長浜市の宝厳寺(ほうごんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡びわ町早崎字竹生島1664-4に所在する新義真言宗豊山派の寺。山号は巌金山。本尊は大弁才天。この寺がふるい記録にあらわれる最初は、『東大寺三綱記(さんこうき)』で、近江国末派の部に「竹生島寺、浅井郡湖中にあり、行基菩薩開基」とあって、東大寺と本末関係にあったことがわかる。『竹生島縁起』には、738年(天平10)行基この島にきて霊異を感じ、草庵をむすんで...
View Article米原市の福田寺(ふくでんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡近江町長沢にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は布施山(ふせざん)。本尊薬師如来、元東方2kmの布施町薗原(そのはら)で湖北の豪族息長布施王(おきながふせおう)のため、僧三修の高弟名超童子が大安寺の末寺として建立したという。役小角(えんのおづぬ)の開山説もある。当時は布施寺と称していた。その後の住職、本着坊善顕(ほんちゃくぼうぜんけん)が法相宗から浄土真宗...
View Article東近江市の百済寺(ひゃくさいじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「愛知郡愛東町百済寺丁(てい)にある天台宗の寺で釈迦山と号する。本尊は十一面観音菩薩。同寺文書勧進帳序文によれば聖徳太子の開基で高麗僧恵慈が導師、かつ百済僧道欣が供養するとある。『日本書紀』には595年(推古3)、恵慈が渡来し翌年法興寺に入寺すとある。愛知郡は依知秦氏の繁栄した地で彼らとのかかわりが推定でき、したがって寺名はそれにちなむものかもしれない。また、『...
View Article長浜市の徳勝寺(とくしょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「長浜市平方(ひらかた)町にあり、山号を興福山という。俗に生駒の徳勝寺といい、開創の年次は不明であるが、応永(1394~1428)のころ竜山株源が再興し、浅井亮政が小谷城をきずくにあたり、小谷山麓清水谷にうつして菩提寺とした。1573年(天正元)浅井氏がほろび、木下秀吉が浅井氏の旧領を知行するにあたり、その城府を長浜にうつすとともに移築されたものである。小谷にあ...
View Article高島市の洞照寺(どうしょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡朽木村大字雲洞谷(うどだに)字上村(かみむら)にあり、曹洞宗興聖寺末で、白雲山洞照寺と称する。本尊は延命地蔵尊。1431年(永享3)12月と1461年(寛正2)11月の売券(ばいけん)に洞照寺の名がでている。大字野尻には洞照谷、洞照山の地名があり、あるいはこの寺はもと野尻にあったものか。素雪が1663年(寛文3)に開創した。このとき天台宗から曹洞宗へ改宗...
View Article大津市の東光寺(とうこうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市大萱2丁目に所在。曹洞宗。山号は瑠璃山。本尊は薬師如来(鎌倉期)。1910年代に本堂の裏から出土したという花弁紋や布目の瓦から、この地に飛鳥時代の大寺があったことがわかる。中世には天台寺院としてさかえたが、信長の兵火にかかり焼失したという。その後、本尊をまつる薬師堂が建てられ、禅宗寺院となった。はじめ黄檗宗、のち曹洞宗にかわった。この寺の入口付近に大門、...
View Article近江八幡市の長命寺(ちょうめいじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「近江八幡市長命寺町にある天台寺院。山号は姨綺耶山(いきなさん)で本尊は観世音菩薩、西国順礼第三十一番札所でもある。開基は聖徳太子というが詳細不明。865年(貞観7)奥島に阿弥陀寺(神宮寺)が創建されたが、これが契機となり、この地は聖のすむところとなったが(『近江輿地志略』)、院政期には三十三所の観音霊所に位置づけられた。さらに1184年(元暦元)、佐々木秀義の...
View Article長浜市の長照寺(ちょうしょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡高月町唐川(からかわ)、真宗大谷派。伊香平野の中央にある湧出(ゆるぎ)山南麓に有名な赤後寺(しゃくごうじ)観音と並立している。この地は古代富永(とみなが)荘であって、山号も富永山で初期は天台宗。1290年(正応3)住僧覚了が覚如上人に帰依し、真宗に転じた。のち織田信長との争いに、了西とその子教西が顕如上人にしたがい石山合戦に参加。関ヶ原合戦には教西が功を...
View Article湖南市の長寿寺(ちょうじゅじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀郡石部町東寺にある天台宗の寺院。山号は阿星山。松並木の参道を行くと、右手に石造多宝塔があり、その規模は日本最大。前方に低く平らな本堂(国宝)がある。(中略)本堂の内部構造は古い名残をとどめ、古建築史上重要な堂である。また最近たてられた収蔵庫に阿弥陀如来坐像(重要文化財)の大仏がまつられている。(中略)その前に、小建築ながら天文19年(1550)の墨書のある...
View Article甲賀市の大池寺(だいちじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀郡水口町名坂にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は竜護山。(中略)寺伝では天平年間(729~749)この地方をおとずれた行基が、今も寺の周囲にある四つの大きなため池「心字の池」をつくり、そのほぼ中央に本堂をたてたという。「心字の池」はそれから千余年間、灌漑用水として周辺の水田をうるおしてきた。もと天台宗であったが、鎌倉時代に禅宗に転じ隆盛をほこったが1577年(...
View Article近江八幡市の桑實寺(くわのみじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡安土町桑実寺にある天台寺院。山号は繖山(きぬがささん)で本尊は薬師如来。『縁起』によれば寺号の桑實寺はこの地に桑の木がはえたことにちなむとあり、また「病即消滅ノ霊場、不老不死ノ仙窟ナリ」と記されているが、繖山頂上付近には巨岩が露頭しており、古代には巨岩にたいする信仰のあったことが考えられる。さらに、それが薬師如来の信仰とむすびつき衆生の病苦、無明の痼疾(...
View Article大津市の縁心寺(えんしんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市丸の内町にある。山号は梅香山。江戸時代は浄土宗の智恩院の末寺であったが、現在は単立寺院。1602年(慶長7)本多康俊が、実父酒井忠次の追福のため、源蓮社洪誉(げんれんしゃこうよ)を開基として、三河国西尾(愛知県西尾市)城下に建立したもの。寺名は、忠次の諡(おくりな)の先求院縁心公にちなむ。1617年(元和3)本多康俊の膳所移封にともない、寺もまたうつって...
View Article日野町の馬見岡綿向(まみおかわたむき)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡日野町村井にある。祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)、武三熊大人命(たけみくまおうしのみこと)をまつる。『延喜式』神名帳に「馬見岡神社二座」とあり、馬見岡綿向神社説と近江八幡市馬淵町の馬見岡神社説がある。884年(元慶8)紀貫之によって記された『梁間銘(りょうかんめい)』には綿向山頂上の大嵩社(おおたけしゃ)は天穂日...
View Article高島市の日置(ひおき)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡今津町大字酒波(さなみ)にあり、旧川上荘の総社である。祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)、日置宿禰命(ひおきすくねのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、天櫛日命(あめのくしびのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)をまつる。中世には酒波岩剣(さなみいわつるぎ)大菩薩といったのを、江戸時代には岩剣大明神または若岩...
View Article大津市の天孫(てんそん)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市京町3丁目にある。801年(延暦20)3月桓武天皇が大津旧都に行幸のさい、湖南鎮護の神として海神(海幸彦)に関係する彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)(山幸彦)を勧請したことに始まるといわれる。のち伊勢屋町にうつり文明年間(1469~87)現在地に遷座。その間、1193年(建久4)近江守護佐々木(六角)定綱が社殿を造営し神供田を寄進。永禄年中(1558...
View Article米原市の筑摩(ちくま)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡米原町朝妻筑摩の湖岸にある。祭神御食津神(みけつおおかみ)、大歳神(おおとしのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、大市姫神(おおいちひめのかみ)の4神、創祀は社伝によれば362年(孝安天皇28)である。852年(仁寿2)従五位下をうけた古社。大膳職御厨(みくりや)の地をしずめる式内社に準ずる神社であった。太古には東方の近江町岩脇(いおぎ)石仏山麓に所...
View Article甲賀市の田村(たむら)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀郡土山町南土山に所在。(中略)社伝によると、822年(弘仁13)坂上田村麻呂を祭神としてたてられという。明治初年、近くの氏神を廃してここに合祀し、今日の壮大な姿になった。「田村」という名称は農地にかかわる産土神(うぶすながみ)であり、主神のほか、大山咋命(おおやまつみのみこと)、稲倉魂命(いなくらだまのみこと)の農耕神をまつる。(中略)国道に面した銅鳥居は...
View Article草津市の立木(たちき)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「草津市草津4丁目に所在。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)。江戸初期の社記によれば、767年(神護景雲元)11月17日、常陸国(現、茨城県)鹿島明神がこの地につかれ、1本の柿の木をうえつけられたことから、立木大明神と称され、同地周辺の村の人びとから崇敬されたという。778年(宝亀9)には神木に隣接して社殿が造営されたが、その後数度の火災にあった。現在の社殿...
View Article長浜市宮司町の日枝(ひえい)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)社伝によれば739年(天平11)天津児屋根命を勧請し、1113年(永久元)大山咋(おおやまつみ)尊を祀り、以後山王神社と称すという。すなわち坂田庄内の大社で宮川村、下司村、大東村、室町、大辰巳村、勝村、四塚村、の7カ村の総社として、神事祭礼には7カ村共同で執行してきた。佐々木京極氏代々の崇敬あつく、江戸時代になって、当地に封ぜられた堀田氏も尊崇心があつ...
View Article東近江市の高木(たかぎ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡蒲生町大字岡本に所在。祭神は、高産乃霊神(たかむすびのみたまのかみ)・大己貴命(おおなむちのみこと)。724年(神亀元)4月創立、高岡宮といった。1696年(元禄9)3月高木大明神と改称。旧村社。本殿は、室町期の三間社流造で、境内の日吉神社社殿とともに重要文化財である。(後略)(浅井喜美)」とあります。なお、蒲生郡蒲生町大字岡本は現在東近江市蒲生岡本町に...
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