『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「草津市芦浦町。山号は大慈山。元三論宗(さんろんしゅう)、のち天台宗。創始は、聖徳太子が開基、秦(はた)河勝の建立にはじまる。651年(白雉2)に奈良法隆寺覚盛法師が再興、731年(天平3)に再建、当時三論宗に属し、僧房は28宇をかぞえたという。のち、いつの時代にか天台宗にかわり、1408年(応永15)、荒廃していた当寺を京都普勧寺(ふかんじ)の僧勧雅(かんが)が再興、1453年(享徳2)には室町幕府に働きかけて、寺領の確保と将軍家の祈願所として位置づけに成功し、興隆の地歩をかためた。1580年(天正8)織田信長より300石の寺領と志那(現、草津市志那町)渡船の管理をみとめられ、1583年(天正11)には豊臣秀吉より418石の寺領加増にくわえ、高島郡1万3000石の蔵入地代官に抜擢、さらには湖水船奉行もゆだねられ、近江の国政上重要な役割をになうようになった。徳川政権下でも、寺領556石、近江・大和両国において4万石の代官を任せられ、豊臣時代にひきつづき湖水船奉行の役目をはたし、その役務は1685年(貞享2)までつづいた。(後略)(大谷安彦)」とあります。なお、この寺は通称芦浦観音寺と呼ばれています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.184,
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2 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.48-49,
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3 近江・若狭 小学館 1991年 S-1800- 91,
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4 近江路の古寺を歩く 大石真人∥著 山と渓谷社 1997年 S-1800- 97,
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5 近江西国三十三所観音巡礼 近江西国観音霊場会∥編 冨永航平∥著 朱鷺書房 2001年 5-1800- 01,
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6 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23,
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7 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95,
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8 日本名刹大事典 圭室文雄∥編 雄山閣出版 1992年 R-1859-タ,
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9 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ,
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