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旧近江町(現、米原市)の日撫(ひなで)神社の角力(すもう)踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月十五日」で、概要は「日撫神社の角力は、後鳥羽上皇参拝の時からと伝えられるが、角力踊りは江戸時代以降のものと推測される。奉納角力中入りに、緞子・倫子の化粧まわしをつけた力士二十四人が、角力甚句(一ツ拍子、三ツ拍子)に合わせて踊る姿は勇壮である。化粧まわしは、井伊家からの奉納といわれている。」とあります。

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旧近江町(現、米原市)の坂下神明宮(さかたしんめいぐう)の蹴(け)り奴振(やっこぶ)りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「昭和五十年以降は四月二十九日」で、概要は「天照大神を祀る坂田神明宮は、享保十八年(一七三三)彦根藩主の井伊直惟によって造営された。宇賀野の蹴り奴振りは、足をはね上げる所作に特徴があるが、これは直惟が参詣した際の行列の様子を模倣したものといわれる。大正六年に道具・衣装をつくり、五月一日、春の例祭に始まった。昭和五十七年以降は、青年団が奴振りを行っていたが、昭和六十...

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旧伊吹町(現、米原市)の天満(てんまん)神社・氏子周辺のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十二日から十四日まで」で、概要は「従来青年の主催する行事であったが、現在は数の減少により、村全体で行うようになった。十二日は頭屋のかぎ渡しがなされ、頭屋は、各戸から米一升を集め、軒に釜を据え、注連縄・御幣を立てる。十三日は餅搗き。蒸し上がりを合図に鐘・太鼓の鳴りもので村内を一周する。餅は全て四角平面状になる枠型に流し込み、十二枚分つくる。十四日は朝から神社に...

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旧伊吹町(現、米原市)の伊夫岐(いふき)神社のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十一日から十九日まで」で、概要は「起源は不詳であるが、享保三年(一七一八)頃に今の形に固まったという。十五日に注連縄結い、十六日に門松立て、十七日に鏡餅二升と約四メートルの欅で幹の先が二股になった木に、餅を付けた「マユ玉」を掲げる。十八日に社参。祝詞奏上、次いで御籤を行い、来年の当番を決め、旧当屋から御幣を受け取る。そして十九日に神社へ納める。」とあります。

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旧山東町(現、米原市)の愛宕(あたご)神社・氏子周辺の火祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月二十三日夜」で、概要は「約二百年前の七月二十三日、村の約半分が大火に見舞われたため、現在の愛宕山に祠を設け、松明を奉納したのが始まりとされている。祭りの様子は、菜種柄で作った松明を山上の祠まで舁ぎ上げ、神事の後奉火し、順次松明を麓まで引きずりおろす。」とあります。

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旧山東町(現、米原市)の長岡(ながおか)神社・氏子周辺のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十七日」で、概要は「起源は不詳。当日の朝、当屋の家から神職の修祓の後、鐘を打ち鳴らし、御幣・餅花などを持って神社へ社参。神事を行い、来年のくじをひき神事を終える。くじを当てた組で当屋を決め、えび注連縄を入口に張り、一年中神を家に奉斎する。」とあります。

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旧山東町(現、米原市)の志賀(しが)神社の華之頭(はなのとう)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十一日」で、概要は「新年祭の元の姿とも見られるもので、自然発生的な農耕儀礼。前年の一月に禰宜・当家を決め、一月三十一日から社務所に籠り、二月十一日の神事の準備をする。当日、当屋で盃の式があり、終わって社参、神事が行われる。」とあります。

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長浜市の足柄(あしがら)神社・氏子周辺の春祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月四日午後二時、五日午前十時から午後五時まで」で、概要は「古くは四月八日に行われた。甲冑に身を固めた子供武者が背に造り花を背負い、官女(十二歳の少女)、その他八十余人の若衆による神輿渡御が行われる。境内では天狗・獅子・尉と姥の還御の神事、神輿堂にはツツジなど供花がある。祭りの後は最近まで仏厳寺山登りの習俗があった。これらは田植え前の早乙女の姿、春田打の形を残し...

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長浜市の上坂(こうさか)神社の底樋(そこひ)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月八日正午」で、概要は「昔、当地方の用水は、姉川に底樋を設けて水を引いた。関係した地域は広範囲であるが、上部六町内の会長が当社に集合して、底樋水門の点検等恒例の行事を行った後、神前において感謝の祭りを斎行する。現在最新の設備によって用水の確保はできてはいるが、その祭りを通してますます農耕に励むことを念願している。」とあります。

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長浜市の熊岡(くまおか)神社の例祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月三日午前十時から午後三時まで」で、概要は「神輿渡御においては、四つのおこない組の子役(〇歳から十二歳)・前髪(十三歳から十六歳)・若衆(十七歳から三十五歳)がそれぞれ供奉する。新築した家や新婚の家には茶宿が当たり、行列の休憩所となる。なお茶宿は四軒設けられる。神輿の川渡りや神輿落しには歓声があがり、たいへん賑やかな祭りとなる。」とあります。

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長浜市布施町の北野(きたの)神社・春日(かすが)神社の獅子舞いの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月二十五日午前十一時」で、概要は「この日、布施の両社に獅子舞いが奉納される。伝承によると、江戸時代の終わりごろ、獅子舞いの好きな若者が伊勢に行き、技を習得して村に伝えたという。小高い丘に鎮座する北野神社に一同で登り、神楽を奉納、戻ってきて春日神社で舞う。長い間中断していたが、昭和五十年に復活。県内でも類例の少ない獅子舞いの奉納である。」とあります。

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長浜市の住吉(すみよし)神社のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十四日午後四時、十五日午前十時」で、概要は「十四日午後四時、社殿において祭典。本社・境内社の神火を提灯に移し、社務所床の間の十二燈(かわらけに種油を入れたもの)に移す。御幣・神饌を供えて参拝。十二燈の火が消えないように一晩中番をする。十五日午前十時、高張提灯・マユ玉(餅花)・御幣持ち(稚児二人)とともに御幣・神饌を献供して、社殿において祭典が行われる。」とあ...

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長浜市の神明(しんめい)神社・当人宿のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十五日午後一時」で、概要は「当人宿で早朝入浴潔斎した若衆が土間で大鏡餅を搗く。台に乗せ、固めるために「よいさ、よいさ」の掛け声で部屋中を回る「もちかき」が始まる。そして年寄衆と取り合いが行われ、年寄衆が奥の部屋に運び入れて鏡餅にする。午後、当人宿から大鏡餅と神饌を神社に献供して祭典を行う。撤下の鏡餅は氏子各戸へ配り、当人宿では氏子の戸主が相寄り、直会を行う。...

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甲良町の小川原(こがはら)神社の御管割(おくだわ)りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月九日」で、概要は「翌年の各農作物のでき高の良否を、神に伺いをたてるおこないである。小豆粥(小豆と米)を前日から用意し、葦を約二十センチに斜めに切り、三十八本三ツ目結びに連ね、粥の中に入れる。すると煮えた粥が管に入る。早朝神前に供え、のち役員等によって開かれ、その量を伺う。三十八本は三十八種で一月八日のおこないで決定されている。伺い終わってのち、村中に知らせて...

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甲良町の金山(かなやま)神社の千草盆(ちぐさぼん)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月七日夕刻から午後十時まで」で、概要は「七日盆ともいう。神前に「ヤッサ」を供える行事。毎年八月七日に男子出産の御礼として、二年間「ヤッサ」と呼ばれる千草と草花で作った飾り物を奉納する。「ヤッサ」とは、ヤサチの転じたもので、野の幸、家の幸を意味するという。かなり大がかりなもので、当日は親戚や隣人約十名が奉仕して作製にあたる。」とあります。

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旧愛知川町(現、愛荘町)の豊満(とよみつ)神社の神社頭(びしゃとう)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月初午の日の午前八時」で、概要は「氏子の下之郷の大字市と天守とが、一年交替にて頭人を定め、神社に参拝する。頭人は黒衣を着て千力餅と称する小餅三百六十五個と神酒と鯣を供える。三百六十五個の数は、一年三百六十五日の日供を一時に供えるというもので、この餅を食べると妊婦は安産を得るとして、たいへん喜ばれている。」とあります。

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旧秦荘町(現、愛荘町)の軽野(かるの)神社の宮入(みやいり)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十九日夜から二十日夕方まで」で、概要は「曳山祭りともいう。神輿渡御が明治初年から現行の曳山に変わる。十九日前夜祭に九か字の各宮世話は、曳山奉斎の大御金幣を奉持し、各字の神社に一夜氏子と共に斎く。翌二十日九基の山車には趣向をこらした人形ダシを搭載し、森下に集合。芸山を花笠稚児が曳行。その先に変装行列、道中踊りの善男善女が宮入神事を展開。宮入完了と同時に宮入祭奉...

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旧湖東町(現、東近江市)の押立(おしたて)神社のドケ祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「六十年に一度」で、概要は「祭神火産霊神・伊邪那美神が押立山三瀬獄から現在地に遷座した時、氏子がそろって迎えたお渡りの行事がのこったものといわれる。鉦・鼓・太鼓・笛・ささらや囃しに合わせて踊り、神を慰めてもてなす祭りである。ドケ祭りのドケとは、道化の意や、神様のお通りだドッケドッケという意があるとも解釈されている。前回の祭礼日は、昭和四十六年四月二十四日。」とあり...

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旧湖東町(現、東近江市)の押立(おしたて)神社の押立祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十四日前後の日曜日午後一時から四時まで」で、概要は「客人祭りともいう。十八か字の区長が年の始めにくじを引き、二字が卯之鳥・擬宝珠の二基の神輿で渡御をする。十九年前から子供神輿一基が参加。稚児十八人・紅白旗十八流・社名旗・真榊・太刀・大幣・盾ほかの行列となる。」とあります。

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旧湖東町(現、東近江市)の押立(おしたて)神社の御卜田御管焚(おうらないだおくだだき)神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十四日夕刻」で、概要は「神事の起源は不明。その年の農作物(稲・大麦・小麦・大豆・小豆・藁・芋・雑事)の豊凶を占う。清祓した釜に竹管十本及び小豆五合を入れて煮炊き、水気がなくなった頃に取り出し、管中の小豆の密粗により卜考し、其の分合を書き取り、成績を奏上する。」とあります。

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