石坐(いわい)神社木造弘文天皇坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
石坐神社は大津市西の庄にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)本殿には4体の木造神像が祀られています。すなわち天命開別命(あめのみことひらかすわけのみこと)坐像(天智天皇)、木造伊賀采女宅子媛(いがうねめやかこひめ)坐像(弘文天皇生母)、木造彦坐王(ひこいますおう)坐像と木造弘文天皇坐像(大友皇子)の4体である。いずれも重要文化財に指定されている。(中略)木造弘文天皇像は4体のな...
View Article石山寺木造如意輪観音半跏像(にょいりんかんのんはんかぞう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
石山寺は大津市石山寺一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「石山寺本堂の主尊であって秘仏とされ、33年目に1度の開帳が行われる。丈六の巨像で安置される厨子(ずし)内は床がはられずに、石山寺を形成する硅灰岩(けいかいがん)が突出している。2臂(ひ)の如意輪観音像は硅灰岩上に肉薄の蓮台(れんだい)をおいて、その上に左足をたれて坐している。(中略)本尊は高さ1丈6尺の塑造(そぞう)観音菩...
View Article石山寺御影堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
石山寺は大津市石山寺一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「建立年次は明らかではないが、室町時代に三味堂としてたてられ、のち普賢院淳祐内供の像を安置して御影堂と称するようになった。正面の柱間数3間で6.67m、側面3間で6.67mの後に1.23mの拡張部分がある。享保年間(1716~36)に後の四天柱から正面側へ大虹梁(だいこうりょう)をかけ、前の四天柱をぬき、背面を拡張して軒をと...
View Article石山寺東大門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
石山寺は大津市石山寺一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「寺伝によれば1190年(建久元)の建立というが、1600年(慶長5)礼堂再建時に大修理をうけ、大半の部材がとりかえられた。正面の柱間数3間で8.53m、側面2間で4.65mの八脚門。中央に扉を両開きとし、正面左右の間に金剛柵をもうけて木造金剛力士像がたつ。柱上の組物は尾垂木のない三手先(みてさき)で、屋根は本瓦葺、鬼瓦に1...
View Article円光寺本堂・九重塔の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
円光寺は野洲市久野部にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「外陣境の柱と棟木に1257年(康元2)上棟の刻銘がある。1704年(元禄17)の修理で屋根は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)に改造して維持されてきたが、1958年(昭和33)解体修理時の調査で旧形がわかり、神社建築用の切妻造(きりづまづくり)本堂に復原された。平面は12.19m四方の正方形で、柱間数は正面5間、側面...
View Article西教寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)慈威和尚像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「慈威(1281~1356)は、恵鎮、円観、五代国師ともよばれ、天台戒法である円頓戒(えんどんかい)の復興と教化に専念した僧。後宇多天皇の勅を得て、1319年(元応元)に京都の後醍醐天皇勅願所の元応寺に入り黒谷統円頓戒の道場とし、1325年(正中2)に荒廃していた西教寺に入り堂塔を補修して円頓戒弘通の場とした。その翌年に京都法...
View Article西教寺絹本著色(けんぼんちゃくしょく)阿弥陀如来像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)阿弥陀如来像は同寺で「弥陀独尊」と呼称されるように、大きな阿弥陀如来独尊の来迎図である。通例の雲に乗った姿ではなく、虚空に浮かぶ踏割(ふみわり)蓮華台の上に真正面をむいて立っている。仏身を金泥で塗り、通肩の着衣は赤茶色で見事な截金(きりがね)の蓮華の丸文によってかざられている。下衣はかなり退色しているが緑青(りょくし...
View Article西教寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)熊野曼荼羅の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「熊野曼荼羅には熊野十二所権現を本地形にえがいた本地仏曼荼羅、垂迹形にえがいた垂迹曼荼羅、さらに宮曼荼羅、参詣曼荼羅がある。この西教寺本は本地仏曼荼羅で、画面全体を神殿にみたて、上方に熊野三山の主祭神の本地である阿弥陀(本宮)・薬師(早玉)・千手観音(那智)を大きくえがいて、その前に小さく10体の仏・菩薩・天部を2列に並列する...
View Article西教寺客殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「桃山御殿と通称されるように桃山様式の多い書院造の建築で、27.1×15.3m、1重、?葺(こけらぶき)で中央で二分され、東側に花鳥の間、賢人の間、猿猴(えんこう)の間、鶴の間、西側に上座の間、内陣、茶室などが南から北へつらなる。造営については1589年(天正17)、1598年(慶長3)などの諸説がある。最上の室は西南の「上座...
View Article金胎寺木造四天王立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金胎寺は栗東市荒張にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「本堂須弥壇下左右に安置され、壇上の阿弥陀三尊像を守護する。持国天・増長天の像高は各154.2cm。像の幹部はともにヒノキの一木割矧造(わりはいづくり)で、壇上の両脇侍像と同様である。彩色の?落ははなはだしいが、切金や彩色による文様がみとめられる。像内胸部に墨書があり、2体とも1142年(増長天「永治二年五月十七日」、持国天「康治元...
View Article金胎寺木造阿弥陀如来及び両脇侍像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金胎寺は栗東市荒張にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)金胎寺本尊。本堂須弥壇上に安置。中尊阿弥陀如来像は定印(じょういん)をむすび、裳懸座(もかけざ)に結跏趺坐(けっかふざ)して飛天光背をせおい、両脇には観音菩薩像と勢至菩薩像が各中尊側に腰をひねって立つ三尊1具の像である。像高は中尊141.2cm、観音172.5cm、勢至172.7cm。3体とも像の幹部はヒノキの1材より彫成...
View Article金勝寺(こんしょうじ)木造虚空蔵(こくうぞう)菩薩半跏像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金勝寺は栗東市荒張にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「金勝寺本堂に本尊釈迦如来とともに安置されていた像である(現在、大阪市立美術館寄託)。像高194.0cm。右手は第1・2指を捻(ねん)じ、左手は掌を上にして左脚上におき、左足を台座から踏み下げる半跏の姿をとる。構造の詳細は不明ながら、根幹部をヒノキの一材から彫成し、前後に割放っているものとおもわれる。それに両肩以下をそれぞれ矧ぎ、膝...
View Article金勝寺(こんしょうじ)木造軍荼利(ぐんだり)明王立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金勝寺は栗東市荒張にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)本堂にむかって右手前の堂に像高3.6mの軍荼利明王像が安置されている。頭部に髻(もとどり)をゆい、左右に髪に逆立てる。両眼をみひらいて、上歯をむきだし、下唇をかむ怒りの形相をあらわす。体部は上半身を裸形とし、8本の腕を大きくあらわし、真手は胸前で交差させる。下半身に裳(も)をつけ、両肩から天衣(てんね)を垂らし、やや左足を...
View Article金勝寺(こんしょうじ)狛坂磨崖仏の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金勝寺狛坂磨崖仏は栗東市荒張の金勝山中にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)狛坂廃寺のすぐ下方にある高さ約6.2mの花崗岩にきざまれた磨崖仏である。岩面のほぼ下半分に大きく三尊像を半肉彫し、中央は偏袒右肩(へんたんうけん)の衲衣(のうえ)を着し、転法輪印と考えられる印相をしめし、右足を外にして裳懸(もかけ)座に座す如来像(阿弥陀如来か、像高235cm)、その左右には中尊側に腰を...
View Article金剛輪寺木造不動明王立像・毘沙門天立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金剛輪寺は愛荘町松尾にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「金剛輪寺本堂須弥壇上の厨子のむかって左(毘沙門)右(不動)に安置される像である。この配置は、天台宗独特の三尊構成である。不動は、頭頂に莎髻(しゃけい)をゆい、巻髪(けんぱつ)、弁髪(べんぱつ)を左肩にたらし、天地眼、牙上下出相とする安然様のものである。162.3cm。頭体幹部をヒノキ縦一材から彫成し、体部背面を割放ち、割首とし、...
View Article金剛輪寺木造慈恵大師坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金剛輪寺は愛荘町松尾にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「金剛輪寺には蓮妙作の慈恵大師(良源)像が2?あり、両像ともにヒノキ材の寄木内刳(よせぎうちぐり)、彩色、玉眼嵌入像で、通途の像容にあらわされている。1286年(弘安9)銘像は像高83.3cm、像内両脚部の墨書に慈父聖霊の往生極楽、一切衆生の平等利益のためとある。もう1?の像は像高84.3cm、像内顔面と両脚部に墨書があり、それに...
View Article金剛輪寺木造阿弥陀如来坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金剛輪寺は愛荘町松尾にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「本堂須弥壇上むかって右奥に安置。像高140.9cmの半丈六像である。頭体の幹部は左体側をふくんでヒノキの縦1材からつくり、左肩で左体側部を割矧ぎ、さらに両耳中央をとおる線で前後に割矧いで内刳(うちぐり)をする。漆箔像。像内背面に墨書があり、大仏師近江国講師経円が1222年(貞応元)につくりはじめ、1226年(嘉禄2)に就座したこ...
View Article永源寺紙本(しほん)墨書寂室和尚墨蹟・消息・遺誡(ゆいかい)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
永源寺は東近江市永源寺高野町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)寂室は、永源寺を開創して7年後の1367年(貞治6)9月1日、78歳で永源寺で入寂している。これに先だって諸弟子にたいして「遺誡」と「遺偈」をしたためたのである。とくに「老拙、如今世縁将(まさ)に尽きなんとす、因って諸の法属等に顧命す」にはじまる「遺誡」(重要文化財)は、寂室の思想をもりこんでいる。それには山間に...
View Article永源寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)地蔵十王図の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
永源寺は東近江市永源寺高野町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「十王は冥界にあって死者の罪業の軽重を裁断する10人の王であり、地蔵は六道の衆生を救う菩薩であるが、鎌倉時代になると、地蔵十王がセットでえがかれ、信仰されるようになった。永源寺本地蔵十王図はあまり大きくない11幅からなる。いくつかの幅のに「慶元府車槁石板巷陸信忠筆」の署名がある。地蔵からはじまり、秦広王、初江王、宋帝王、五...
View Article鵜川四十八躰(体)仏の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
鵜川四十八躰(体)仏は高島市鵜川にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「比良山系の一つの断崖層が、湖にせりだした明神崎には白鬚神社がある。その地から北へ約100m細い道を少し進むと、山の斜面に35躰の石仏群がならんでいる。いずれも若干磨滅しているが、像高約1.5mの禅定印をむすんだ石造阿弥陀如来坐像である。これは1553年(天文22)に近江の守護六角(佐々木)義賢が、亡母の追善供養のため...
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