園城寺(三井寺)大門(仁王門)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「金堂の東方に東向きにたつ美しい姿の三間一戸(さんげんいっこ)楼門です。もとは石部町の常楽寺にあった門を豊臣秀吉が伏見城にうつし、さらに家康が1601年(慶長6)当寺へ移築させたとつたえられる。上層の蟇股(かえるまた)から「大和国源六作...
View Article園城寺(三井寺)新羅(しんら)善神堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「このあたりにすみついた渡来人がまつった神が園城寺の鎮守として存続したもので、国宝木造新羅明神坐像を安置する。現在の建物は1336年(延元元)新田義貞らの攻撃時に焼失後、足利尊氏の援助で1347年(貞和3)ころ再建された。母屋(もや)の正面柱間3間(6.16m)、側面2間(3.66m)の前に1間(2.14m)通りの前室(庇(ひさ...
View Article園城寺(三井寺)鐘楼の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「金堂の前方東寄りにあります。梵鐘には旧鐘の大きさを参考にして1602年(慶長7)に新鋳した旨の長吏道澄法親王の誌銘があり、この鐘楼も当時再建されたものである。平面規模は正面(桁行(けたゆき))の柱間数2間で4.67m、側面1間で3.82m。6本の円柱に地覆(じふく)、腰貫(こしぬき)、内法貫(うちのりぬき)および頭貫(かしらぬ...
View Article園城寺(三井寺)紙本墨書大蔵経の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「足利尊氏(1305~58)が1354年(文和3)12月23日の母の13回忌追善供養のため発願、書写せしめた大蔵経である。祥月命日に完成させるべく、京都・奈良・鎌倉などの諸寺の僧に命じて書写させたが、そのなかには夢窓疎石(むそうそせき)の高弟春屋妙葩(しゅんおくみょうは)・空谷明応などの著名な人たちの名もみえる。尊氏自身も大般若...
View Article園城寺(三井寺)食堂(釈迦堂)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「天正造営の清涼殿を1621年(元和7)に移築したものとつたえ、正面の柱間数7間で15.46m、側面4間で8.84m、正面中央に1830年(文政13)に補加の唐破風造(からはふづくり)の向拝(こうはい)をつけ、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で住宅風の建築である。正面1間通りを吹放しとしているが、周囲1間通りは化粧屋根裏で庇の扱いとし...
View Article園城寺(三井寺)金堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「園城寺金堂は1595年(文禄4)に豊臣秀吉の命令によってとりこわされ、延暦寺西塔に移築され釈迦堂となったが、1598年(慶長3)秀吉は園城寺の再興をゆるし、北政所の力をえて翌年金堂がほぼ完成し、その翌年遷仏供養が行われた。こに金堂は前身堂と同じく正側面ともに柱間数7間で、側面の前から第2間は柱間2間の中央柱を内法(うちのり)上...
View Article園城寺(三井寺)光浄院客殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「光浄院は園城寺の子院の一つで、室町中期に山岡美作守資広が創立したとつたえ、その子孫暹慶は光浄院に住したが、還俗して織田信長、豊臣秀吉につかえ、のち再び入道となって道阿弥となのった。1595年(文禄4)秀吉の園城寺破却後、照高院道澄とともに秀吉の恩赦をえるため努力し、客殿は1601年(慶長6)に再建をみた。この客殿は南側に中門廊...
View Article園城寺(三井寺)絹本著色(けんぽんちゃくしょく)不動明王八大童子像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「不動明王を中心に、3人の童子と5人の侍者を配する特異な不動像で、この像容は、『別尊雑記』(べっそんざっき)などに収録の智証大師請来の五菩薩五忿怒像(ごふらいごふんぬぞう)中の不動と一致するもので、円珍(えんちん)が唐より請来した図像をもとに描かれたことがわかる。不動は総髪(そうはつ)で、弁髪(べんぱつ)を左耳前にたらし、両眼と...
View Article園城寺(三井寺)絹本著色(けんぽんちゃくしょく)不動明王像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「黄不動尊と称される不動で、わが国明王画像の白眉(はくび)とされている。(中略)『天台宗延暦寺座主円珍伝』に、円珍が838年(承和5)25歳のとき比叡山の石龕(せきがん)で修行中、感得した金色不動明王を画工にえがかせたとある。その画像がこの黄不動尊である。画像は真正面をむいて、上半身は裸形で条帛をつけず、右手に剣、左手に羂索(け...
View Article園城寺(三井寺)観学院客殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「観学院は園城寺の子院の一つで、1312年(正和元)房海僧正が執権北条貞時の助力を得て創設したとつたえる。現在の客殿は、中門廊の脇障子竹の節の墨書から、「慶長五年五月廿九時奉行云々」の墨書が発見され、光浄院客殿と同時期に再建されたことがわかるが、平面が大きく、光浄院の2列配列と相違して3列に配し、主室は2間通しの大床として、床脇...
View Article園城寺(三井寺)一切経蔵の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この経蔵は毛利輝元が1602年(慶長7)山口の国清寺からうつして寄進したもので、なかには一切経をおさめた八角回転式の輪蔵があります。経蔵は1間四方の母屋(もや)を宝形造(ほうぎょうづくり)として頂点に露盤・宝珠をのせ、母屋の周りに裳階(もこし)をつけ、ともに桧皮葺(ひわだぶき)で外観は二重の建物である。裳階の平面規模は...
View Article園城寺(三井寺)閼伽井屋(あかいや)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「1600年(慶長5)の建築。金堂の西側で清水のわきでる泉の岩組をかこった形に東を正面としてたち、正面の柱間数3間で5m、側面2間で3.03m、方柱に長押(なげし)をつけ、正面は格子戸、他の3面は板壁で、正側面の上部に花狭間菱格子(はなざまひしごうし)の欄間を入れ、柱上に出三斗組(でみつどぐみ)、正面中央に竜を彫刻した蟇股(かえ...
View Article小野篁(たかむら)神社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
小野篁神社は大津市小野にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「切妻造(きりづまづくり)平入の本殿は全国的に遺構が少なく、県下では志賀町においてこの本殿と同じく小野神社の飛地境内社である道風神社本殿に天皇神社本殿を加えて3棟の重要文化財をかぞえるにすぎない。この本殿は道風神社本殿と同じく1341年(暦応4)ころの建築で、規模は3棟中でもっとも大きく、母屋(もや)は正面柱間数3間で5.02m...
View Article小津神社木造宇迦乃御魂命(うかのみたまのみこと)坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
小津神社は守山市杉江町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)小津神社本殿に安置される女神像で、髪を左右に分けて垂らし、唐服を身につけ、左膝を立ててすわる。両手はそれぞれ膝の上に置き、左手には宝珠形のものをもつ。下ぶくれの顔に、伏し目の両眼、大ぶりの鼻、分厚い唇を彫り出し、豊満さとともに気品のある顔だちをあらわしている。体部のがっしりとした肉付けや、膝部にみられる翻波(ほんぱ)風...
View Article小槻大社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
小槻大社は栗東市下戸山にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「現在の本殿は棟札写によると永正16年(1519)青地駿河守元真の寄進・再建で、大工は栗田口の山口三太夫であったことがわかる。正面の柱間2.948m、奥行は母屋(もや)と向拝(こうはい)を合わせて5.066mで、。一間社流造(いっけんしゃながれづくり)としては規模が大きく、浜床は框(かまち)1段の高さで、柱間に対して全体の背が低...
View Article押立神社本殿・大門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
押立神社は東近江市北菩提寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「本殿は、南北朝時代(1373年=応安6)に建立された正面柱間3間、奥行3間の流造(ながれづくり)で、県下に多数現存する前室付流造の1棟であるが、なかでも古例に属し、平面規模も大きい堂々とした建物のである。外観は向拝廻りが後世に改変をうけているが、正面中央間の蟇股(かえるまた)や妻飾の拳鼻(こぶしはな)は当初の姿をよくのこ...
View Article大津町古絵図の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「山田豊三郎家(中略)蔵の紙本著色(淡彩)の絵図(南北77.2cm、東西117cm)で、1742年(寛保2)に書写されたものである。絵図には湖水ならびに溝水筋、大津町の人家、松本村・馬場村、山林、堂社、園城寺院などそれぞれ色分けをする。そしておよそ90にのぼる大津町名や寺院名・神社名などをかきいれている。とくに湖上交通による物資の荷揚場である「関」や人馬会所、札...
View Article真宗大谷派大津別院本堂・書院の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
真宗大谷派大津別院は大津市中央二丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)東本願寺が分立する気運が生じたころ、1600年(慶長5)教如が造営に着手し、本堂は翌年完成したと伝えるが、規模などはあきらかでない。現在の本堂は1649年(慶安2)の再建で、東向きにたち、最奥の中央間に阿弥陀如来像をまつり、その左右に余間を配し、それら室の前面は84畳敷の大きな部屋で参詣者の場となる。さら...
View Article大津絵節の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)『守貞漫稿』(喜田川守貞著)によると、大津絵節は文政年間(1818~20)のころから大阪でうたわれはじめたようである。元唄は長寿翁、雷公、鷹匠、藤娘、座頭、鬼念仏、瓢?鯰、槍持奴、釣鐘弁慶、矢根五郎の10種の大津絵の画題をうたいこんでいるので「大津絵節」という。唄は幕末から明治にかけて全国的に流行し、替唄がたくさんできた。替歌の文句は大津絵とはほとんど...
View Article大笹原神社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
大笹原神社は野洲市大篠原にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「1414年(応永21)の再建で、平面は正面の柱間数3間で4.99m、側面も3間で4.76m、正面に柱間2.04mに向拝。内部は前後を3つに区画し、(中略)最前列の間は3方に花狭間格子戸(はなざまこうしど)をたて、廻縁(まわりえん)も一段低くなっているが、内法長押(うちのりなげし)はおなじ高さにまわり、柱上出三斗組(でみつどぐ...
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