『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市坂本本町。山号は瑞応山、天台真盛宗。文明年中(1469~87)、越前の朝倉貞景の家臣杉若盛安(すぎわかせいあん)が、西教寺の真盛(しんせい)に帰依(きえ)して廃寺を再興し、その名を寺名にしたものとつたえる。1571年(元亀2)山門焼打ちのとき兵火にかかるが、坂本城主明智光秀が再興。その後ふたたび兵火にあい、1652年(慶安5)に再建されている。そのころ、伏見城の遺材をもちいて客殿が建立されたとつたえられ、そこには長谷川派の作品という「帝鑑図」や「花鳥図」の華麗な障?画(しょうびょうが)が描かれている。客殿と襖絵(ふすまえ)の草花図の8面は大津市指定文化財。また、かつて旧閻魔堂(えんまどう)内にまつられていた木造十一面観音立像は、崇福寺伝来の遺仏とつたえられる平安時代の仏像で、重要文化財。(立川 洋)」とあります。なお、盛安寺の現在の住所表記は大津市坂本一丁目になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.430,
参考資料:
2 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95,
参考資料:
3 近江路の古寺を歩く 大石真人∥著 山と渓谷社 1997年 S-1800- 97,
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4 近江・若狭 小学館 1991年 S-1800- 91,
参考資料:
5 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.268-269,
参考資料:
6 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ,
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7 日本名刹大事典 圭室文雄∥編 雄山閣出版 1992年 R-1859-タ,
参考資料:
8 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ,
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