『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市馬場1丁目にある。単立寺院。室町時代末期、近江守護佐々木六角氏が、粟津合戦で敗死した木曽義仲(きそよしなか)の供養のため一寺を建立して石山寺の末寺としたものとつたえるが、さだかでない。江戸時代には三井寺(園城寺)の末寺にかわったようだ。江戸中期までは、義仲塚のめじるしの柿の木が境内にあるのみの小寺であった。1689年(元禄2)12月松尾芭蕉が滞在し、1691年(元禄4)には、この地を愛する芭蕉のために「粟津(あわず)草庵(のちの無名庵)」がたてられ、湖南蕉門のつどう俳諧の中心地となっていった。1694年(元禄7)大阪で客死した芭蕉は、遺言によって同寺に葬られている。現在、同寺境内には、木曽義仲の墓と松尾芭蕉の墓がならび、芭蕉の門人又玄(ゆうげん)の「木曽殿と背中合せの寒さかな」の句碑がたつ。芭蕉の死後、同寺は一時すたれるが、蝶夢(ちょうむ)が1769年(明和6)に芭蕉像をまつる翁堂(おきなどう)を、1791年(寛政3)には蕉門の遺品をおさめる粟津文庫を創建するなどして再興した。1856年(安政3)類火にあうが、翁堂は中村花渓(かけい)(大津商人鍵屋(かぎや)五兵衛)らによって再建されている。その後荒廃したのを、1965年(昭和40)再建。境内は国指定史跡。(立川 洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.196,
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2 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95,
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3 近江・若狭 小学館 1991年 S-1800- 91,
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4 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23,
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5 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.155-156,
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6 新修大津市史 第3巻 近世前期 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1980年 S-2111-3,
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7 新修大津市史 第8巻 中部地域 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1985年 S-2111-8,
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8 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ,
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9 日本名刹大事典 圭室文雄∥編 雄山閣出版 1992年 R-1859-タ,
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10 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ,
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