延暦寺天台法華宗年分縁起の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「天台宗草創期の最澄自筆の文書を継ぎ合わせ1巻としたものである。すなわち、(1)は南都六宗(華厳(けごん)・律(りつ)・三論(さんろん)・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(ぐしゃ)の6宗)にくわえて、天台法華宗にも年間2人の年分度者(ねんぶんどしゃ)(各宗派において1年間にゆるされる得分度者(とくぶんどしゃ)のことで、...
View Article延暦寺伝教大師将来(請来)目録の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「804年(延暦23)に遺唐船で入唐(にっとう)をはたした最澄は、在唐1年ほどで帰朝するが、それに先立ち、日本へもちかえる経典類・仏具などを記した目録である。もとは天台山を中心とする目録と越州における目録の2種が作成されたが、惜しくも1571年(元亀2)の織田信長による延暦寺焼討ちで焼失し、現在は越州分がのこるだけである。最澄自...
View Article延暦寺大講堂(旧讃仏堂)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「創建は828年(天長5)とつたえ、その後5回の焼失・再建をくり返し、さらに1571年(元亀2)焼失後、寛永年間(1624~1644年)根本中堂とともに再建された大講堂は正面33.64m、奥行20.91m、高さ23.56m、禅宗様を基調とした豪壮な大建築であったが1956年(昭和31)に全焼した。現在の大講堂は東照宮の本地堂とし...
View Article延暦寺常行堂および法華堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)西塔の法華堂は825年(天長2)に、常行堂は893年(寛平5)に創建され、以後焼失・再建のくり返しが記録にみられるが、1571年(元亀2)焼失後1595年(文禄4)転法輪堂とともに再建されたのが現在の両堂で、転法輪堂正面の高い位置に南面してたつ。両堂とも正側面の柱間数5間で、12.33m四方の正方形平面、宝形造の屋根は...
View Article延暦寺紙本(しほん)墨書山門再興文書の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「比叡山延暦寺は、1571年(元亀2)の織田信長による山門焼き討ちによって山上の堂塔、山下の日吉社まですべて灰燼に帰したことは著名である。山門再興の動きが本格化したのは、信長の死後2年をへた1584年(天正12)になってからである。豊臣秀吉は、その年の5月1日に山門の有力僧であった正覚院豪盛(ごうせい)、徳雲軒(施薬院(せやくい...
View Article延暦寺七条刺納袈裟(のうけさ)・刺納衣(さしのうえ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「七条刺納袈裟・刺納衣ともに延暦寺を開いた最澄が、中国から日本に将来したものと伝えられている。ともに1963年(昭和38)の文化財総合調査で発見された。(中略)七条刺納袈裟は全体が七条に仕立てられ、各条の二長一短の田相部は茶の麻を下地として太細長短の入りまじった白、茶、淡紫の麻の繊維をほぐしてのせ、全体に刺子でぬっている。この袈...
View Article延暦寺四季講堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)講堂はもと慈恵大師良源の住房(定心房)跡に、967年(康保4)村上天皇の御願によって建立され、四季に大乗経を講ずるところから四季講堂という。建立後再三の興亡を経て1571年(元亀2)焼失後天正年中(1573~92)再建の堂も寛永年間(1624~44)台風で倒壊し、1652年(承応元)後水尾法皇の御願によって再建されたの...
View Article春日神社(栗東市)表門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
春日神社は栗東市荒張にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「建立年代は墨書銘より1613年(慶長18)とつたえられ、規模は小さいが形式のととのった本格的な和様四脚門(わようよつあしもん)である。正面2.68m、側面2.04m、高さ4.53mで形式の概要は、主柱を太目の円柱、4本の控柱(ひかえばしら)は面取(めんと)り方柱で柱頭に頭貫(かしあらぬき)をまわす。組物は控柱上が連三斗(つれみつ...
View Article園城寺(三井寺)木造如意輪観音坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「西国三十三所観音霊場の第14番目の札所、園城寺観音堂の本尊で秘仏としてまつられている。像高91.5cm。6臂で右足を立て膝とし連華座上にすわる。表面は後補の漆箔と下地におおわれている。頭体幹部は左右にヒノキ2材を寄せて内刳(うちぐり)し、たてた膝を含めて脚部を1材からつくり、また肩以下を適宜に矧ぎつけてつくっている。この像内に...
View Article園城寺(三井寺)木造智証大師坐像(御骨大師)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「智証大師円珍が891年(寛平3)10月齢78歳で没すると、弟子たちは大師の影像2?をつくり、1?を比叡山山王院の後唐院(のちのとういん)にまつり、他の1?に大師の砕骨を収めて、別院である園城寺唐坊に安置し廟墓とした。993年(正暦4)慈覚・智証両門の確執によって、智証門流の僧侶が後唐院の大師像を園城寺にうつし、砕骨をおさめた大...
View Article園城寺(三井寺)木造新羅(しんら)明神坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「園城寺北院の中心仏堂である新羅善神堂の主尊で、護法神の主座をしめる明神である。この明神は円珍が入唐求法をおわって帰国の途中、船にあらわれて円珍のために仏法護持を約束し、円珍帰国後ふたたび姿をあらわして、仏法の道場としていまの園城寺の場所を指示したとつたえ、かたく社殿に封ぜられて拝観することをゆるさない神である。この説話がはじめ...
View Article園城寺(三井寺)木造護法善神立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「護法善神堂の主本尊秘仏で、訶梨帝母像とされるが、儀軌にあわず、吉祥天にちかい。『寺門伝記補録』によれば、智証大師円珍が5歳のおり、女神が降臨して未来を予言し、教法護持を約束したといい、唐から帰朝後、女神に戒をさずけて尼とし、寺内にむかえた。のち円珍は一祠をつくり、手刻の尼形神像を安置し、また5歳所見の天女影像をつくり讃州金倉寺...
View Article園城寺(三井寺)木造訶梨帝母倚像(かりていもいぞう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「護法善神堂に安置される。像高43.9cm。材はヒノキで、主体部は前後2材をよせてつくり、内刳(うちぐり)して玉眼を嵌入する寄木造の彩色像である。彩色は当初のものがよくのこり、切金による文様も華麗である。訶梨帝母は母子鬼神の異名をもつ女神で、幼児をとらえてくうという鬼女であったが、わが子をかくされたことに悲嘆し、改心して仏法の守...
View Article園城寺(三井寺)梵鐘の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「金堂(こんどう)の西方、霊鐘堂(れいしょうどう)に安置される古鐘。鋳銅製のみるからに大形な梵鐘で、撞座の位置が高くて龍頭(りゅうず)と直交するなど古式の形態をよくしめしています。火焔宝珠(かえんほうじゅ)の先端を欠くが、笠形を?み、上方になびくたてがみをもった龍頭の造形は力強いものがある。鐘身はゆるやかな張りをみせながら下降線...
View Article園城寺(三井寺)毘沙門堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「園城寺五別所の一院である尾蔵寺の南勝坊にあったが、1909年(明治42)南院円宗谷の上三尾社の下にうつし、さらに1956年(昭和31)観音堂北側の山腹に移築のさい復原整備された。1616年(元和2)の建立で、平面規模は正面1間で2.88m、側面と背面は、それぞれ2間で2.88mの小仏堂である。石積基壇上にたち、柱には粽(ちまき...
View Article園城寺(三井寺)三重塔の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)秀吉が奈良県比曽寺の塔を伏見城に移建し、さらに1601年(慶長6)家康が園城寺の唐院の一画に移建したものとつたえる。総高25.15mあり、県下に残存する三重塔7基中もっとも規模が大きく、木割も太くて南北朝ころの建物とみられている。心柱は当代の通例のとおり初重の折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)の上で支承され...
View Article園城寺(三井寺)銅鐘の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「園城寺に所蔵されている重要文化財梵鐘二口うちの一つ。一名朝鮮鐘とよばれるように、全体の文様が和様でないこと、龍頭(りゅうず)脇に甬(よう)という円筒形のとってが付加されるなどその典型をしめす。甬、肩、上下帯(じょうかたい)、乳郭(にゅうかく)などに蓮唐草を基調としたこまかな文様があらわされている。龍頭は、宝珠(ほうじゅ)を?み...
View Article園城寺(三井寺)唐院の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「唐院は868年(貞観10)仁寿殿を下賜されて中院の一画に移築し、円珍が唐から将来した経巻や法具類をおさめて伝法灌頂の道場としたのが始まりで、慶長再興にさいして金堂正面参道の西側に東面して大師堂をもっとも奥にし、唐門、灌頂堂、門と直線上に配して建立した。大師堂は1598年(慶長3)の棟札があり、正面3間で4.92m、側面2間で同...
View Article園城寺(三井寺)長日護摩堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「唐院の灌頂堂の南に東面してならぶ3間四方、各面5.91mの小堂で、正側面に縁をつけ、背面には灌頂堂へ通じる伝廊が付属している。寺伝では後水尾天皇(在位1611~29)の本願により建立されたとするが、あきらかな資料はまだ発見されていない。面取方柱に台輪をのせ、出三斗組(でみつどぐみ)で、中備(なかぞなえ)は正面中央間に蟇股(かえ...
View Article園城寺(三井寺)智証大師関係文書典籍の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)国宝の智証大師関係文書典籍は、(1)俗姓ならびに僧位関係6種、(2)入唐(につとう)関係文書5種、(3)求法目録5種、(4)伝法関係10種、(5)請来経典等8種、(6)自筆本3種、(7)付法印信関係その他9種に分類され全部で46種の多くをかぞえる。すべてが原本といわれ、しかも年代が明記され、当時の日唐関係はもちろんのこ...
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