東近江市の今堀日吉(いまぼりひよし)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「八日市市今堀町に所在。祭神は大山咋命。延暦寺領である得珍保(とくちんぼ)の開発にともない日吉十禅師の神を勧請した。得珍保は上大森、大森、尻無、下二俣、柴原南、芝原、今堀、蛇溝、市辺、今崎、小今にまたがる蛇砂川流域で、院政期にはすでに水田開発がなされていたが、水量に限度があり、畑地も多かった。同社には946通にのぼる古文書がのこされており、得珍保の商業ならびに村...
View Article米原市の湯谷(ゆたに)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡米原町米原にあり、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、水門神(みなとのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、創祀は1183年(寿永2)、もと六所権現(ろくしょごんげん)といった。水陸の用地を占め山間から霊泉がわきでた故事により社名とした。別当寺に米泉(べいせん)寺(現、青岸寺)があった。交通軍事上の要所のため太尾山に京極(きょうごく)氏の支城があり、したが...
View Article米原市の山津照(やまつてる)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡近江町能登瀬にある延喜式坂田5社の一。祭神山津照大神、ほかに国常立尊(くにとこだてのみこと)説もあるが疑問。この地方は息長(おきなが)氏の本拠地で開化天皇の皇子彦坐王(ひこいますおう)3世の孫息長宿禰(おきながすくね)の居住地から推定すれば祭神は同氏に関係ある神と思われる。中古別当寺の寺僧青木氏が奉仕、自族の氏神を称して青木大梵天王(だいぼんてんおう)な...
View Article長浜市の矢合(やあい)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡虎姫町中野、虎御前山の南端丘陵上にある。延喜式浅井14社の一、祭神葦那陀神(あしなだおおかみ)とつたえられているが、ただしくは物部氏の勢力範囲の土地から考えて、物部氏の氏神布都努志乃命(ふつぬしのみこと)をまつったとする説がただしい。もと村社、以前は八相明神社と称した。境内をはじめ付近には物部氏のものらしい古墳が多い。境内には的場の跡があり昔は1月11...
View Article甲賀市の矢川(やがわ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀郡甲南町森尻にあり、野洲川の上流の地にふるくから所在。大己貴命(おおなむちのみこと)、矢川枝姫(やがわえひめの)命の祭神がこの場にまつられた時期は不明。祭神は川の神、水の神である。記録によると、907年(延喜7)に編纂された『延喜式』の神名帳に矢川神社の名があり、1103年(康和5)に神宮寺に矢川寺をおいたこともつたえられている。1585年(天正13)水口...
View Article甲賀市の水口(みなくち)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀郡水口町宮の前にある。祭神は大水口宿禰命(おおみなくちすくねのみこと)を主神とし、大己貴命(おおなむちのみこと)、須佐之男命、稲田姫(いなだひめ)の3柱をまつる。土地開拓の神といわれる。祭神の女神像は高さ24cmの小像で、丸顔、長髪の古代貴族の女性の姿をあらわした簡素な神像。本殿にむかって左前にある石灯籠は江戸初期、鳥居前の太鼓橋も江戸時代のもの。祭礼は4...
View Article野洲市の御上(みかみ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「野洲郡野洲町大字三上に所在。祭神は天御影(あめのみかげの)命。延喜式明神大社。「御上」の名称は、御神(みかみ)および神体山である三上(みかみ)山からきたと考えられている。創建は、国土開発の祖といわれる天御影命が三上山に降臨したのを御上祝(みかみのはふり)がまつったのにはじまり、のち718年(養老2)に藤原不比等(ふひと)が勅命をうけて現在の地に社殿を造営、日本...
View Article豊郷町の阿自岐(あじき)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「犬上郡豊郷町大字安食西(あんじきにし)に所在。祭神は、味耜高彦根(あじすきたかひこね)神・道主貴(みちぬしむち)神・天児屋根(あめのこやね)神ほか3神。式内社。はじめ安食大明神といった。社伝によると、景行天皇43年犬上君により創立という。明治初年改称(郷社、のち県社)。『延喜式』に「犬上郡七座のうち阿自岐二座」とある古い神社である。大化改新(645年)後、この...
View Article長浜市の伊香具(いかぐ)神社の概要が知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡木之本町大音(おおと)に所在。賤ヶ岳の南麓伊香山地先。祭神は伊香津臣命(いかつおみのみこと)と加久土(かぐど)神をまつった小社がある。小社は意太(おふと)社また大音(おとう)明神とよび、集落名と一致する。『三代実録』貞観7年の項に、物部族の祖伊香色雄命が大和伊香郷よりこの地にうつるとある。『延喜式』には伊香郡四十六座のうち、唯一の大神で後に系族が郡内各地...
View Article大津市の盛安寺(せいあんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市坂本本町。山号は瑞応山、天台真盛宗。文明年中(1469~87)、越前の朝倉貞景の家臣杉若盛安(すぎわかせいあん)が、西教寺の真盛(しんせい)に帰依(きえ)して廃寺を再興し、その名を寺名にしたものとつたえる。1571年(元亀2)山門焼打ちのとき兵火にかかるが、坂本城主明智光秀が再興。その後ふたたび兵火にあい、1652年(慶安5)に再建されている。そのころ、...
View Article栗東市の新善光寺(しんぜんこうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「栗太郡栗東町林に所在する浄土宗の寺院。仁治年間(1240~43)平重盛の末裔である小松宗定は、当地に住むようになって以来、平氏追善のため信濃国善光寺に参詣すること48回におよび、ついに霊夢を感じて分身たる阿弥陀如来を造像し、当寺を創立したという。1661年(寛文元)膳所(ぜぜ)藩主本多俊次は新堂を建立。以後本多家の信仰厚く寺領を安堵され、明治にいたる。なお木造...
View Article長浜市の神照寺(じんしょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「長浜市新庄寺町にある。真言宗智山派。山号は日出山。895年(寛平7)本覚大師(益信)が宇多天皇の勅を奉じて創建したとつたえられる。かつては七堂伽藍をととのえ300坊を有したが、たびたびの兵火をこうむり、そのつど足利氏、浅井氏、豊臣氏などが再興している。本尊千手観音および毘沙門天は、重要文化財であり、寺宝として国宝の華籠(けご)、重文の華鬘(けまん)などがある。...
View Article彦根市の北野寺(きたのじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「彦根市馬場(ばんば)1丁目に所在する真言宗豊山派(ぶざんは)の寺。山号は金亀山(こんきざん)。由緒については不詳とされている。彦根城築城以前は彦根山の西の峰にあったという。(中略)『扶桑略記』に「彦根寺験記」なるものがある。信頼性に疑問はあるが、霊験いちじるしい承暦3年(1079)のことが記されており、1089年(寛治3)には白河上皇ほか多くの貴顕が参拝した記...
View Article近江八幡市の観音正寺(かんのんしょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡安土町石寺にある単立寺院。山号は繖蓋山(きぬがささん)で本尊は千手観音菩薩、西国順礼第三十二番札所でもある。1483年(文明15)の『桑実寺塔婆供養文』には「上宮太子三十三歳ノ厄難ヲハラハンガ為メ千手像ヲ彼ノ石ノ上ニ安置シ給フ」云々とあり聖徳太子の開基というが、繖山頂上付近には巨岩があり、古代にはこの山にたいする原始信仰があったと考えられ、観音正寺創建後...
View Article草津市の観音寺(かんのんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「草津市芦浦町。山号は大慈山。元三論宗(さんろんしゅう)、のち天台宗。創始は、聖徳太子が開基、秦(はた)河勝の建立にはじまる。651年(白雉2)に奈良法隆寺覚盛法師が再興、731年(天平3)に再建、当時三論宗に属し、僧房は28宇をかぞえたという。のち、いつの時代にか天台宗にかわり、1408年(応永15)、荒廃していた当寺を京都普勧寺(ふかんじ)の僧勧雅(かんが)...
View Article長浜市の菅山寺(かんざんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡余呉(よご)町坂口(さかぐち)に所在。真言宗豊山派。山号は大箕山。北国街道(国道365号)坂口集落が登り口本道となっているが、創建時代は旧北国道丹生川筋大見(おおみ)集落のほうが本道とみられ、寺号も竜頭山大箕寺(りゅうとうざんだいきじ)と称し、興福寺門法相宗とつたわる。1571年(元亀2)の縁起書によると、開基は764年(天平宝字8)昭檀上人で、889年...
View Article東近江市の瓦屋寺(かわらやじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「八日市市瓦屋寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院で石崎山と号する。本尊は千手観音菩薩。『近江輿地志略』によると、聖徳太子の開基で四天王寺創建のさい、この地の土を採取して瓦をつくり一寺を建立、寺名はそれにちなむという。『東大寺三綱記』に891年(寛平3)東大寺の源仁僧都が再建とあり、さらに1645年(正保2)香山和尚の入寺により妙心寺派として再興された。後水尾天皇から...
View Article大津市の園城寺(おんじょうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市園城寺町にある天台寺門宗の総本山。山号は長等山。一般には西国三十三所第十四番の札所として、三井寺の名で知られている。天智・天武・持統の3人の天皇の産湯につかわれたとつたえる閼伽(あか)井とよぶ井戸があり、「御井」または「三井」寺とよばれるようになったという。寺伝によれば、668年(天智7)教持和尚によってひらかれたといわれるが、この地方の古代豪族の氏寺と...
View Article大津市の近江神宮(おうみじんぐう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、「大津市神宮町に所在。祭神は天智天皇。大津京をひらいた天智天皇ゆかりの地に、皇紀2600年記念として1940年(昭和15)に創建された。1900年(明治33)に日吉大社の神官らが大津神宮をたてる計画をはじめたのが運動のはじまりで、その後大津市長を中心に「大津宮創建請願書」が8回も国会に提出され、1934年(昭和9)にようやく採択、37年(昭和12)に造営がきまった。境...
View Article近江八幡市の比牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「近江八幡市宮内町にある。祭神は誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比売神(ひめがみ)の3神。八幡神社の創建は『社記』『明細帳』などに991年(正暦2)、『近江輿地志略』『近江名跡案内記』に1005年(寛弘2)の2説があるが、いずれにせよ京都府(山城国)八幡市の石清水八幡宮に所祭する神を勧請したものである。「比牟礼」の称は、...
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