西教寺本堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「桁行(けたゆき)7間、梁間(はりま)6間、屋根一重、入母屋(いりもや)造、本瓦葺(ほんかわらぶき)。正面に3間の向拝(こうはい)を付け、背面に3間に3間の位牌堂を付ける。内部は、正面2間を外陣(げじん)、その奥を中・内陣とする。内陣中央、本尊の木造阿弥陀如来坐像の安置される須弥(しゅみ)壇は欅(けやき)造の豪華なものとし、正...
View Article西教寺法華経の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「8巻完存の法華経は、色紙金銀箔散の色紙経で平安時代の数少ない遺例の一つである。1巻あたりの色紙の順序が一部ことなるところがあるが、ほとんど紫、濃萌黄、朽葉、薄茶...
View Article西教寺紙本著色扇面(しほんちゃくしょくせんめん)古写経の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)経典を荘厳にすることにより、大きな功徳(くどく)がえられるという考えにもとづいて、多くの装飾経(そうしょくきょう)がつくられたが、そのピークが扇面写経(せんめんしゃきょう)である。華麗な扇面の料紙(りょうし)に法華経を書写した扇面写経は、現存分として、四天王寺本と東京国立博物館本とに大別され、その他諸家に数葉分蔵され...
View Article西教寺後土御門天皇宸翰真盛上人号の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「西教寺中興の祖であり、天台真盛宗開祖真盛(しんせい)(1443~95)の著名な自戒の法語と名号をしるした宸翰である。比叡山で長年修学した真盛は、1485年(文明17)はじめて山をくだり、その年の暮れにはじめて宮中で講義をした。その時に後土御門天皇第1皇子勝仁親王(のちの後柏原天皇)、伏見宮など多くの公卿たちが聴聞したことが『...
View Article西教寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)前田菊姫像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「前田菊姫は加賀100万石の初代藩主前田利家(としいえ)の6女きくのことである。きくは1578年(天正6)利家と側室の間に生まれた。幼時より豊臣秀吉の養女となり、大津在住の商人西川重元のもとで養育されていたが、1584年(天正12)わずか7歳でこの世をさった。きくは坂本の西教寺にほうむられ、今も墓石がある。菊姫の肖像画は、武将...
View Article西教寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)豊臣秀吉像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「肖像画は、豊臣秀吉のもとでながく右筆(ゆうひつ)をつとめた山中山城守長俊が、絵師にえかがせ、秀吉の没した1598年(慶長3)の2年後の3回忌にあたり、秀吉追善菩提のために西教寺におさめたものである。(中略)肖像画は、中央に上畳に薄縁(うすべり)をしいて袍衣(ほうえ)をつけた衣冠(いかん)姿の秀吉像をえがく。その上部には社殿の...
View Article西教寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)釈迦如来像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
西教寺は大津市坂本五丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「西教寺では、この釈迦如来像は「持鉢(じはつ)釈迦如来」とよばれている。すなわち立像の釈迦が、全体に前かがみになり蓮台をふみわらんばかりに足をふみだし、鉄鉢をしっかりともつ姿はまことに動的である。しかも釈迦の背後にある大きな光背までが釈迦にあわせてうごいているようである。この光背には多数の化仏(けぶつ)が極彩色でえがかれている...
View Article円満院庭園の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
円満院は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)1647年(正保4)に円満院の宸殿が移建したころにつくられたと推定される。宸殿の南側につくられたこの庭は、東西に細長く池をつくり、そのうしろの山麓に手を入れて築山(つきやま)としている。池には二つの中島をおき、その東側の島に石橋を架け、築山の前および池の周りには多くの石が組まれている。ツツジ・サツキの丸刈込物をその近く...
View Article石山寺本堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
石山寺は大津市石山寺一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)本堂は正面の柱間数7間で21.2m、側面4間で12.1mの建物、その前に奥行1間で2.85mの相の間をはさんで正面9間で29.7m、側面4間で12.73mの礼堂がたち、本堂および礼堂のそれぞれ寄棟造(よせむねづくり)の屋根を相の間の屋根が南北に棟をとおしてつないでいるため、屋根は大きな谷(入隅)をつくっている。本堂...
View Article金剛輪寺本堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金剛輪寺は愛荘町松尾にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「本堂は、堂内の仏壇金具に1288年(弘安11)の刻銘があることから、このときを建立とする説もあるが、様式、手法からみると室町時代前期とみるのが妥当とおもわれる。正面柱間数7間(21.13m)、側面が7間(20.71m)あって、ほぼ正方形にちかい平面をもち、向拝(こうはい)をつけない屋根入母屋(いりもや)造檜皮葺(ひわだぶき)の七...
View Article金剛輪寺梵鐘の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金剛輪寺は愛荘町松尾にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)鋳銅製で、鐘身は肩からなだらかな曲線でゆるやかにひろがり、胴はやや張っているが撞座(つきざ)の位置から垂直にさがっている。竜頭(りゅうず)は笠形を?む双龍が中央で火焔宝珠(かえんほうじゅ)をいただく姿をあらわす。上下帯(じょうかたい)とも素文。乳(ち)の間(ま)四区には、4段6列に配された乳(ち)がキノコ形につくられてい...
View Article金剛輪寺二天門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金剛輪寺は愛荘町松尾にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)様式からみて本堂よりは新しく、室町時代後期ころに建てられたものと考えられる。もとは楼門であったが、三重塔とおなじように江戸期に破損し、上階をとりこわして現在の一重にあらためられた。正面柱間の数3間、奥行2間の三間一戸門。正面左右の間には金剛柵をもうけて仁王像を安置する。柱上の組物はもとの腰組(楼門上階の縁高欄下の組物)の...
View Article孤蓬庵庭園の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
孤蓬庵は長浜市上野町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「小堀遠州が京都大徳寺内に建立した孤蓬庵にちなみ1648年(慶安元)に遠州の子政之が父の菩薩をとむらうために、同じ名の孤蓬庵を現在地の南、上野(うわの)の山間に建立し、1681年(延宝9)に今の地にうつしたといわれ、庭園もこのころにつくられたと思われる。庭園は、本堂の南から東面にかけてつくられていて、南庭は、簡素な石組みを行った枯...
View Article胡宮神社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
胡宮神社は多賀町敏満寺にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)現在の本殿は1638年(寛永15)に新造されたことが、「多賀大社寛永造営記」や本殿擬宝珠銘によってわかる。(中略)建物の形式は正面柱数3間、奥行2間で向拝(こうはい)をつけた、いわゆる三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の形式であるが、平面および構造から見ると一間社流造の建物を二つあわせた形が発展したものである。(中...
View Article胡宮神社銅製五輪塔の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
胡宮神社は多賀町敏満寺にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)銅製五輪塔は、なかに水晶の舎利塔があり、底に1198年(建久9)12月重源(ちょうげん)施入の銘があり、五輪塔にくわえて建久9年12月19日の日付がある重源の寄進状がそえられている。この五輪塔はただしくいえば五輪舎利塔というべきもので、東大寺勧進職の俊乗坊重源(ちょうげん)がいまは廃寺となった敏満寺へ寄進したものである...
View Article甲良神社権殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
甲良神社甲良町尼子にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)もと本殿で1883年(明治16)社殿改築のさいに境内で移建された。1950年(昭和25)の解体修理で向拝奥肘木(こうはいおくひじき)より1634年(寛永11)の墨書を発見し権殿の建立年代が判明した。権殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、桧皮葺で正面の柱間2.736m、奥行は母屋やと向拝をあわせて4.687m。柱間に...
View Article石山寺一切経の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
石山寺は大津市石山寺一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「奈良~室町時代までの経典をあつめた一切経で、4644帖と付属分199巻が重要文化財に指定されている。おおむね写経であるが、一部版経も交える。中心をなすものは、院政期(11世紀半~12世紀)のもので、約65%をしめる。これは僧念西が1148年(久安4)一切経書写の発願(ほつがん)を行い、整備をおしすすめたことによるとおもわれ...
View Article石馬寺木造役行者(えんのぎょうじゃ)および二鬼像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
石馬寺は東近江市五個荘石馬寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「像高は役行者112.5cm、鬼(左)47.6cm、鬼(右)48.8cm。行者像は頭部・体部をべつべつにおおよそ前後2材をよせて内刳(うちぐり)し、その両脇や両肩以下、脚部など適宜に材木をよせてつくる。また二鬼も頭部・体部をべつべつにおのおの複数の材からつくっている。行者像の顔の肉取りや肋骨(ろっこつ)をのぞかせる胸など...
View Article安楽律院絹本著色弥陀(けんぽんちゃくしょくみだ)三尊二十五菩薩来迎図の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
安楽律院は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)安楽律院に伝来する阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図は現在比叡山内にある来迎図としては最もすぐれたものである。来迎する諸菩薩の姿態もおおらかで、藤原仏画の優雅さを残しています。紫雲にのって来迎する諸尊の下方には、往生者の屋舎やそれをとりまく自然の豊かな描写があり、この図は鎌倉時代の初めに制作されたと考えられる。往生者の屋舎の...
View Article永昌寺木造地蔵菩薩立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
永昌寺は甲賀市水口町宇川にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)像高154.9cm。両手・両足をのぞいたほぼ全身をヒノキの1材から彫出して内刳(うちぐり)しない。両手・両足先や袖先の一部、台座、光背は後補となるが、褪色(たいしょく)がはげしいとはいえ当初の彩色ものこし、保存は良好である。きびしさののこる表情や大きな耳、肉身をあまりみせずに渦文や翻波式衣文をきざむ衣の表現などは、そ...
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