天神社(海津天神社)紙本墨書法華経の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
天神社(海津天神社)は高島市マキノ町海津にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「開結経(かいけつきょう)2巻と法華経8巻をあわせた10巻の装飾経である。開結経とは、無量義経と観普賢経をいう。本紙の表裏ともに金銀小箔をちらし、罫は截金および金泥がほどこされ、経文が墨書されている。欄外には山丘が描かれ、下欄には草花蝶鳥が泥書されている。奥書によれば、1325年(正中2)3月沙弥相阿なる人物と...
View Article天神社(海津天神社)板絵著色(ちゃくしょく)絵馬の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
天神社(海津天神社)は高島市マキノ町海津にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)鹿毛(かげ)と連銭葦毛(れんせんあしげ)の2頭の馬をそれぞれ板に金箔を押し、そのうえに彩色もあざやかな量感のある繋馬(つなぎうま)を2面にえがいている。天神社の絵馬は墨書により1625年(寛永2)2月吉祥日の年期のあるもので、諸願成就をねがって、福富藤衛門が奉納したことがわかる。京狩野の祖狩野山楽が6...
View Article福領寺木造阿弥陀如来坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
福領寺は大津市雄琴二丁目にあります。『大津の文化財』によりますと、概要は「福領寺の本尊。像の幹部は正中線で左右に二材を矧(は)ぐ構造で、像内には黒い漆を塗る丁寧な仕上げである。ほぼ等間隔に並ぶ流麗な衣のひだや、整然と配される小粒の羅髪(らほつ)、腕形の肉髻(にっけい)など、平安時代後期の作風にのっとっているが、明快さを増した表情、抑揚のある写実的な体部の造形などを見ると、実年代は鎌倉時代に入る可能性...
View Article兵主神社革箙(かわえびら)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
兵主神社は野洲市五条にあり、通常兵主大社と呼ばれています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「檜材の小さな四角い箱に黒漆をぬり、内部には細い枠をわたして矢鏃を差し込むようになっている。前板と両側面板に細かな銀粉を蒔き、前板に大きく、両側面板には小さな蜻蛉(とんぼ)文が描かれてある。腰当りや矢束など欠失しているが、もとは竹と木を芯にして黒漆の皺革(しばかわ)でつつまれていたものでろう。(中略)鎌倉...
View Article日吉大社西本宮楼門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
日吉大社は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「日吉大社のながい参道のもっとも奥に西本宮の一郭があり、その正面に西本宮楼門がたつ。その名のように楼門で、いわゆる楼造である。すなわち二階建の門で、屋根は上だけ、一、二階の間は縁だけで屋根がない形式。全体も細部も型どおりで特記するところはないが近世の復興だけあって、正背面縁下中の間の蟇股(かえるまた)は極彩色がほどこされてい...
View Article日吉大社牛尾神社本殿及び拝殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
日吉大社は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「日吉大社の奥宮といわれ、八王子山の山頂から少し下に三宮(さんのみや)神社とならんである。牛尾神社(八王子神社)本殿は三宮神社本殿とむかいあってたち、この両社とも三間社流造(さんげんしゃながれづくり)である。その前に拝殿が接続するが、両社とも地勢の関係で床下は懸造(かけづくり)(俗称舞台造)としており、正面に軒唐破風(のきか...
View Article山津照神社古墳出土品の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
山津照神社古墳は米原市能登瀬の山津照神社境内にある前方後円墳です。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)1882年(明治15)8月境内地工事中に偶然同古墳の石室内で多くの副葬品を発見したが、これらの発掘品は社宝として神社におさめ、石室はふたたび埋納された。そのときの発掘品のうち、つぎの品々が現在考古資料として県の文化財に指定されている。獣紋鏡1面、内行花紋鏡1面、五鈴鏡1面、三輪玉5個、直...
View Article福寿寺木造千手観音立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
福寿寺は近江八幡市馬淵町岩倉にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)像高106.5cm。像の幹部は頭体をとおしてカヤ系の一材からつくり、耳後をとおる線にて前後に割矧ぎ、内刳(うちぐり)をほどこしている。頭上の化仏や脇手などは後補。素地仕上げ。胎内には松枝双雀鏡、印仏、籾が納入されていた。像内前面に千手千眼陀羅尼、同背面に造像銘が墨書され、1170年(嘉応2)に仏師僧長順により造立...
View Article紙本著色(しほんちゃくしょく)桑實寺縁起の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
桑實寺は近江八幡市安土町桑実寺にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「繖(きぬがさ)山の山腹にある桑實寺の由緒や信仰の物語が絵巻物につくられたのが『桑實寺縁起』である。これは1531年(享禄4)京都からのがれ近江の六角(佐々木)高頼を頼り、やがて桑實寺にしばらく寄寓した第11代将軍足利義晴が寄進したものという。絵は土佐光茂、詞書は後奈良院、青蓮院尊鎮法親王、三条実隆ら当代の一流陣が参画し...
View Article長浜八幡宮天正八年三月吉日羽柴(豊臣)秀吉、同秀勝連署奉加帳の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
長浜八幡宮は長浜市宮前町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)1580年(天正8)3月当時の長浜城主羽柴秀吉とその養子於次(おつぎ)秀勝(織田信長の4男、1568~85)の連署による長浜八幡宮への奉加帳。浅井氏滅亡(1573年)後信長より浅井氏の旧領をあたえられた秀吉は、長浜(今浜を改称)に城下町を形成し、社寺領安堵を実施している。長浜八幡宮には天正2年(1574)2月20日付...
View Article長浜八幡宮永享七年勧進猿楽奉加帳ならびに永享十一年塔供養奉加帳の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
長浜八幡宮は長浜市宮前町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)永享七年(1435)勧進猿楽奉加帳は、近江三座の猿楽をまねいて勧進猿楽を興行した記録で、猿楽出銭、棧敷注文次第、奉加の記録、かい物記録となっている。このほか奉加記録があり、紙背には八幡宮御修理田の記録がある。この興行は神前に舞台を造り、その東西両側に観覧席をもうけ、遠近の地侍、諸大寺、庄官、村人などがあつまったことが...
View Article豊満神社四脚門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
豊満神社は愛荘町豊満にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)現在の四脚門の形式手法が鎌倉時代後期の様式をしめしていることから、この時にたてられたものと考えられる。(中略)本柱頂部に冠木長押(なげし)をそなえ、控柱には頭貫(かしらぬき)を入れる。頭貫木鼻(きばな)は上端に繰形をつけるが、この形式は県内では類例をみない。柱上組物は出三斗(でみつど)にして、軒は二軒繁垂木(ふたのきしげ...
View Article東方寺阿弥陀三尊不動明王磨崖仏の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
東方寺は大津市大石富川町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)富川の磨崖仏とか「耳だれ不動尊」として知られている。この地は、平安時代に岩尾山明王寺、または富川寺という興福寺に関係する寺があったという。磨崖仏は15mあまりの大きな岩はだにきざまれ、中央には阿弥陀如来の坐像、その左右に脇侍の観音・勢至の両菩薩立像をきざむ。この三尊はやや薄肉彫りとなっていて、頭の部分に光背をつけ、阿...
View Article道風神社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
道風神社は大津市小野にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この本殿は1341年(暦応4)の棟札銘により建立の様子がわかり、形式手法は小野篁神社本殿とよく似ている。正面の柱間3間で4.42m、側面2間で2.91m、向拝(こうはい)1間で2.14m小野篁神社本殿より規模は少し小さい。この本殿も江戸時代に向拝の部材がとりかえられ、木鼻(きばな)や蟇股(かえるまた)などは建立時の形をつ...
View Article櫟野寺(らくやじ)木造弥勒菩薩坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
櫟野寺は甲賀市甲賀町櫟野にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「右手は屈臂して掌を正面にむけ五指をのばし、左手も屈臂して五指をのばして膝上にふせる弥勒如来である。像高87.6cm。頭体の幹部は、ケヤキの竪一材製で内刳はほどこさない。それに両体側部に各一材を雇?(やといほぞ)で接合し、膝前は横木一材を矧ぐ。左手前膊部を膝上にのせ、左手首矧付。右手前膊部一材、右手首矧付となる。この像は脚部材...
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