『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡虎姫町五村にあり、本尊阿弥陀如来。ただしくは真宗大谷派別格院五村御坊。江戸時代には東本願寺と称していた。11代顕如(けんにょ)はこの地に本願寺建立を考えていたがはたさず急逝(きゅうせい)、12代を教如(きょうにょ)がついだ。教如はわずか1年で本願寺住職を隠居、その後諸国を布教してあるいた。湖北の真宗門徒は不遇の教如を五村にむかえ一寺の建立を懇請した。教如は代官日下部善介(くさかべぜんすけ)に申請、善介は五村の豪士大村刑部(おおむらぎょうぶ)の管理していた無住の禅宗寺院十蓮寺(じゅれんじ)を教如にあたえた(1597年)。1602年(慶長7)徳川家康は本願寺を2分し、教如に東を名のらせ京都烏丸六条の地に本願寺建立をゆるした。教如はこれにより京都にのぼったが五村の寺院は本(もとの)本願寺として別院とした。現在は別格寺院。また現在の本堂は1790年(寛政2)に建立。(籔田藤太郎)」とあります。なお、東浅井郡虎姫町五村は現在長浜市五村になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.302,
参考資料:
2 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.190,
参考資料:
3 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95,
参考資料:
4 湖国百選 社寺 滋賀総合研究所∥編集 滋賀県 1993年 S-1600- 93 p.91,
参考資料:
5 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ,
参考資料:
6 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ,
↧