『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「蒲生郡蒲生町大塚」、創築年代は「室町時代中期」、創建者は「大塚平左衛門」、形式は「平城」です。城の歴史は「大塚城は、大塚集落の西、近江鉄道朝日大塚駅のすぐ北側に位置し、一帯は城屋敷の小字が残されている。遺構は、いわゆる複郭式で、特に北端の郭は中央を鉄道が貫通しているものの遺存状態は良好で、幅三m、高さ二mの土塁が南に開口しており、一辺九〇mの「コ」の字形になっている。その南に主郭とも考えられる面積一町歩ばかりの一段高い水田があり、その西には土塁の痕跡と思われる小畦畔と水路がある。また、さらに南に堀と土塁で区切られた一段高い雑木林があって、一部には門跡と思われるところもある南郭が続いている。全体では「凸」の字が横を向いたような配置となっている。城主の大塚氏は六角氏に仕えていたらしく、明応八年(一四九九)の『永源寺文書』の中に大塚平左衛門の名がみえる。また、天文年間(一五三二-五五)には佐々木定頼のもとで大塚八郎右衛門が湖水の舟奉行をしている。なお「大洞弁天当国古城主名札」には、大塚角之助以下計一〇人の名が記されている。」とあります。なお、蒲生郡蒲生町大塚は現在東近江市大塚町になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.260,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 4 旧蒲生・神崎郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1986年 5B-5200-4,
参考資料:
3 近江蒲生郡志 巻8 蒲生郡役所∥編集 蒲生郡役所 1922年 S-2140-8,
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