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旧安土町内野(現、近江八幡市)の八幡(はちまん)神社の内野(うちの)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二日夜」で、概要は「応長元年(一三一一)頃より始まったとされるが、詳細は不明。神輿渡御に次いで、鐘・太鼓十二個の合奏が行われ、宵宮祭には大箭の献火がなされる。長さ四メートルの大松明三本は、まわり一五十センチの葭で作ったもので、一度に火を付けて献火される。」とあります。

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旧八日市市(現、東近江市)の阿賀(あが)神社参道第二鳥居横神饌田のお田植え大祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月第三日曜日午後一時」で、概要は「紀元二千六百年を記念して、以後毎年神饌田(約二十五アール)で行われる五穀豊饒を祈る祭り。敬神講社の各支部持ち回りで、奉耕手(小・中学生約七十名)の奉仕にによって昔ながらのすげ笠に手甲脚絆姿で、お田植え歌とお田植え踊りに合わせて苗を植える。」とあります。なお、阿賀神社は通称太郎坊宮といいます。

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旧八日市市上平木町(現、東近江市)の日吉(ひよし)神社の例祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十三日に近い金・土・日曜日」で、概要は「中日の午後八時頃から太鼓を持参し、俚謠を歌いながら本社へ。祭儀終了後、神火を大松明に付す。済美会(若衆・中老)は太鼓を先頭にして通過(御託宣の神事)。三日めの朝、町内の長老と区長宅へ二個の面を奉持して訪問。若衆が鉦・太鼓を打ちならしながら供奉。なお、それぞれの日の終わりには、若中老九名が拝殿前に一列にならび、刀を抜き...

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旧八日市市建部日吉町(現、東近江市)の日吉(ひよし)神社の建部(たてべ)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月第二日曜日」で、概要は「当神社近くの吉住池を水源地とする近隣氏子の湧水信仰が始まりといわれている。その後、建部郷十七か村の氏子が神輿七基を舁ぎ、こぞって祭礼に参加するようになった。往時は守護佐々木氏が検使を、また江戸時代には井伊家から祭礼奉行が派遣され、警護にあたるなどの変遷を経て、明治二年には古式ゆかしき王朝絵巻を思わせる祭礼様式となった。」とあります。

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旧八日市市(現、東近江市)の大森(おおもり)神社・八坂(やさか)神社の最上(もがみ)踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「大森町四月三・四日、尻無町四月第一土・日曜日」で、概要は「最上踊りは江戸時代、当地に最上藩の陣屋のあったことからの名称であり、以前はヒメゴ踊りといっていた。三日、宵宮の神輿わたりのあと、最上踊りを奉納。踊りのあと、参拝者一同が、「サンヨレ、ヨレ」と歌いつつ、三回拝礼、これをイサメという。なお、最上踊りは、大森神社と密接に結びついて伝承されている。」とあります。

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旧八日市市今堀町(現、東近江市)の日吉(ひよし)神社の頭差(とうざ)し・いのりの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十三日」で、概要は「頭差しといって、翌年の社守庄使を選ぶ行事。「来年も、とうよ」「今年も、とうよ」と全員が榊の枝二本を持って、唱えながら太鼓に合わせて踊る。その後に「いのり」の神事が執り行われる。境内社の大将軍社(東大将軍社)において、ささげ豆を炊いて供え、五穀豊饒が祈念される。」とあります。なお、この神社は通称今堀日吉神社といいます。

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近江八幡市宇津呂町の公礼八幡(くれはちまん)神社の足洗い祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「旧暦六月一日午前五時から昼まで」で、概要は「始まりは詳らかではないですが、孝徳天皇の代に遣隋使となった吉士長丹が帰国後、宇津呂荘を賜わり、呉姫漢姫を祀ってから後の事ではないかと思われる。境内に神池があり、その池で手足を洗えば、その冬には凍傷にならないとして、二月某日に行われていたが、現在では旧暦六月一日に行われている。」とあります。

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栗東市上砥山の日吉(ひよし)神社境内の太鼓踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月第一土曜日」で、概要は「雨乞いの返礼踊りで、古くは旧八月十五日仲秋の名月の夜に行われた。青年たちが中心となり、役割は、太鼓打ち六人・新発意(しんぽち)二人・側踊り(かおどり)(花踊り)中踊り(なかおどり)多数からなり、他に年配の音頭取り数人が加わる。踊りは神社拝殿前の広場に進むと、中央にたき火をし、太鼓打ちは東西に、側踊りと中踊りは南北にわかれて向かい合い、...

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近江八幡市の伊崎寺(いさきじ)の棹とびの概要を知りたい。

『滋賀の百祭...

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旧高島町勝野(現、高島市)の日吉(ひよし)神社・氏子周辺の大溝(おおみぞ)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月三日から四日まで」で、概要は「元和五年(一六一九)八月、分部光信が大溝移封の際、前任地伊勢国上野の曳山祭りを移したと伝える。五基の曳山の宵宮の元火受神事に始まり、本祭には氏子町内を巡行する。大溝は商工業の町として栄え、町人の経済的実力を示すものであった。昭和五十八年三月に滋賀県無形民俗文化財となり、大溝祭保存会が結成される。」とあります。

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旧安曇川町上小川(現、高島市)の日吉(ひよし)神社のえやおう神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十月十日」で、概要は「助九郎湯ともいう。慶長年間に小川村の小川助九郎が大坂の陣に出陣し、功を成して後、本社に刀や装束を寄進し、お湯を奉納したことにちなむという。神事は前方に的を立て、その前で新藁を燃やし、刀と装束を背負った男の子二人が「えやおう」の掛け声とともに、拝殿と火の間を往復する。また集まった氏子には「牛の舌」と呼ばれる餅と豆が配られる。」とあります。

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旧安曇川町青柳(現、高島市)の日吉(ひよし)神社・太田神社・与呂伎神社(境外社)の青柳祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月一日午前十一時」で、概要は「青柳の氏神祭りで、祭りの主体は流鏑馬である。役馬乗りの青年は、半月間の社務所での自活生活と、練習に練習を重ね、手ばなしや扇の手弓の手の古式を行う。馬場の両側に桟敷を作り客をもてなし、また神輿渡御など日没まで賑わう。」とあります。

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旧安曇川町青柳(現、高島市)の八幡(はちまん)神社の厄神詣(やくじんもうで)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月十八日から十九日まで」で、概要は「人生の大きな節目を迎えた者が、それを無事乗り越えようと、いかなる天候であろうと参拝し、厄除けの祓を受け、日頃の道徳に感謝の意を捧げる。なかでも幾組かの厄年仲間が、大きな鏡餅をお供えする慣習が続いている。」とあります。

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旧余呉町上丹生(現、長浜市)の丹生(にゅう)神社の茶碗(ちゃわん)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月三日(三年に一度)」で、概要は「三年ごとの例祭。茶碗で組んだ三台の山車を中心に稚児による神事の舞い、若者の花笠踊り、神輿の渡御などが奉献される。山車は茶碗を中心とする各種陶器で秘術を古くから伝承して組み立てられたもので、そのありさまは圧巻である。なお祭祀の際、丹生山の植土を丹生川の清水でとき、土印を額に押印する神事も行われる。」とあります。

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旧余呉町八戸(現、長浜市)の八幡(やはた)神社・薬師堂の御塔(おとう)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月八日」で、概要は「六日、米かし。昔は井戸で洗ったが、現在では水道を使う。七日午前一時から餅つき。オカワに詰めた六升どりのお鏡をつくる。この夜は寝ずの番である。八日朝から薬師堂にて、大般若経転読の後、上塔組から受塔組へトウワタシが行われる。なお当地では、この行事をおこないと呼ばずに御塔(おとう)と呼んでいる。」とあります。

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旧余呉町椿坂(現、長浜市)の八幡(はちまん)神社の神事(じんじ)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月五日」で、概要は「二月二日、米かし。四日、餅つき。五日、八幡神社にて北座・南座がよって、福井県敦賀市の浄土宗の僧を招いて、大般若経の転読を行う。そのあと、三献の盃を行うが、中途におつゆが出る。このおつゆは、「汁煮きばばあ」といわれる女性が担当する。終わると、蘇民将来と大般若経の札をもらって帰る。なお椿坂では、おこないとは呼ばずに神事(じんじ)という。」とあり...

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旧余呉町上丹生(現、長浜市)の丹生(にゆう)神社・当屋のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月七日」で、概要は「上丹生のおこないは元日の籤改めより、八日の鏡開きまで続く。七日は餅搗きと頭上げの日である。午前〇時より蒸し始め、あがると拍子木・鉦・太鼓・手拍子でにぎやかに搗く。まず大頭の餅といってオカワに餅を入れ、周囲を埋めていく。最後には杵はだけといって棒杵についた餅を子供に分ける。お供えは、清めの米糠まきを先頭に、御幣の立てられた大頭の餅を輿に載せ、...

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旧木之本町杉野上・中・向(現、長浜市)のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月八日(中)、十三日(上)、十五日(向)」で、概要は「おこないは旧来の地区割りで、杉野川の上流から三地区に分けて、それぞれ行われる。本日には未明、お堂にお鏡、お花などの供物を運び、供え、松明ふりをし、シュウシとよばれる儀式、およびトウワタシを行う。その前日は餅つきがあり、このパターンは三地区ともに同じである。ただし、次のトウヤの象徴であるユリワを編む日は、若干...

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旧木之本町金居原(現、長浜市)の八幡(はちまん)神社の太鼓踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十三日午後(三年に一度)」で、概要は「毎年行われる、きょうおう古神事のあとに、三年に一度、奉納される(中略)。踊り手は四名、帯台に付けた二メートル余の竹を背負い、胸に太鼓を抱く。額には豆しぼりの鉢巻、美しい花模様のカルサンをはき、手甲・わらじである。鉦たたきは、女ものの浴衣をはしょって、紺パッチである。これに手ぬぐいのかぶりものをした女性、和服の男性の側踊り...

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旧木之本町金居原(現、長浜市)の八幡(はちまん)神社・氏子周辺のきょおう古神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十三日」で、概要は「まず、きょおう神事に必要な「ヘイザオ」と称する大御幣、「キヨナダキ」と称する神饌を調製する。そして童男一人は「ヘイザオ」に付き添い、童女二人は「キヨナダキ」に付き添い、一の鳥居からは「キヨナダキ」をそれぞれ童女の頭上にかざしつつ社参して、献饌する古神事である。」とあります。

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