『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「守山市金森町。正式名称は善立寺(ぜんりゅうじ)。懸所(かけしょ)ともよばれる。真宗大谷派。1431年(永享3)、在如・蓮如の2代にわたり本願寺の興隆に腐心した道西(どうさい)(善従(ぜんじゅう))が、道場をひらいたのが始まり。道西坊ともいわれ、野洲・栗太両郡における本願寺教団の重要な拠点であった。道西は、1461年(寛正2)3月に蓮如がはじめて書いた御文を授与された人物であり、1465年(寛正6)延暦寺による大谷本願寺破却のさいには、蓮如をまねいて3カ年間起居をともにし、1488年(長享2)に死没したときには、親鸞と存如の連座画像が蓮如から下付されている。のち江戸初頭には同寺から恵空(えくう)が出、東本願寺の宗学の講師として、教学の研究に足跡をのこした。(中略)御坊の石造宝塔は、鎌倉時代の作で重要文化財。(後略)(大谷安彦)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.162,
参考資料:
2 湖国百選 社寺 滋賀総合研究所∥編集 滋賀県 1993年 S-1600- 93 p.26,
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