『日本城郭大系 11』によりますと、所在地は「守山市勝部町」、創建者は「永原筑前守重頼」、形式は「館」です。城の歴史は「勝部城は、中山道守山宿の南手前の道に沿った勝部神社境内にあり、もとは栗太郡に属していた。城は明応-大永年間(一四九二-一五二八)にかけて、合戦の止むときのない時代に永原筑前守重頼が当城を築き、永原左馬允・同加賀守らが在城したということが『四目録』に記されているが、一方、「勝部神社燈籠寄進状」には、寄進人として建長四年(一二五二)の銘で、勝部刑部尉物部重文・勝部三郎・大友国光などの名がみえることから、重頼以前に勝部氏の居住があったことがわかる。しかし、燈籠は文化の頃はまだ存在しなかったことから、銘文の写しがあるだけのため、若干問題を残している。さらに、『近江輿地志略』には古城跡として勝部右近介在住と記されてもいる。そして、信長上落後は稲葉伊予守・佐久間信盛が在城したと伝えられている。」とあります。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.270-271,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 3 旧野洲・栗太郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1985年 5B-5200-3,
参考資料:
3 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,
参考資料:
4 野洲郡史 上 橋川正∥編 寺田精文堂 1972年 S-2120-1,
参考資料:
5 近江栗太郡志 巻3 栗太郡役所∥編 栗太郡役所 1926年 S-2120-3,
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