『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月第二日曜日」で、概要は「当神社近くの吉住池を水源地とする近隣氏子の湧水信仰が始まりといわれている。その後、建部郷十七か村の氏子が神輿七基を舁ぎ、こぞって祭礼に参加するようになった。往時は守護佐々木氏が検使を、また江戸時代には井伊家から祭礼奉行が派遣され、警護にあたるなどの変遷を経て、明治二年には古式ゆかしき王朝絵巻を思わせる祭礼様式となった。」とあります。
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