Quantcast
Channel: レファレンス協同データベース
Viewing all articles
Browse latest Browse all 148274

近江にあった河内(かわち)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)

$
0
0
『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「坂田郡山東町梓河内」、別称は「梓河内城」、形式は「山城」です。城の歴史は「京極氏十二代高清の後見人をめぐって黒田政光と京極政経が対立、家臣も二派に分かれて相争った時、争乱を避けるべく一族が隠棲の地として築城したとか、また、それ以前に築かれていたが、多年の間、秘密にされ、文書、記録に現われなかったともいわれる。このため、京極氏の隠れ城との異名がある。ともあれ、政経派が勢を得、政光派が衰える過程に登場してくる。浅井氏が湖北に戦国大名としての歩みを進め、反対に京極氏が衰微する頃、ここに拠った京極高慶が箕浦城主今井定清に城修築の人夫を求めている。城址は京極邸址、馬駆け場に続いて石田氏邸がある。石田氏はここを本拠として河内城の守りについていたが後年の石田三成との関係は明らかでない。しかし、元亀二年(一五七一)磯野員昌の佐和山城衆中に石田仁兵衛が梓の住人として知られる。また、梓は近江から美濃への通路で、関所が設けられていた。」とあります。 参考資料: 1 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ p.220, 参考資料: 2 滋賀県中世城郭分布調査 6 旧坂田郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1989年 5B-5200-6,

Viewing all articles
Browse latest Browse all 148274

Trending Articles