旧余呉町(現、長浜市)の六所(ろくしょ)神社・頭屋のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十一日」で、概要は「当日は一斗の大鏡・まい玉を作り、しきびの木で神籬を作って神前に供える。塔渡しには牛蒡と干柿を添える。直会には豆腐の丸炊を木の椀で食べ、また各自ワラツトに入れて持って帰る。なお現在では、頭人は順番に決められるようになった」とあります。
View Article旧余呉町(現、長浜市)の水上(みなかみ)神社のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月七日」で、概要は「前日、頭屋の家で米を蒸し、千本づきにて餅つきが行われる。この時、小豆の餅をはなびらといって、栗の枝に餅をつけ、神棚に供える。本日には、神社にお鏡を供え、参拝者の額に朱を捺す。のち次の頭屋がオカワを首に掛けて帰り、トウワタシの儀がおこなわれる。オカワは頭屋の象徴として、新頭屋の家に飾られる。」とあります。
View Article旧木之本町(現、長浜市)の布勢立石(ふせたていし)神社・阿加穂(あかほ)神社・氏子周辺のの野神(のがみ)祭・太鼓踊りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月十八日午前中(十八日に近い日曜日)」で、概要は「長さ一丈程の二本の御幣を先頭に、大太鼓二人・小太鼓五人・鉦二人・横笛数人で、阿加穂神社・布勢立石神社各境内において太鼓踊りを奉納する。その後、楽器を鳴らして御門を一巡し、涌出山西端に御幣二本を立て野神を祀る。夜は阿加穂神社裏の丸山上の小祠前の広場において、太鼓踊り奉納の後、村中総出の盆踊りを行う。」とあります。
View Article旧木之本町古橋一帯(現、長浜市)の虫送りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月十七日」で、概要は「当日の午前中、虫を形どった三メートル余の松明を作る。以前は六組それぞれが松明を作っていたが、現在は一組が村の代表として虫送りを担当する。おこないも同様の組うけである。昼すぎ、松明を先頭に鉦・太鼓で囃しながら村の中を通り、野神、奥谷、そして田畑をまわり、最後に愛宕踊りの歌を鉦・太鼓に合わせて詠う。」とあります。
View Article旧木之本町千田(現、長浜市)の石作玉作(いしつくりたまつくり)神社・氏子周辺の野神(のがみ)踊りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月十四日」で、概要は「太鼓踊りは、大別して、本来不定期に行われた雨乞い踊りと、野神踊りのように定期的に行われたものがある。千田の場合、お精霊迎えの際にも太鼓踊りが披露される。形式は全く同じで、野神踊りは野神の石碑の前で、お精霊迎えの際は墓地のある涌出山で一踊りする。そして再び神社に戻り、境内に待つ大太鼓を中心に、シャグマをかぶり、色とりどりの衣裳の背にダラリの...
View Article旧木之本町(現、長浜市)の布施立石(ふせたていし)神社・氏子周辺のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十四日から十五日まで」で、概要は「十三日は米かし。十四日は餅搗き、来年度の頭家選定御籤占い。そして、ぜんざいによる直会。十五日は鏡餅・まゆ玉・餅わらにつけた餅を神社へ奉納する。さらにこれを次年度の頭家へ持ち行き、頭輪作り・御頭割り(餅切り)を行い、終了となる。十四日は頭家祭。十五日は神社で頭渡祭、新頭家で受頭祭を斎行する。」とあります。
View Article旧木之本町(現、長浜市)の黒田(くろだ)神社・大沢(おおさわ)神社・氏子周辺のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十七日」で、概要は「黒田神社では五つの組が、大沢神社では一つの組が執り行う。各家から戸主が出て、御籤によって当家を決める。十七日、各当屋宅で餅を搗く。そしていったん神社へ行き、玉籤を引いて供える順序を決める。当人は御幣を捧げて各組の餅を供える。そして祭典の後、新当屋宅へ行き、塔渡しの後、直会を行う。」とあります。
View Article旧高月町(現、長浜市)の森本(もりもと)神社・集会所のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月二十二日」で、概要は「昭和八年の改革で、内容が殆ど変わってしまった。近年はそれに代わる多彩な行事を催している。二十二日の朝、寄りて弓・矢。左大臣・右大臣と書かれた的をつくり、大注連縄を編む。弓を射るのは、元服して村入りをする少年である。大注連縄は、夕刻から村総出の綱曳きに使われ、それが済むと神社の古木に吊るされ、その真ん中あたりに御幣を立てる。」とあります。
View Article旧びわ町(現、長浜市)の都久夫須麻(つくぶすま)神社の竜神(りゅうじん)祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「六月十四日」で、概要は「往昔より行われてきた祭りで、当初は崇敬者だけの手によって執り行われていたが、現在では母なる琵琶湖の恩恵に感謝すると共に、その琵琶湖に育まれた魚にも同じく謝意をこめた放生会の儀もとり入れられている。稚魚の放流・生卵・小餅を放ち流す行事が崇敬者の手によって行われる。」とあります。
View Article旧びわ町(現、長浜市)の都久夫須麻(つくぶすま)神社・長浜港の三社(さんしゃ)祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「六月十日」で、概要は「当社の千五百年祭を機に始められた。日本三弁財天の厳島神社・江島神社の御霊代を頂き、各社よりの斎主および宝厳寺住職の奉仕を得て行われる神仏混淆の形態をもった祭典である。遠近よりの信者・崇敬者多数で賑わう。」とあります。
View Article旧湖北町(現、長浜市)の飯開(いびらき)神社の太鼓踊りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「不定期」で、概要は「頭には、シャグマとよばれる長い鳥の毛のかぶりものをし、たっつけ袴・手甲・脚絆・わらじばきで、薄化粧をした男の子が踊る。中央の大太鼓二人は、浴衣にたすきがけである。大太鼓を中心に円を描きつつ、膝をついて首を廻すなどの所作を含む。昭和六十一年に復活し飯開神社に奉納、および市立長浜城歴史博物館の民俗芸能大会で披露された。」とあります。
View Article旧湖北町(現、長浜市)の伊豆(いず)神社・御旅所・仏体堂・御池・氏子周辺の八朔(はっさく)の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月一日から二日まで」で、概要は「仲哀天皇が南国巡狩の帰途、越前気比宮からこの地に行幸の時、近衛の陣がはられた。その折の武者行列が今日のパンパラとなり、同時に貢物としての収穫物(責物)が神輿の形態に発展したといわれている。その技術は京都の北野天満宮へ伝えられたともいい、また同宮から習得したともいわれている。現在パンパラ・神輿とも不定期奉納。」とあります。
View Article旧湖北町(現、長浜市)の谷田(たにだ)神社・東西両頭家のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十七日」で、概要は「おこない。頭家の親戚三名と前年当家の計四名にて鏡餅をつくり、鮒料理・花木作りが行われ、そこに御幣と神酒が神社係から届けられる。午後両頭家に氏子が分集し、御幣・神酒・鏡餅・花木を奉じて社参。祭典が終了後、各頭家に分かれて直会。神酒が尽きれば、鏡餅を割り戴いて解散。頭家抽籤は初総会の席で行われる。」とあります。
View Article旧湖北町(現、長浜市)の和泉(いずみ)神社境内社の山田神社・公会堂の神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十五日」で、概要は「おこない。かつては十一日から十七日にかけて行われて賑わったが、現在はかなり変貌した。まず、当日の準備等は隣組の二組が年々交代であたり、その組長が便宜的に頭人となる。当日当番組と神職によって、神社において神迎えを行う。そして公会堂床の間に奉安し、その場で祭典を執行し、いったん解散する。午後、総座。終わると氏子総代の手によって社殿に神送りをす...
View Article旧虎姫町(現、長浜市)の大将軍(だいしょうぐん)神社・頭当番宅の神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十日から十一日まで」で、概要は「おこない。五穀豊饒・平穏無事を祈願して、五升餅を飯ぼうに平たく延ばして神前に献ずる。祭典後、氏子は社務所に参集し、あいさつの後当送りの儀が行われる。この時「シャンシャン、もう一つこいシャンシャン、祝うてシャンのシャンシャンシャン」の祝い手締めがある。」とあります。
View Article旧浅井町(現、長浜市)の高山(たかやま)神社・おこないやどのおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十五日(高山神社)・二月二十三日(秋葉神社)」で、概要は「高山神社・秋葉神社(境内社)で行われるが、戦前までは二月八日に薬師さんのおこないも実施していた。高山神社のおこないは、石棒型のお鏡・お花といって、束ねた菖蒲の間に、竹束に黒豆と角餅をつけ、刺し込んだものが供物として登場する。秋葉神社のおこないは、子供たちが、一斗余のお鏡を屋台に乗せて練り回る。」とあり...
View Article旧浅井町(現、長浜市)の観地(かんち)神社・力丸会館のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月八日」で、概要は「観地神社の祭神は以前、薬師如来であったといい、社殿の扉には今も卍が残っている。二月八日、早朝より米を蒸し、丸いお鏡、四角いお鏡を一個ずつ作る。井型で四角に固められたお鏡は三脚付きの桶の中に入っている。蒸し飯、ご飯は高台の饌器に盛り、御神酒、海の幸、山の幸とともに大鉦を先頭に総代、氏子の順で行列を作り参拝する。夜は夜宮といって区民全員が歓談し...
View Article旧浅井町(現、長浜市)の三輪(みわ)神社・神宿のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月七日から十三日まで」で、概要は「約一週間かけてなされるが、社参は二月八日である。この日、紋付羽織袴で神宿に集まり直会。終わると金幣・お鏡・提灯を持ち、鉦をはやして詣でる。神社では祭典の後、湯の花があげられる。そのあと次の受番を決めるため三宝の上で数珠を振り、玉くじをあげる。新頭屋が決まると再び行列にて送り返す。なお祭神は薬師如来であり、神仏混合の形態を示す。...
View Article旧浅井町野瀬(現、長浜市)の上森神社(日吉神社境内社)・下森神社(皇大神宮神社境内社)・集会所のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「上森神社(一月七日)・下森神社(一月四日)」で、概要は「現在は隣り組十軒ぐらいで、内一軒を宿に定めて行っている。組おこないになってからは派手なあしらいもなくなり、餅を供える際の背負い縄も廃止し、二人でかついで供えるように改めた。しかし行列の先頭は松明を持ったり、拝殿で田の芋を食べるなど、古い食生活がかいまみられる。」とあります。
View Article旧近江町(現、米原市)の山津照(やまつてる)神社の角力(すもう)神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月十一日」で、概要は「後鳥羽上皇参拝の時からと伝えられる。以前は県内は勿論、隣県からも力士が参集し、地方としては稀なる盛観を呈したこともあった。角力は青年力士による式角力から始まり、小・中学生、青年と進み、中入りまである。式角力はいかなる天候でも中止することなく執り行われる。」とあります。
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