『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「坂田郡近江町新庄」、形式は「平城」です。城の歴史は「箕浦庄の地頭は、当初土肥氏であったが、後に今井氏となり、京極氏被官として居城した。藤原俊景の三男九郎俊綱を祖とする。応仁の乱は近江において京極、六角氏の争いとなり、今井高遠は京極持清に従って活躍し、応仁元年(一四六七)高野瀬城を攻略した。後に京極氏内訌に巻き込まれ、京極氏に替る浅井氏を嫌って六角氏麾下に入ったが、今井秀俊は浅井氏の陰謀にあって自殺に追いやられた。秀俊の遺子定清は六角氏に従い、犬上郡平田を与えられ、のちに箕浦城に戻った。天文二十年(一五五一)再度の浅井、六角氏の戦いに定清は両者の板挾みとなり、同二十一年から永禄三年(一五六〇)まで姿を消した。永禄四年、付近の太尾城に六角氏の兵がいることに懸念を抱き、佐和山城の磯野員昌とともに夜襲を計画したが、先陣争いがもとで、誤って員昌の家来の槍に落命した。その後今井氏一族は浅井氏に属して織田信長と戦っている。」とあります。なお、坂田郡近江町新庄は現在米原市新庄になっています。
参考資料: 1 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ p.229,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 6 旧坂田郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1989年 5B-5200-6,
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