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大津市の西教寺(さいきょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「西教寺は比叡山山麓の大津市坂本本町北西部の斜面に立地し、全国に400有余の末寺を有する天台真盛(しんせい)宗総本山である。縁起によれば聖徳太子が、618年(推古天皇26)に恩師にあたる高麗(こうらい)僧慧慈(えじ)・恵聰(えそう)のために寺院を創建したことにはじまるという。その後荒廃していたが、平安時代に比叡山の慈恵大師良源、つづいて恵心僧都源信がこの地で草庵をむすび、念仏行門の道場とした。1325年(正中2)には慈威(じい)和尚恵鎮(えちん)が入寺して天台の大乗円頓戒(えんどんかい)の式場とし、一時京都法勝寺(ほっしょうじ)(のち廃寺、寺基を西教寺に兼併)の末寺になった。その後1486年(文明18)に比叡山で20有余年修行を積んだ黒衣の僧真盛(1443~95)が入寺し、戒称二門の道場とくに不断念仏道場として再興した。元亀の山門焼打ちで一山焼失したが、明智光秀が建造物の再建、丹波長秀らが所領の寄進をするなど積極的に西教寺復興の手をさしのべた。さらに豊臣秀吉の家臣大谷刑部母、山中長俊妻らが檀越(だんおつ)となって、秀吉の伏見桃山城の旧殿を1598年(慶長3)に移築し客殿とした。江戸時代には入母屋(いりもや)造の豪壮な本堂を再建、そのほか境内には鐘楼、書院、大本坊、祖殿、開山堂、祖廟、収蔵庫、塔頭(たっちゅう)などの堂舎がたちならんでいる。また、明智光秀一族の墓やめずらしい桃山期の石造二十五菩薩群像もある。(後略)(木村至宏)」とあります。なお、西教寺の現在の住所表記は大津市坂本五丁目になっています。 参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.309, 参考資料: 2 近江・若狭 小学館 1991年 S-1800- 91, 参考資料: 3 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95, 参考資料: 4 近江路の古寺を歩く 大石真人∥著 山と渓谷社 1997年 S-1800- 97, 参考資料: 5 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23, 参考資料: 6 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.196-198, 参考資料: 7 古寺巡礼近江 5 西教寺 邦光史郎∥著 古市義秀∥著 淡交社 1980年 S-1800-5, 参考資料: 8 日本名刹大事典 圭室文雄∥編 雄山閣出版 1992年 R-1859-タ, 参考資料: 9 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ, 参考資料: 10 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ, 参考資料: 11 湖国百選 社寺 滋賀総合研究所∥編集 滋賀県 1993年 S-1600- 93 p.20,

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