栗東市の高野(たかの)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「栗太郡栗東町高野に所在。別称由岐志呂(ゆきしろ)宮。祭神は大名草彦命(おおなぐさひこのみこと)。式内社であるが創立年代は未詳。社記によると、851年(仁寿元)に正六位上の神階を授与されて以来、1290年(正応3)には正一位をうけるにいたるが、確たる典拠はない。1483年(文明15)には、吉田家より大明神の社号を与えられたことをしめす宗源宣旨をつたえる。なお神社...
View Article大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市馬場1丁目にある。単立寺院。室町時代末期、近江守護佐々木六角氏が、粟津合戦で敗死した木曽義仲(きそよしなか)の供養のため一寺を建立して石山寺の末寺としたものとつたえるが、さだかでない。江戸時代には三井寺(園城寺)の末寺にかわったようだ。江戸中期までは、義仲塚のめじるしの柿の木が境内にあるのみの小寺であった。1689年(元禄2)12月松尾芭蕉が滞在し、16...
View Article野洲市の円光寺(えんこうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「野洲町久野部にある天台真盛宗の寺。1571年(元亀2)の兵乱後、天台宗長福寺と真盛派円光寺を合併したことから歓喜山長福院(かんぎさんちょうふくいん)円光寺と称されている。長福寺は790年(延暦9)伝教大師の草創とつたえ、本尊は聖観音。1257年(康元2)の棟札をもつ現在の本堂(重文)は同寺の本堂であった。円光寺は阿弥陀如来(重文)を本尊とし、同寺の諸仏は兵災を...
View Article東近江市の永源寺(えいげんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「神崎郡永源寺町高野にある臨済宗永源寺派本山で瑞石山と号する。本尊は観世音菩薩。『永源寺文書』によれば、開山は寂室大和尚で諱(いみな)は元光、1320年(元応2)入唐し、彼の地の名山霊地をめぐり、7年をへて帰国。あるとき、近江をたずねたが、守護の佐々木氏頼がこれにふかく帰依し、今の寺地に伽藍を建立した。開山は1361年(康安元)1月18日。翌年9月、氏頼は寺の食...
View Article大津市の岩間寺(いわまでら)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市石山内畑(うちはた)町にある。岩間寺は通称で、正しくは岩間山正法寺(しょうぼうじ)という。真言宗醍醐派。越(こし)(古代の北陸地方)の大徳といわれ、加賀の白山をひらいた泰澄が、722年(養老6)元正天皇の勅(ちょく)を奉じて、近江・山城国境の岩間山中にうつり住み、一寺を建立して千手観音を安置したことにはじまるとつたえる。紀州(和歌山県)熊野、大和(やまと...
View Article大津市の石山寺(いしやまでら)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市石山寺1丁目に所在。東寺真言宗。山号は石光山。西国巡礼三十三所第十三番の札所。東大寺の僧良弁の開基で、はじめ華厳宗であったが10世紀の初めに聖宝が第1代庵主になって真言宗にあらためられ、真言密教の道場となった。東大寺の建立のさいに、高島と甲賀郡から用材がはこばれたが、その集荷を管理するために「石山院」がもうけられた。これが石山寺の前身で762年(天平宝字...
View Article東近江市の石馬寺(いしばじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「神崎郡五個荘町大字石馬寺にある臨済宗妙心派の寺院で繖山(きぬがさやま)と号す。本尊は十一面観音。『近江輿地志略』は寺記を引用し、寺は聖徳太子の開基とつたえ、「太子の乗りたる駿馬、この地にたおれ死して石となる。よって寺名これに因む」とある。もとは天台宗であることは、町内に日吉の地名のあること、『華頂要略』『雨森文書』に新日吉庄、日吉神田のことがみえ、この地に日吉...
View Article野洲市の安楽寺(あんらくじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「野洲郡野洲町市三宅(いちみやけ)。願生山(がんしょうざん)と号する。浄土宗。1534年(天文3)に安土浄厳院(じょうごんいん)6世仙誉殊慶(せんよしゅけい)の開創で、はじめ天台宗に属していたが、のち浄土宗に改宗した。1740年(元文5)柔誉西弁(じゅうよさいべん)が再興して現在におよぶという。本尊の木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作、また不動堂安置の木造聖観音立...
View Article東近江市の赤人寺(あかひとでら)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡蒲生町大字下麻生にある天台寺院で養老山と号する。本尊は観世音菩薩。山部赤人の草創といいつたえられているが詳細は不明。しかし当時の様子については、山部神社に中世文書がのこされており、それらは大半が赤人寺への田畑の寄進状であり、この寺が地域の観音信仰とふかくむすびついていることがわかる。また文書は麻生庄における条里を考えるうえでも貴重である。境内の石造七重塔...
View Article大津市の建部大社(たけべたいしゃ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市神領1丁目にある。祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。権殿に大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)をまつる。社伝によれば、神崎郡建部郷に日本武尊の妃布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が創建。日本武尊を祭神としたのが始まりという。その後、675年(天武天皇4)瀬田大野山山頂に遷座し、755年(天平勝宝7)、瀬田神領の現在地にうつった。その間、107...
View Article愛荘町の大隴(だいろう)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「愛知郡愛知川町大字長野。祭神は伊邪那美命、健速須佐之男(たけはやすさのおの)命、大山咋(おおやまくいの)命、大物主命。当社は『近江輿地志略』に大領社、長野大領堂『大般若経』の奥書に長野庄大領大権現とあり、もと大領の字をあてていた。(後略)(森山宣昭)」とあります。なお、愛知郡愛知川町大字長野は現在愛荘町長野になっています。 参考資料: 1 滋賀県百科事典...
View Article愛荘町の宝満寺(ほうまんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「愛知郡愛知川町大字愛知川にある真宗大谷派の寺。はじめ大国寺といいい、寺伝によると宝亀年間(770~781)に、僧知徳が大日如来を本尊として、豊満(とよみつ)神社の東方に創建した。786年(延暦5)に秦豊満が再建し、豊満神社の別当寺として豊満寺とあらためた。1212年(建暦2)親鸞の入寺して、住持慈全を弟子とし、真宗に転じ、1372年(応安5)宝満寺とあらためた...
View Article高島市の保福寺(ほうふくじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡新旭町大字安井川字東畑にあり、曹洞宗正伝寺末で、神崎山保福寺と称する。本尊の木造釈迦如来坐像は1901年(明治34)に国宝に編入され、現在は重要文化財である。本寺は仏通和尚が創立し、1368年(貞冶7)に死去した長尊公が開基といわれる。その後二百十余年のあいだ本寺がなかったが、慶長年間(1596~1614)新旭町の正伝寺第3世黙室によって中興され曹洞宗と...
View Article彦根市の清涼寺(せいりょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「彦根市古沢町大洞(おおほら)にある曹洞宗、永平寺派の寺。佐和山城をほろぼした井伊直政はこの地に封じられたが、1602年(慶長7)2月に没したのでこの地を墓所として法名の文字をとり、祥寿山清涼寺と称して開基とした。井伊家代々の墓所として彦根で没した人びとを葬る。歴代の住職は、徳川重臣の権勢で諸国より高僧を請じたので修業道場として名声がたかまり、彦根の清涼寺として...
View Article大津市の西岸寺(せいがんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「滋賀郡志賀町大字和迩中(わになか)にある。浄土宗鎮西派の寺。法泉山といい、1562年(永禄5)7月にひらく。1628年(寛永5)3月、京都乗願寺の末寺となる。本尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代のもので重要文化財。(浅井喜美)」とあります。なお、滋賀郡志賀町大字和迩中は現在大津市和邇中になっています。 参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編...
View Article高島市の水尾(みお)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡高島町大字拝戸にあり、拝戸の氏神、式内社。江戸時代までは三重生神社。創建は不詳だが、奈良時代にはすでに創建されていた。祭神は水尾川(今の和田内川)をへだてて南本殿に猿田彦命(さるたひこのみこと)(河南社)、北本殿に天鈿女命(あめのうずめのみこと)(河北社)といわれたが、近代においては磐衝別命(いわつくわけのみこと)(南)と比咩神(ひめのかみ)(北)として...
View Article長浜市の豊国(ほうこく)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「長浜市南呉服町蓮池に所在。祭神として豊国大明神ならびに加藤清正、木村長門守がまつられている。1600年(慶長5)8月18日に創建され、開町の城主豊臣秀吉の恩恵を感じ、秀吉薨後豊国大明神としてまつっていたが、1615年(元和元)大坂落城とともに豊臣氏はほろび、徳川氏の豊臣氏系列の詮索がきびしく、豊国神社をこわすことを命じたが、町民は策を構じて守りとおした。寛政(...
View Article大津市の平野(ひらの)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市松本1丁目にある。祭神は猿田彦大神。創建年代未詳。創建当初は山城国桂の宮に鎮座していたが、後鳥羽上皇の承元元年(1207)、近江国滋賀郡岡山平尾ヶ嶽に遷座し、1574年(天正2)現在地にうつった。同社が一時鎮座した岡山は元宮とよばれ(現、大津市本宮)、精大明神(蹴鞠の神)と刻された碑がたっている。江戸時代には、蹴鞠を家職として免許をあたえる飛鳥井・難波両...
View Article野洲市の兵主(ひょうず)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「野洲郡中主町大字五条に所在。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)。延喜式名神大社。この社名は、延喜式内社中もっとも多く17社をかぞえるが、兵主神は『史記封禅書』にみえる武神として上代から中国で信仰されていた。日本各地の兵主神社は日本にわたった漢人が奉じた神社ともかんがえられている。創祀は社伝によると、元来兵主(つわものぬし)大神は景...
View Article米原市の日撫(ひなで)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡近江町顔戸77に所在する延喜式坂田5社の1社。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、応神天皇、息長宿禰王(おきながすくねおう)の3神、神功皇后戦勝を祈願、復員のとき建立したと社記にある。一説に後鳥羽天皇のとき(1183~97<寿永2~建久8>)勧請とあるが、それでは『延喜式』に記録のはずがない。朝妻庄11字の総社でもと県社。鳥居本はこの神社...
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