東近江市の竹田(たけだ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡蒲生町鋳物師字竹田。祭神は天津彦根命、天目一個命(あめまひとつのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、大屋彦命、石凝姥命(いしこりどめのみこと)の5柱。『延喜式』神名帳に「菅田神社(すがたのじんじゃ)」とあるが当社説と近江八幡市中小森町の菅田神社説がある。『社伝』によれば崇神天皇代に明神森の地に創祀し、1017年(寛仁元)今の地にうつし、地名の竹田に...
View Article長浜市宮前町の八幡(はちまん)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「長浜市宮前町にある。祭神は足仲老神、誉田別命(応神天皇)、息長足姫(おきながたらしひめ)命(神功皇后)です。社伝によれば1069年(延久元)源義家の奏により、後三条天皇が神道長上卜部(うらべ)兼親をして石清水八幡宮より三社の神霊を分祀勧請された所であるという。祭礼に尻まくり、太刀渡の古式がある。これは源義家が奥州征討の途中、琵琶湖をわたりこの地の湖岸に上陸され...
View Article竜王町の苗村(なむら)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡竜王町綾戸に所在。祭神は那牟羅彦神(なむらひこのかみ)、那牟羅姫神(なむらひめのかみ)、国狭槌命(くにさづちのみこと)をまつる。『延喜式』神名帳に「長寸(ながす)神社」とあるが、この神社について苗村神社説と蒲生郡日野町中之郷の長寸神社説がある。『神社由緒記』によると、969年(安和2)大和国芳野金剛山よりいまの地にうつすとあり、『近江輿地志略』も同年苗村...
View Article愛荘町の豊満(とよみつ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「愛知郡愛知川町豊満。足仲彦(あしなかひこの)命、息長足姫(おきながたらしひめの)命、譽田別(ほんだわけの)命、大国主命をまつる。大国郷17カ村の総社。(中略)当社文書によると、969年(安和2)に社殿造営のことがみえ、1379年(康暦元)の鐘銘によると当社は春日神社と興福寺の所領に属していたことがわかるが、1524年(大永4)六角定頼が神領を安緒、1567年(...
View Article栗東市の大宝(たいほう)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「栗太郡栗東町綣(へそ)に所在。祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)。大宝天王社とも称した。創立年代は不明であるが、社伝によると、701年(大宝元)の疫病流行のときに、現在の社地に遷座されたという。また、『延喜式』にみえる「小槻両社」のうち一社が同社であったともいわれ、中世、同社で行われた相撲神事のさいには、綣村5郷をはじめ栗太郡内...
View Article大津市の蝉丸(せみまる)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市内には蝉丸をまつる神社は3社ある。関大明神(旧上片原町)・関清水大明神(旧関清水町)と通称される関蝉丸神社上社・下社と、1658年(万治元)に下社を勧請したといわれる蝉丸神社(現、大谷町)がそれで、上・中・下の三社ともよばれる。関蝉丸神社上社・下社は822年(弘仁13)小野岑守が逢坂山の山上・山下に坂神をまつったことに始まるといわれ、当初は道祖神の役割を...
View Article甲賀市の新宮(しんぐう)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀郡甲南町新治の集落の山手にある。表門は重要文化財、屋根は茅(かや)葺きである。先年、解体修理が行われ、もとは二重の楼門形式で計画建立予定であったが、工事の途中で変更、現状のものがたてられたことが判明した。文明17年(1485)の墨書がみつかり、室町中期前半の神社建築。計画変更で建立されたとはいえ、柱の礎盤が木製、斗?(ときょう)、蟇股などに室町様式をしめし...
View Article守山市の下新川(しもにいかわ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「守山市幸津川町に所在。祭神は新川小楯姫命、豊城入彦命。野洲郡野洲町大字野洲にある新川神社とともに、野洲川の河川神をまつった神社と考えられている。2社とも延喜式内の伝承があり、創祀は9世紀以前にさかのぼる。(後略)(石川正知)」とあります。なお、野洲郡野洲町大字野洲は現在野洲市野洲になっています。 参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編...
View Article長浜市の下塩津(しもしおつ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡西浅井町集福寺(しゅうふくじ)、塩津港より北陸にいたる街道より古代余呉庄にこえるところの集落にある。塩津神社の下社。主祭神は塩土老翁。899年(昌泰2)に天台僧大法深が社僧となり、吉祥山集福寺法深坊と称した。933年(承平3)朱雀天皇のとき天顔を拝し祈?厳修し、下塩津5ヵ村と境内地7町歩をたまわる。延喜式内社。1439年(永享11)後花園天皇祈願勅定。従...
View Article近江八幡市の篠田(しのだ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「近江八幡市上田町に所在。祭神は大国主尊、建御名方尊、応神天皇の3柱。上田は『和名類聚鈔』に記載されている蒲生郡篠田郷内の水田地帯であった。5月4日の火まつりが有名で、俗に「篠田神社の花火」とよばれ、県の無形民俗文化財に指定。境内の石造宝篋院塔(せきぞうほうきょういんとう)1基は正安3年(1301)の刻銘がある。(森山宣昭)」とあります。 参考資料: 1...
View Article草津市の志那(しな)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「草津市志那町に所在。祭神は志那津彦命(しなつひこのみこと)、志那津姫命(しなつひめのみこと)、伊吹戸命(いぶきどぬしのみこと)。吉田町の三大神社、志那中町の惣社神社とともに、延喜式内社意布伎(いふき)神社ともいわれる。創建年代はあきらかではないが、859年(貞観元)に焼失したといわれ、1298年(永仁6)7月には社殿が建立されている。現在この社殿は重要文化財に...
View Article大津市の地主(じしゅ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市葛川坊村町にある。祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)。地主神(じしゅしん)である思古淵明神(しこぶちみょうじん)を配祀する。思古淵明神は水の神といわれ、安曇川流域で多くまつられ、同流域の開拓の祖神とされている。1317年(文保元)の「葛川境界絵図」にも、明王院とともに同社が描かれており、中世以来、葛川の鎮守神として崇敬されていたことが知られる。なお本...
View Article米原市の志賀(しが)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡山東町志賀谷(しがや)にある。祭神天照大神、誉田別命(ほんだわけのみこと)。1199年(正治元)摂津(せっつ)国武庫(むこ)広田社より招請、安房倉(あわくら)明神社といった。他に八幡宮の土産神(うぶすなのかみ)があり、1892年(明治25)2社を合祀。江戸時代紀州藩水野氏の崇敬あつく建造物神器などに名前がのこっている。神事に華(はな)の頭(とう)があり民...
View Article近江八幡市の奥石(おいそ)神社の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡安土町東老蘇に所在。祭神は天津児屋根命(あまつこやねのみこと)。『延喜式』神名帳の蒲生郡11座にかぞえられ、767年(神護景雲元)神封1戸を奉ぜられ(『新抄格勅符』)、851年(仁寿元)正月には正六位上に昇叙された。境内は森厳とした老蘇森(おいそのもり)で、古くは西老蘇にまたがる広大な森であったと考えられ、東山道(中山道)を往来する旅人がこの森について詠...
View Article高島市の大善寺(だいぜんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡新旭町大字新庄字東町にあり、放光山大善寺と称し、天台真盛宗。本尊大日如来(木造坐像)は伝教大師作とつたえられ、重要文化財(藤原期)に指定されている。べつに伝恵心作観音立像があり、この像は口碑に旧弥勒寺の本尊であったが、堂塔が破壊し、安曇川の洪水のときひろいあげて大善寺におさめたという。(中略)大善寺の創立は延暦年間(782~806)で、最初熊野山の堂立山...
View Article甲賀市の大岡寺(だいこうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀郡水口町水口にある天台宗の寺。龍王山観音院と号する。水口八景の一つ。山号は竜王山。地元では「岡の観音」とよび、古来から桜の名所として風格のある寺で、古城山をバックに水口城を眼下に見おろす高台にある。名勝として水口町指定文化財。(中略)寺伝によれば、奈良時代行基上人がひらいたといわれ、本堂は1716年(享保元)に当時の住職寂堂がそれまで古城山にあった東坊をふ...
View Article長浜市の大吉寺(だいきちじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡浅井町野瀬に所在する天台宗の寺。暦応元年(1338)の勧進帳によると、865年(貞観7)の草創。山号寂寥山。本尊聖観音に浮木の霊像の伝説がある。『吾妻鑑』や『平治物語』に、平治の乱のあと、源頼朝がのがれて大吉寺にかくまわれ、庇護をうけたことをしるしている。鎌倉時代に寺領3700石の記録があり、ついで室町幕府の祈?寺として保護をうけ、覚道上人の時代には一...
View Article大津市の祥瑞寺(しょうずいじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市本堅田(ほんかたた)1丁目にある。臨済宗大徳寺派の寺。1332年(元弘2・正慶元)横川楞厳院(よかわりょうごんいん)の僧了本房(りょうほんぼう)が玉泉庵(ぎょくせんあん)をひらき、のち僧覃澡(たんそう)が聖瑞庵(しょうずいあん)と称し、また1391年(元中8・明徳2)僧原素(げんそ)にゆずり、さらに1406年(応永13)京都・大徳寺の僧華叟宗曇(かそうそ...
View Article長浜市の浄信寺(じょうしんじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡木ノ本(きのもと)町木之本。町の中央に広大な境内をもち、通称木之本地蔵で全国的に有名である。時宗。675年(天武4)天武帝のとき、祚蓮上人が難波の浦に漂着した竜樹菩薩作の地蔵尊像を唐隔山金光寺よりうつす。寺辺に柳の大樹があり柳本山と号すという。812年(弘仁3)空海が巡錫して、地蔵本願経3巻をうつし、宝剣とともに奉納。899年(昌泰2)菅原道真が勅命を奉...
View Article大津市の聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市比叡辻2丁目の湖畔にある天台宗寺院。寺伝よると790年(延暦9)最澄が、この地に自刻の地蔵菩薩を本尊とした地蔵教院を建立し、衆生済度の寺としたのがはじまりという。1001年(長保3)比叡山横川の恵心僧都源信が入寺し念仏道場とした。源信が紫雲のなかに弥陀聖衆の来迎を感得して紫雲山聖衆来迎寺とあらためたとつたえる。その後の1527年(大永7)、真玄(しんげん...
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