近江にあった箕浦(みのうら)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「坂田郡近江町新庄」、形式は「平城」です。城の歴史は「箕浦庄の地頭は、当初土肥氏であったが、後に今井氏となり、京極氏被官として居城した。藤原俊景の三男九郎俊綱を祖とする。応仁の乱は近江において京極、六角氏の争いとなり、今井高遠は京極持清に従って活躍し、応仁元年(一四六七)高野瀬城を攻略した。後に京極氏内訌に巻き込まれ、京極氏に替る浅井氏を嫌って六角氏麾下に入...
View Article近江にあった水口(みなくち)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「甲賀郡水口町」、別称は「岡山城」、創築年代は「天正十三年、寛永十年」、創建者は「中村一氏、小堀遠州」、形式は「山城、平城」です。城の歴史は「天正十三年(一五八五)中村一氏の築城、三雲城の遺材が用いられた。山頂に本丸、二の丸、三の丸が築かれ、麓の外郭は堀をめぐらし、家臣の屋敷があった。一氏の後、増田長盛、長束正家が城主となった。慶長五年(一六〇〇)正家は上杉...
View Article近江にあった朽木(くつき)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「高島郡朽木村市場」、創建者は「朽木頼綱」、形式は「平(丘)城」です。城の歴史は「近江守護、佐々木定綱の四男信綱は承久の変(一二二〇)の軍功により、朽木庄を与えられ、信綱は晩年ここに隠居し、現在の興聖寺を建て菩提寺とした。信綱の孫頼綱をもって朽木氏の祖とする。城は市場の野尻寄りの丘の上に構えられた。ここは朽木谷水系の合流点で、軍事、経済に好条件を備え、市場が...
View Article近江にあった河内(かわち)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「坂田郡山東町梓河内」、別称は「梓河内城」、形式は「山城」です。城の歴史は「京極氏十二代高清の後見人をめぐって黒田政光と京極政経が対立、家臣も二派に分かれて相争った時、争乱を避けるべく一族が隠棲の地として築城したとか、また、それ以前に築かれていたが、多年の間、秘密にされ、文書、記録に現われなかったともいわれる。このため、京極氏の隠れ城との異名がある。ともあれ...
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