『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「野洲郡野洲町大字三上に所在。祭神は天御影(あめのみかげの)命。延喜式明神大社。「御上」の名称は、御神(みかみ)および神体山である三上(みかみ)山からきたと考えられている。創建は、国土開発の祖といわれる天御影命が三上山に降臨したのを御上祝(みかみのはふり)がまつったのにはじまり、のち718年(養老2)に藤原不比等(ふひと)が勅命をうけて現在の地に社殿を造営、日本第二忌火(いみび)、二火一水(にかいっすい)の神として、国内の鍛治の祖神に崇められたとつたわる。その後、806年(大同元)には近江の地二戸が封じられ、878年(元慶2)には正一位の神階が授与、974年(天延2)には朝延の勅願所にさだめられ、このころより、三上山はもとより三上庄、野洲川の簗(やな)漁業権は社人の管理支配するところであった。中世には源頼朝が3000貫の地を、足利尊氏が100町の社領をそれぞれ安堵(あんど)したが、1576年(天正4)にいたってわずか4町、さらに江戸時代には1町余と減少の一途をたどった。1913年(大正2)県社、1924年(大正13)官幣中社に昇格、1928年(昭和3)には大嘗会(だいじょうえ)の悠紀田(ゆきでん)に決定。本殿(国宝)をはじめ拝殿・楼門・若宮神社(重要文化財)は、鎌倉時代の作。(後略)(大谷安彦)」とあります。なお、野洲郡野洲町大字三上は現在野洲市三上になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.694,
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2 滋賀県神社誌 滋賀県神社庁∥編 滋賀県神社誌編纂委員会 1987年 S-1700- 87 p.241-242,
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3 式内社の研究 第7巻 志賀剛∥著 雄山閣 1984年 S-1700- 84,
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4 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.477-480,
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5 神社由緒記 三宅辨造∥編 滋賀縣内務部教育課 1921年 5-1700- 21,
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6 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23,
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7 式内社調査報告 12 式内社研究会∥編 皇学館大学出版部 1981年 S-1700- 81,
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8 神社辞典 白井 永二∥編 東京堂出版 1979年 R-1759-シ,
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9 神社名鑑 神社本庁調査部 神社本庁 1963年 R-1759-シ,
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10 日本社寺大観 神社篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1759-フ,
参考資料:
11 全国神社名鑑 下 三浦譲∥編 全国神社名鑑刊行会史学センタ- 1977年 RB-1703-ミ,
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