宝厳寺は長浜市早崎町地先、琵琶湖上の竹生島にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「観音堂は竹生島の南側に南を正面として懸造(かけづくり)にたち、その西側面に接続して大きな唐門がたち、東側面から長い渡廊をとおって都久夫須麻神社本殿にいたる配置になっている。片桐且元の署名のある棟札に豊臣秀頼の命によって島内の伽藍を再興したことが明記されており、(中略)豊国廟の建物が移築されたものと考えられる。この唐門は正面円柱上にながい冠木(かぶき)をのせ、出三斗(でみつど)組で桁と大虹梁(こうりょう)をうけ、虹梁中央に大きな蟇股(かえるまた)を据えて棟木をささえ、大唐破風(からはふ)をかけ、妻や桟唐戸(さんからど)およびその両脇などに大胆な意匠の彫刻をいれて極彩色をほどこし、建物全体は黒漆塗りを主として金鍍金の飾金具をちりばめた豪華絢欄とした桃山建築である。観音堂は正面柱間数5間で11.34m、側面4間で9.6m、その周囲に縁を廻し、縁先柱を軒までのばして囲いとし窓をもうけている。室内部は正面1間通りを外陣(げじん)とし、内陣は一室で、中央間の東の間に観音像をまつり、その前方に独立柱2本をたてて荘厳にしている。柱には床下にはいった部分まで黒漆塗になったものが多くあり、京都にあった当時より柱高をひくくしてたてたことがわかる。観音堂は重要文化財、唐門は国宝。(後略)(成瀬弘明)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.670,
参考資料:
2 近江文化財全集 下巻 近江史跡会∥編集 近江史跡会 1974年 SB-7000-2,
参考資料:
3 国宝大事典 5 建造物 講談社 1985年 R-7091-5,
↧