『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡米原町朝妻筑摩の湖岸にある。祭神御食津神(みけつおおかみ)、大歳神(おおとしのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、大市姫神(おおいちひめのかみ)の4神、創祀は社伝によれば362年(孝安天皇28)である。852年(仁寿2)従五位下をうけた古社。大膳職御厨(みくりや)の地をしずめる式内社に準ずる神社であった。太古には東方の近江町岩脇(いおぎ)石仏山麓に所在したが、交通の便をもとめて現在地に移転した。12haの境内に社殿完備、末社12別当6ヵ寺の大社であったが、平清盛に社領をうばわれ一時荒廃、のち佐々木定綱により再建、その後応仁の乱の兵火で焼失し、1564年(永禄7)湖北の豪族らにより神殿祭典を復興する。(後略)(籔田藤太郎)」とあります。なお、坂田郡米原町朝妻筑摩は現在米原市朝妻筑摩に、近江町岩脇も米原市岩脇になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.486,
参考資料:
2 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.318-320,
参考資料:
3 滋賀県神社誌 滋賀県神社庁∥編 滋賀県神社誌編纂委員会 1987年 S-1700- 87 p.452,
参考資料:
4 神社由緒記 三宅辨造∥編 滋賀縣内務部教育課 1921年 5-1700- 21,
参考資料:
5 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23,
参考資料:
6 全国神社名鑑 下 三浦譲∥編 全国神社名鑑刊行会史学センタ- 1977年 RB-1703-ミ,
参考資料:
7 神社名鑑 神社本庁調査部 神社本庁 1963年 R-1759-シ,
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