『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「東浅井郡湖北町河毛・別所」、創築年代は「元亀三年(一五七二)」、創建者は「織田信長」、形式は「山城(砦)」です。城の歴史は「虎御前山は、小谷城のある小谷山のすぐ南西にあり、標高二一八.六mをかぞえる。このため、織田信長の小谷城(浅井長政)攻撃に際しては前線基地となった。『信長公記』によれば、元亀三年七月二十七日に、「虎御前山御取出の御要害仰付」られ、完成後は「御巧を以て、当山の景気(色)興ある仕立、生便敷(おびただしき)御要害見聞に及ばざる」と称賛されている。城の定番として羽柴藤吉郎の名がでている。こののち、同三年(一五七二)八月の小谷落城まで前進基地として、あるいは信長の本陣としての役割をになった。山頂付近には石垣が残る。」とあります。なお、東浅井郡湖北町河毛・別所は現在長浜市湖北町河毛および別所になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.233,
参考資料:
2 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
3 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.526,
参考資料:
4 滋賀県中世城郭分布調査 7 伊香郡・東浅井郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1990年 5B-5200-7,
参考資料:
5 東浅井郡志 巻2 黒田惟信∥編 日本資料刊行会 1975年 5-2160-2,
参考資料:
6 信長公記 太田牛一∥原著 近藤瓶城∥編 佐藤書房 1972年 S-2800- 72,
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