『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「高島郡朽木村市場」、創建者は「朽木頼綱」、形式は「平(丘)城」です。城の歴史は「近江守護、佐々木定綱の四男信綱は承久の変(一二二〇)の軍功により、朽木庄を与えられ、信綱は晩年ここに隠居し、現在の興聖寺を建て菩提寺とした。信綱の孫頼綱をもって朽木氏の祖とする。城は市場の野尻寄りの丘の上に構えられた。ここは朽木谷水系の合流点で、軍事、経済に好条件を備え、市場が城の麓に城下町として朽木谷の中心となった。朽木氏による朽木谷支配が明治まで続き得た理由に、山による他地方との地理的隔絶性がある。それが中世から近世への動乱期に、野尻坂砦の戦い、信長の朽木越えなどがあったが、この谷間はほとんど動乱の渦中に巻き込まれなかったのである。この背景を持って十四代元綱は信長、秀吉、家康の時代に保身の術を誤らなかった。江戸時代の朽木氏は知行四千七百石の交替寄合衆で、正式の城持ち大名ではなかったが、大名としての待遇を保ち得たものに、質実な士風を長く伝えたためと、山林による経済力が大きな存在であった。」とあります。なお、高島郡朽木村市場は現在高島市朽木市場になっています。また、文中の「承久の変(一二二〇)」は「承久の変(一二二一)」の誤植です。
参考資料: 1 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ p.221,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
参考資料:
3 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
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