもっている。本尊は薬師如来である。寺伝では730年(天平2)に泰澄が開基したといわれる。1442年(嘉吉2)に紀州根来寺の僧真遍が再興し真言宗にあらため、それまで仏地院と称していたのを1602年(慶長7)より宝幢院と改称した。157...
View Article大津市の立木観音(たちきかんのん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市石山南郷町にある。厄除け観音。815年(弘仁6)、嵯峨天皇の代に弘法大師が諸国行脚の途次、瀬田川の対岸に光かがやく霊木をみつけたが流れが急で近づけないでいると、白い雄鹿があらわれ、大師をその背にのせて急流を飛んでわたった。そして霊木の前で鹿は観音に姿をかえたという。大師はそのときちょうど42歳の厄年であったため、この不思議な体験を観音の導きであるとして、...
View Article長浜市の洞寿院(とうじゅいん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡余呉町菅並(すがなみ)。古代から北陸につうじる街道丹生川の上流菅並集落より支流にそい、湖北の曹洞宗を代表する塩谷山洞寿院護国禅寺がある。開山は如仲天誾禅師。出生は信州上田城主海野氏で、越前簾尾竜沢寺、西浅井町祝山(ほりやま)の洞春庵をひらき、3年後の1406年(応永13)に洞寿院をひらいた。塩谷山号は、この地が中国五台山に似た景勝地で、谷水に塩分があり修...
View Article長浜市の知善院(ちぜんいん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「長浜市元浜町にあり、宝生山勝安寺という。天台真盛宗で、大津市坂本西教寺の末寺である。1574年(天正2)木下秀吉が長浜に城をきずくにあたり、鬼門の守護として、小谷城の遺構であったとつたえられる建物を移築して本堂とした。本尊阿弥陀如来ならびに日光月光の三尊はもと播州書写山円教寺にあったもので、性空の作とつたえる。観音堂の十一面観音座像は運慶の作といわれ、重要文化...
View Article長浜市の千手院(せんじゅいん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡びわ町川道に所在する真言宗豊山派の寺。山号来迎山。本尊は平安時代の木造千手観音立像で秘仏。33年ごとに盛大な開帳の仏事をもつ慣例が現在もまもられている。寺伝によると、この仏像は、川道の仏(ほとけ)ヶ淵(ふち)から漁師の網にかかってあげられ、この地の天台宗泰平寺の本尊であったもの。千手院は泰平寺12坊の一つでもと青竜寺と称していた。(中略)かつては足利尊...
View Article大津市の新知恩院(しんちおんいん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市伊香立下在地町にある浄土宗寺院。1467年(応仁元)の応仁の乱によって、京都知恩院も兵火にかかるが、ときの住持周誉珠琳(しゅうよしゅりん)がいちはやく法然上人の真影をはじめ寺宝類をもちだし、伊香立上在地の金蓮寺に避難させたという。このとき新しく堂舎が建立されたがそれが現在の新知恩院である。知恩院の山号を寺号、寺号を山号として大谷山華頂寺新知恩院と名づけら...
View Article米原市の成菩提院(しょうぼだいいん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡山東町柏原にある天台宗の寺院で、寂照山円乗寺という。811年(弘仁2)最澄が東国布教の途中この地に談議所を建立したのが寺の起源といわれる。本尊は十一面観音。その後寺はしだいに整備されてついに延暦寺の別院に昇格した。1326年(嘉暦元)越前平泉寺の衆徒が大挙乱入、堂塔をやいたたため寺運は一時おとろえた。1395年(応永2)足利義満の心願により比叡山西塔より...
View Article近江八幡市の浄厳院(じょうごんいん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡安土町慈恩寺に所在する浄土宗寺院で安土山慈恩寺と号する。『浄厳院文書』や『近江輿地志略』によれば、地名の慈恩寺のとおりもとは慈恩寺威徳院といい、佐々木氏はこの寺を代々菩提所とし境内には満綱、持綱、時綱の塚があるという。しかし数度にわたる兵火によって寺はやけ楼門1基をのこすのみとなる。信長は安土に築城すると栗太郡金勝の浄厳坊の住僧応誉明感上人をまねき慈恩寺...
View Article長浜市の赤後寺観音堂(しゃくごうじかんのんどう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡高月町唐川(からかわ)、伊香平野の中央に独立する湧出(ゆるぎ)山の南麓に、長照寺、日吉神社とならび建立。本尊は千手観音立像と菩薩立像で、両像とも平安期の作で重要文化財指定。通称コロリ観音とも称され、伊香郡三十三所観音第十五番札所である。近畿、北陸地方など広く信仰されている。片桐且元の賤ヶ岳合戦勝利奉献状、彦根藩家老木俣土佐守永代詞納状と位牌、膳所藩医林家...
View Article日野町の信楽院(しぎょういん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡日野町村井にある浄土宗鎮西派の寺で仏智山信楽院と号す。本尊は阿弥陀如来、蒲生智閑(信楽院殿)の開基。1584年(天正12)蒲生氏郷が伊勢に転封し、1590年(天正18)さらに会津にうつる。そのため信楽院は零落したが日野在の蒲生氏の旧臣が再建をねがい会津の秀行に懇請してゆるされ定秀院の地に建立した。現在の本堂は1737年(元文2)の改築で、絵天井は高田法眼...
View Article長浜市の五村別院(ごむらべついん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡虎姫町五村にあり、本尊阿弥陀如来。ただしくは真宗大谷派別格院五村御坊。江戸時代には東本願寺と称していた。11代顕如(けんにょ)はこの地に本願寺建立を考えていたがはたさず急逝(きゅうせい)、12代を教如(きょうにょ)がついだ。教如はわずか1年で本願寺住職を隠居、その後諸国を布教してあるいた。湖北の真宗門徒は不遇の教如を五村にむかえ一寺の建立を懇請した。教...
View Article長浜市の孤蓬庵(こほうあん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡浅井町上野(うわの)に所在する臨済宗大徳寺派の寺。1653年(承応2)大徳寺の江雲宗竜を開山とし、2代宗慶が小堀遠州および小堀家家臣の菩提道場として今の墓地の北に建立、3代政房が1709年(宝永6)現在地にうつした。ところが、1788年(天明8)小堀家改易により寺も悲運にあい、明治維新後は無住のまま庫裡、禅堂も荒廃、わずかにのこっていた本堂も、伊勢湾台...
View Article守山市の金森御坊(かねがもりごぼう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「守山市金森町。正式名称は善立寺(ぜんりゅうじ)。懸所(かけしょ)ともよばれる。真宗大谷派。1431年(永享3)、在如・蓮如の2代にわたり本願寺の興隆に腐心した道西(どうさい)(善従(ぜんじゅう))が、道場をひらいたのが始まり。道西坊ともいわれ、野洲・栗太両郡における本願寺教団の重要な拠点であった。道西は、1461年(寛正2)3月に蓮如がはじめて書いた御文を授与...
View Article大津市の葛川明王院(かつらがわみょうおういん)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「比良山の裏側にあたる大津市葛川坊村町にある天台の寺院。正式には明王院、または息障明王院ともよぶ。859年(貞観元)に延暦寺の僧相応(831~918)によってひらかれた寺院である。相応は比叡山無動寺谷で修行していたが、さらに幽深の地をもとめようと比良山中を探索し、裏比良の峻崖にかかる飛瀑にその聖地をみつけた。ある日地主神思古淵明神(しこぶちみょうじん)の託宣によ...
View Article大津市の西教寺(さいきょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「西教寺は比叡山山麓の大津市坂本本町北西部の斜面に立地し、全国に400有余の末寺を有する天台真盛(しんせい)宗総本山である。縁起によれば聖徳太子が、618年(推古天皇26)に恩師にあたる高麗(こうらい)僧慧慈(えじ)・恵聰(えそう)のために寺院を創建したことにはじまるという。その後荒廃していたが、平安時代に比叡山の慈恵大師良源、つづいて恵心僧都源信がこの地で草庵...
View Article大津市にあった高山寺(こうさんじ)(向山寺)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市音羽台にある。現在は高山寺墓地となり、上・下の2寺が管理している。1406年(応永13)、後小松(ごこまつ)天皇が法華(ほっけ)宗の一寺を建立し、月照山向山寺と名づけたことにはじまるとつたえるが定かでない。江戸中期にはすでに寺はなく、大津町中の墓地となっていた。江戸時代には一部が近松別院(顕証寺)の持ち地となり、現在も山上に別院、2世蓮淳(れんじゅん)の...
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