『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「長浜市西上坂町」、創築年代は「室町時代」、創建者は「上坂氏」、形式は「平城(館)」です。城の歴史は「上坂城は、京極氏の有力被官であった上坂氏の居城である。上坂家信は大永元年(一五二一)に没したが、京極高清の執権的な地位にあった。のち上坂氏は浅井氏の戦国大名化によりその家臣団へ編入される。浅井長政のもとで兄の上坂伊賀守意信は小谷城に在番、弟の信濃守貞信が上坂城に居城した。浅井氏滅亡後は、意信は武士に、貞信は百姓となったが、関ヶ原合戦後には意信の子正信も帰農して本拠に戻り、先祖の屋敷・家・格式ならびに井水の規式などを先規の通り相続したのである。上坂城跡は、丸ノ内と呼ばれ、堀と土居によって囲まれていたが、十年ほど前に改変されて、現在は一部が残るのみであり、その一画に城跡の石碑が建っている。丸ノ内の隣りには、伊賀守屋敷(いがんど)、信濃守屋敷(しなんど)、三原屋敷と呼ばれる屋敷がある。」とあります。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.234,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 6 旧坂田郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1989年 5B-5200-6,
参考資料:
3 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.261,
参考資料:
4 近江坂田郡志 下巻 坂田郡役所∥編 坂田郡役所 1913年 5-2160-3,
参考資料:
5 改訂近江國坂田郡志 第3巻 上 坂田郡教育会∥編 坂田郡教育会 1941年 5-2160-3,
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