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旧新旭町(現、高島市)の佐々木(ささき)神社の竹馬祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月一日午前十時から午後三時まで」で、概要は「当地の領主佐々木高信の祖神を祀った本社は「竹馬の神事」を行っている。氏子の児童が馬形を竿頭に結んだものにまたがり、社殿前で競馬をまねて奔走する。昔、佐々木越中守が参観したと言われているが、その起源・由緒は明らかでない。なおこの行事は大荒比古神社の七川祭りの流鏑馬をまねたものとされている。」とあります。

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旧今津町(現、高島市)の日置(ひおき)神社・津野(つの)神社の川上(かわかみ)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十八日午後一時から五時まで」で、概要は「山手の神事として斎行され、氏子等が山に立ち入って年中の薪を苅り取り、炭を焼き出し、田地の肥草を苅り取る事の礼祭として奉仕する。川上荘二十二か村の総社で、当番村西組「みこし」、北組「おどり組」、川登り組「さんやれ」の順に祭礼が執り行われる。」とあります。

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旧志賀町(現、大津市)の天皇(てんのう)神社・木元(きもと)神社・氏子周辺のの和邇(わに)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月八日」で、概要は「和邇の六地区によって行われる。起源は不詳であるが、織田信長の比叡山焼討ち以降といわれている。前日夕刻、神輿の宵宮渡りが行われ、当日は早朝から木元神社神輿の卯の刻渡りがなされる。続いて天皇神社での御供献上式、午後からは本祭のハイライトである御旅所への神輿渡御が行われる。御旅所での神事が終わると神輿の還御となり、祭典は終了する。」とあります。

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旧米原町(現、米原市)の湯谷(ゆたに)神社・氏子周辺の曳山祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月八日から十二日まで」で、概要は「起源不詳。毎年、湯谷神社の例祭日を中心に行われている。北・中・南の各町から一基ずつ山車を出し、境内で奉納後、各町を巡行し、庶民的で優美な子供狂言を繰り広げる。八日の御幣渡しに始まり、九日の宵宮、十日役者渡りと奉納、十一日後宴、十二日の御幣返しといった次第で執り行われる。」とあります。

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長浜市の長浜八幡宮(ながはまはちまんぐう)・御旅所の曳山祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十三日午前七時から十七日午前八時まで」で、概要は「天正年間、長浜城主羽柴秀吉は男子誕生を喜び城下町人に砂金を配った。敬神厚き町民がこれを基に十二基の曳山を建造したことに始まるという。特に山車上で行われる子供歌舞伎(曳山狂言)は有名である。また見返しのゴブラン織りもすばらしいが、そのほかに裸参り・長刀渡り・尻まくりなどの神事が行われる。」とあります。

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旧余呉町下丹生(現、長浜市)の丹生(にゅう)神社・搗当家のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十五日」で、概要は「下丹生では、従来十三日から十五日であった大頭を平成元年度より一日に短縮した。当日、餅米を朝六時ぐらいから蒸し始め、あがると棒づきを行う。神社・阿弥陀堂・搗当家・オカワに入った大頭餅・最後にノウタリといって皆に分ける餅をつくる。膳の席のあと、大頭あげといって、輿に大鏡を載せ、村内を一巡したのち、神社に供える。頭渡しが済むと、再び大頭餅を下げ...

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旧近江町(現、米原市)の熊野(くまの)神社の公家奴振(くげやっこぶ)りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月一日」で、概要は「この日、熊野神社の祭礼に、稚児行列、そして奴振りが奉納される。優雅な振りの様から、公家奴振りと称されるが、これは京都の公家が福田寺へ嫁した際の行列を伝えているという。十一月十五日の報恩講にも、福田寺で奴振りがなされる。なお公家奴振りは、長浜曳山祭り(本日は四月十五日)の際、猩々丸(舟町組)の出番の折、奴振りをする。」とあります。

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旧伊吹町春照(現、米原市)の八幡(はちまん)神社の太鼓踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月二十三日(四年に一度)」で、概要は「踊りには太鼓打ち・鉦打ち・音頭とり・笛吹き・瓢振り・側などの分担があり、境内に達するまでは、山伏、法師そして奴振りがつく。太鼓打ちは、花笠・手甲・脚半にカルサン・わらじばきという、坂田郡の雨乞い太鼓踊りに共通してみられる装束である。伝承によれば、寛文十一年(一六七一)に雨乞い踊りをしたのが、その始まりという。」とあります。

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旧山東町朝日(現、米原市)の八幡(はちまん)神社の豊年(ほうねん)太鼓踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「秋(月日は未定)」で、概要は「踊りの起源は諸説あり、古くは白雉(六五〇~五四)年間に、また大原荘の地頭であった大原氏の出陣を模したもの、また豊臣秀吉が賤ケ岳の戦勝に陣鉦や陣太鼓を打ち鳴らしたところ大雨となったことから以後踊るようになったともいわれている。岡神神社社前で間田村を先頭に大原郷雨乞い総踊りとして伝えられてきたが、現在では朝日・井之口・春照等に伝承される...

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旧湖北町賀(現、長浜市)の春日(かすが)神社・花の頭家のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月二十日」で、概要は「おこない。特色は、献餅に奉仕する花の頭(長女出産の家)と、当日の座組みを担当して翌年まで神明奉仕にあたる行組(おこないぐ)みの二つに分かれて祭りが行われる点にある。当日は早朝から餅搗き。午前に献餅、祭典、座組みをする。夕刻花の頭家によって撤餅。さらに頭家にて宵宮、明朝鏡割り、蹴上げとなる。」とあります。

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旧米原町枝折地区(現、米原市)の流星まつりの概要を知りたい。

『滋賀の百祭...

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旧安曇川町青柳(現、高島市)の八幡(はちまん)神社の放生会(ほうじょうえ)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月十五日夜七時三十分から八時三十分頃まで」で、概要は「新穀の豊かな稔りを祈念する祭り。往古より氏子全戸が参拝し、奉納相撲によって神の加護に感謝する習慣が続いている。近年では子供の健全育成のため、子供会行事と結びついて賑わう。」とあります。

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旧西浅井町(現、長浜市)の下塩津(しもしおつ)神社・氏子周辺の花笠(はながさ)踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月十六日」で、概要は「ちゃんちゃこ踊りともいう。太鼓打ち・鉦叩き・棒振り各二名が中踊り、花笠が側踊りを行う。大門で花笠踊り、下塩津神社で五番、神明社で三番、中馬場で三番、お旅所で三番、再び神社で三番と夜まで踊り続ける。道行には奴振りがつき、踊り場には奴の練込みがある。太鼓打ちは背に短冊と丸帯を負い、花笠は花をつけた笠をかぶり、縁から五色の布を長くたらすなど、は...

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旧高月町西野(現、長浜市)の日枝(ひえ)神社の野神(のがみ)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月十六日」で、概要は「頭家二組のうち昨年・本年・来年・再来年の四軒八人と観音さんの「おこない」の頭家四軒合計十二人が、祭りの前日に各本年の頭家宅で、青竹に御幣を付け、夜明け前に野神さん(欅)の下に集まる。夜明けとともに三体の御幣を欅の梢に束ねて括り付け、御神酒を献じ、その場で直会をする。その後、日枝神社で野神祭奉告祭を執り行う。」とあります。

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彦根市小野町の八幡(はちまん)神社・氏子周辺の太鼓踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「不定期」で、概要は「起源は江戸時代の中期頃と推定されるが詳細不明。現在は古老を中心に伝統を受け継いでいる。道行き踊り・雨乞い踊り・豊年踊り・綾踊り・木きり子踊りの五種類があり、延々と踊り続ける。音頭があり、太鼓が入り、踊りが入る。踊りは「デン・ディコデン・デコデェー・デン・ディコデン」で始まる。」とあります。

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旧八日市市(現、東近江市)の河桁御河辺(かわけたみかべ)神社・氏子周辺の御河辺祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月第三日曜日」で、概要は「はだか祭りともいわれ、氏子六か町から選ばれた頭人が主体の祭りである。当家の庭先に、前日にオハケを立て氏神を要請。宵宮祭には裃で参列し、ミクジを取って参籠する。当日は浄衣を着用し、馬上にて若衆連を従え正午宮入り。一時に列を整え、氏子区域約八キロの渡御に出達。御輿・馬八頭の列となる。はだか祭りの名称は、若衆連の渡御の装束が、シャツ姿である...

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旧愛東町青山(現、東近江市)の日吉(ひよし)神社の法度(のっと)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月五日午前中」で、概要は「法度の行事は禰宜が主体である。前年の十二月一日から当日に至るまで、毎朝自宅において水行を行う。当日は天台宗の法印を中心にして、社守・禰宜の三名が祈?を行い、そののち明の方に向かって弓を射る。なお準備については前日に行うが、神社のその年の行事始めと重なっており、勧進釣縄綯と同時に進められる。」とあります。

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旧能登川町(現、東近江市)の伊庭(いば)・安楽寺(あんらくじ)氏子周辺の伊庭の坂下(さかくだ)し祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月二日から三日まで」で、概要は「伊庭の大浜神社・山麓の望湖神社・繖山(八王子山)山頂の繖峰山(さんぽうさん)神社の祭礼で、特に三基の神輿が繖山頂に引き上げられ、そして下ろされる神事が注目される。日吉大社の山王祭の神輿上げ神事にちなむとも伝えられる。神輿の坂下しはみもので、山頂から山麓まで五百メートル、標高差百七十メートルを一気に下る。途中、岩場を始め難所が多く...

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日野町中山の熊野(くまの)神社・野神山の芋くらべ祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月一日午後一時」で、概要は「一人の大男が富士山を作るために、サトイモの茎を天秤棒にして琵琶湖の土を運ぶ途中、中山の地でこれが折れて代りのサトイモを探したことが起源とされる。山若・山子と呼ばれる裃姿の青年が供物を奉った後、東西に分かれて丹精込めて育てたサトイモの茎の長さを競い、豊凶を占う。」とあります。

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日野町の日枝(ひえ)神社の南山王(さんのう)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月四日」で、沿革は「午前中より、氏子の各区から美しい造花で飾った幟を南山王社、すなわち日枝神社の境内にすえて、飲食を楽しむ行事である。美しい幟は、ホイノボリと呼ばれ、高さ八メートル余はある大きなもの。日野曳山調査報告書によれば、ホイとは、日野で細く割った竹のことを呼ぶところから、造花をつける竹の枝のことをさしているのではないかという。」とあります。

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