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宝厳寺普賢十羅刹(らせつ)女図額の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「竹生島宝厳寺に伝来する繍仏(しゅうぶつ)2面のうちの一つ。法華経勧発品(かんぼつぼん)に法華経を持するものを擁護すると説かれている普賢菩薩と、法華経陀羅尼品(だらにぼん)に同経を護持するものを守護すると説かれた十羅刹女をあわせてえがいて一図を構成する。この図は、普賢菩薩が東方浄明国(じょうみょうこく)から法...

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宝厳寺銅印の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「鋳銅製で印面は方形、四周は幅の狭い郭(かく)をめぐらしている。印文は朱文で2行、たて1行に2字、「駿河(するが)」「倉印(そういん)」と篆書(てんしょ)で鋳あらわしている。紐(ちゅう)は撥形(ばちがた)につくられ、紐孔はもうけていない。印の銅質、保存状態、鋳あがりとも良好で、太めの堂々とした書体は、いわゆる...

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宝厳寺竹生島文書の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「湖上にうかぶ宝厳寺は、過去何回かの罹炎によって堂塔伽藍も退転が余儀なくされてきた。そのために勧進帳で奉加を求めるいっぽう、ときの武将などが復興への手をさしのべている。足利尊氏、足利義政、浅井長政、豊臣秀吉など多くの武将や大名が、国家安穏・武運長久・子孫繁栄など現世利益をもとめて、ここを祈願所として保護をあた...

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宝厳寺刺繍弥陀三尊来迎図額の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「竹生島宝厳寺に伝来する繍(しゅう)仏2面のうちの一つ。阿弥陀如来(あみだにょらい)が観音(かんのん)、勢至(せいし)両菩薩をしたがえて極楽浄土から往生者を来迎(らいごう)する場面が刺繍でえがかれている。この図は現在、額装仕立てとなるが、画面は掛幅表装の形式をとる。中央に来迎印の阿弥陀如来、その前方に蓮華台を...

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宝厳寺五重塔の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「この石造塔は竹生島北西湖辺にあったものを大正末ころ唐門のそばにうつしたが、1972年(昭和47)豪雨による土砂崩れで大半の部材が湖中に転落した。74年(昭和49)に最上層の屋根石と相輪の下部をおぎなって弁才天堂前庭に再建したが、その後屋根石は発見されて保管してある。台石の格狭間(こうざま)や各重屋根石の形状...

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宝厳寺毛抜形太刀の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「鉄鍛造で、刀身が把(つか)に造り付けとなり、茎(なかご)に古代の毛抜に似た透(すかし)彫りをしているのでこの名ができた。この式制のものが流行したのは平安時代より鎌倉初期にわたるあいだで、当時は衛府の武官特有の兵伏(ひょうじょう)太刀で、おもに野外の警護に使用したので野太刀(のだち)ともよばれた。(中略)重要...

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宝厳寺観音堂・唐門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「観音堂は竹生島の南側に南を正面として懸造(かけづくり)にたち、その西側面に接続して大きな唐門がたち、東側面から長い渡廊をとおって都久夫須麻神社本殿にいたる配置になっている。片桐且元の署名のある棟札に豊臣秀頼の命によって島内の伽藍を再興したことが明記されており、(中略)豊国廟の建物が移築されたものと考えられる...

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宝光寺木造阿弥陀如来立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

宝光寺は大津市坂本一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)像高82.0cm。木造で、現状は古色におおわれており、玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)している。いわゆる三尺の弥陀立像で安阿弥(あんなみ)様の影響をうけたものと考えられるが、慶派の作とはいいがたい。大粒の螺髪(はほつ)をきざみ、髪際は中央でさがり気味にカーブする。長方形にちかい顔であるが、ほほをふくらませて丸味...

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報恩寺銅造観世音菩薩立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

報恩寺は野洲市南桜にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)本像は全身ムクの像である。像高28.5cm。頭には三面宝冠をいただき、天冠台を紐二条であらわす。点冠台両側から冠帯が腹下あたりまで垂下し胸飾りとつながる。髪はを両肩にたらす。目は上瞼のふちに線刻をくわえて二重瞼とする。体?は、胴がくびれ、腰がふくらむ。右手は垂下して掌を正面にむけ、左手も垂下して水瓶をとる。天衣は、右手首に...

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船木廃寺の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「近江八幡市船木町の青根天満宮のある丘陵下に古瓦の出土地がある。ここで出土する古瓦は、軒丸瓦では複弁系のものと単弁系のものがあるが、いずれも白鳳時代に属するものと思われる。単弁系のものは、重圏文縁をもつものであるが、内区の弁文と重圏文縁の間に鋸歯文帯があり、他にみられない特異な様式とみるべきであろう。(中略)『近江蒲生郡志』にその完形の拓本がのせられている。残念...

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寿量院木造阿弥陀如来坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

寿量院は大津市坂本五丁目にあり、延暦寺の子院の1つです。『大津の文化財』によりますと、概要は「(前略)来迎相(らいごうそう)の観音(かんのん)・勢至(せいし)両菩薩像を脇侍(きょうじ)とする。肉身は金泥塗(きんでいぬり)、着衣には漆箔(しっぱく)を押す。頬(ほほ)の張った若々しい相貌だが、全体として作風には形式化がうかがえる。室町時代の作といわれる。」とあります。また同資料によりますと、像高108....

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玉蓮院木造不動明王二童子立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

玉蓮院は大津市坂本四丁目にあり、延暦寺の子院の1つです。『大津の文化財』によりますと、概要は「不動明王と矜羯羅(こんがら)・制?迦(せいたか)両童子像の三尊が一具でそろう。三尊ともに動きのある姿態をみせるが、衣のひだの彫法にはやや重みがあり、鎌倉時代も前期にはさかのぼりえないとみられる。着衣には截金(きりかね)と盛上げ彩色によって文様をあらわすが、後者による鳳凰丸文や雲文などの具象文様も、鎌倉時代後...

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恵日院木造慈眼大師坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

恵日院は大津市坂本四丁目にあり、延暦寺の子院の1つです。『大津の文化財』によりますと、概要は「江戸時代初期に徳川家康をはじめ将軍家の帰依をえて、信長に焼かれた比叡山の再興や東叡山寛永寺の草創などに力を注いだ傑僧天海(てんかい)の肖像。胸前で金剛杵(こんごしょ)と数珠を握る姿は慈恵大師(じえだいし)像にヒントをえたものか。寛永二十年(一六四三)の入滅後まもない頃の作と推測されている。像表面にほどこされ...

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檜尾寺木造千手観音立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

檜尾寺は甲賀市甲南町池田にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)頭上に十一個の小面をのせ、胸前に合掌する真手、左右に二十本の脇手をあらわしたいわゆる四十二臂の千手観音立像である。顔は面長で、頬の肉付けをゆったりととり、両眼をきざんで、厚めの唇をつくる。裳の衣文の彫り口はふかく、とくに両膝から裾にかけて、大小の波をくりかえす翻波式衣文をきざむところは、平安初期彫刻につうじる古様の趣...

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中村廃寺の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

中村廃寺は大津市真野町中組にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この付近に古代寺院が存在したことが推測される。しかし現在遺構は不明である。出土の瓦も現在では実物がなく写真で知ることができるだけであるが、これらはいずれも軒丸瓦で、弁間に珠文をもつ単弁系のものと、素文縁の複弁系のものの2種類である。この瓦の様式からみて、この寺院は白鳳時代に建立されたと考えられ、あるいは古文献にこの...

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堂の上遺跡の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

堂の上遺跡は大津市神領三丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)近江国府関連官衙(かんが)。1973~76年(昭和48~51)にかけて滋賀県教育委員会によって3次にわたる発掘調査が実施された。遺構は瓦葺・礎石建ち建物群と掘立柱建物群に大別される。いずれも東西棟の前殿・後殿からなる正殿風建物と脇殿とみられる南北棟の建物が配され、その周囲を前者は築地塀で、後者は柵でかこっている。...

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洞寿院木造聖観音菩薩立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

洞寿院は長浜市余呉町菅並にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「カヤの一材から両手・両足先および足?(ほぞ)をふくめて彫出するまったくの一材造りの像である。像高171.8cm。左手に未敷蓮華(みぶれんげ)をもって、それに右手をそえるようにするのは比叡山横川の観音像と同姿である。背面腰下に「敬白/奉造立勧進秦恒未縁友清原氏女/建保四年歳次丙子漆月日」の墨書があり、建保4年(1216)の造立...

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東光寺跡の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市大萱2丁目にある東光寺は曹洞宗の寺院であるが、このあたりでは白鳳時代に属すると思われる古瓦が出土しており、古代寺院の存在が考えられる。この古代寺院遺跡を現在の寺院名をかりて東光寺跡と称している。遺構は未発見で、遺跡に関する資料としては出土瓦その他があるが、その出土軒丸瓦に法隆寺式とよばれる瓦がみられる。しかしここで発見される軒丸瓦は重弧文で、法隆寺なとで...

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天皇神社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

天皇神社は大津市和邇中にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)天皇神社本殿は小野神社職務歴代記に「正中元年(1324)二月三日和邇牛頭天皇社創建釿始(ちょうなはじめ)同年十二月十九日上棟式云々」とあり、1341年(暦応4)建立の道風神社本殿よりすこしはやくできた建物である。母屋(もや)は正面の柱間数3間で4.03m、側面2間で2.77m、正面は中央間を幣軸板扉構(へいじくいたとび...

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天王山古墳の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

野洲市辻町にある桜生(さくらばさ)古墳群中の1つです。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)1874年(明治7)に偶然の契機で遺物が発見された。古墳は粘土槨形式のものとみられ、朱をつめた木棺が粘土で被覆されていたようである。遺物は2面の鏡と玉類などが報告されており、これらは京都の知恩院の所蔵に帰している。古鏡はともに?製鏡で、一は径26.5cmの画像鏡、他は径21.8cmの三角縁三神三獣鏡...

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