『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「神崎郡五個荘町和田」、創建者は「佐々木義弼」、形式は「平山城」です。城の歴史は「和田山城は神崎郡五個荘町と同郡能登川町にまたがる小独立丘上に位置している。独立丘といっても佐々木六角氏の居城である観音寺が築かれた繖(きぬがさ)山山地の一連の丘で、約四〇〇mの隔たりしかなく、同じ佐々木氏の支城である佐生(さそ)城と相対峙している。また、小丘ではあるが、湖東平野の眺望にすぐれ、中山道に面した要衝でもあった。『諸国廃城考』によると、佐々木義弼が築城し田中治部大夫が守将ということになっているが、築城時期の詳細は明らかでない。『信長公記』によると、織田信長が近江に侵攻した永禄十一年(一五六八)、佐々木承禎は観音寺城にあって、箕作城と共に街道に面した当城の守備を固めたが、織田軍は箕作城に主力をそそぎ、それを攻め落とした。このとき、和田山城に籠城した将卒は戦わずして城を捨て、甲賀へ敗走したという。現在、山上には遺構として残されたものはほとんどなくなっているが、ただ、山裾の和田集落内には城ノ内という小字が残っている。」とあります。なお、神崎郡五個荘町和田は現在東近江市五個荘和田町に、能登川町も東近江市になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.248-249,
参考資料:
2 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
3 諸国廃城考 滋賀県の部 滋賀県立図書館[制作] 1770年 5-2400-770,
参考資料:
4 信長公記 太田牛一∥原著 近藤瓶城∥編 佐藤書房 1972年 S-2800- 72,
参考資料:
5 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,
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