旧新旭町(現、高島市)の藁園(わらその)神社・氏子周辺の鯰(なまず)祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月二日から三日まで」で、概要は「正保三年(一六四六)、害虫駆除の祈願によって鯰の群れが現われ、害虫を食いつくしたという説と、長雨による浸水の時、神殿の浜床に上った鯰を捕獲したところ水害がおさまり、鯰を祀ったとする説がある。宵宮祭には「火まわし」といい、缶に火をつけて児童が頭上で振りまわす行事がある。」とあります。
View Article旧高島町(現、高島市)の白鬚(しらひげ)神社の明神(みょうじん)祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月五日から六日まで」で、概要は「本社は延命長寿の白鬚の神として信仰され、祭りは「なる子まいり」と称して、生児(数え年二歳)の名受けをするようになった。子供の健康と幸福の守護を願う神事。この明神祭りには、高島郡の人はもとより、大津や京都からもたくさんの参拝者がある。」とあります。
View Article旧安曇川町(現、高島市)の藤樹(とうじゅ)神社の藤樹祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月二十五日午前十一時」で、概要は「中江藤樹の遺徳を偲び、これを顕彰しようとする地元の崇敬者によって草創された祭り。祭典は、郡内神職によって奉仕され、拝殿では謡曲や献茶式が行われ終日賑わう。この神賑行事は往昔の奉納角力に代わるものとして、執り行われている。」とあります。
View Article旧今津町北生見(現、高島市)の白山(しろやま)神社のしいら祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十月九日午前十時から」で、概要は「始まりは応永(一三九四~一四二七)年間という。当日は小浜から「しいら魚」一メートル一尾を求め、当番神主宅で氏子が集まり、生のまま料理して社殿に奉納する。祭典が終わってから、その「しいら」で直会をする。毎年神主番は順送りに交代する。」とあります。
View Article旧今津町(現、高島市)の阿志都彌(あしづみ)神社・行過(ゆきすぎ)天満宮の弘川(ひろかわ)祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十五日午後三時」で、概要は「約七百年前から始まったという。二月に口開式と称し、祭礼の役割分担を行う。四月十九日、当屋において神籬立式を行う。二十四日、当屋において古例による神饌を調理する。二十五日午後、神輿渡御。帰還後、素襖裃着用の者が特殊神饌を献上する(昭和十五年頃までは競馬・流鏑馬神事あり)。」とあります。
View Article旧マキノ町(現、高島市)の唐崎(からさき)神社の川裾(かわすそ)祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月二十八日未明から二十九日夜半まで」で、概要は「祓社として古くから六日・晦日の大祓が行われ、特に夏越しの祓は不浄除けとして参拝者が多い。湖西唯一の夏祭りである川裾祭りの賑わいぶりも、これに影響する。二十八日未明の開扉に始まり、二十九日夜半の閉扉に至る間、夜通しの祭礼を神職、氏子共に奉仕する。夜詣客は最高潮に達する。」とあります
View Article旧マキノ町(現、高島市)の坂本(さかもと)神社・氏子周辺の春祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十二日午前十時」で、概要は「お稚児さん(女子)二人と共に唐櫃に御幣を立て、その中には白ムシ・栗・がやの実・えび等七種をツトに包んだものが入れてあり、それを稚児の付添い人が頭に載せ、太鼓を先頭に行列をつくって神社に参る。祭典中、稚児はその御幣を持って浜床にはべる。なお当日の神饌物にはウグイ(琵琶湖の魚)の熟鮨七匹をそえる。」とあります。
View Article旧マキノ町(現、高島市)の海津天(かいづてん)神社・氏子周辺の海津祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十一日から二十二日まで」で、概要は「お稚児さんととび口を持つ女と御供をかつぐ男と三人一組の稚児行列が社参する。みごきを各社に供え、稚児の持つ白い輪をその社の屋根に投げる。じんじは御供と御神酒を載せた台をかつぐ二人のお供と共に、神職も社頭より西浜集会所に到る。子供たちは榊に御幣をつけたオサをかつぎ、若衆は化粧まわし(家宝)をしてかつぐ。」とあります。
View Article旧志賀町(現、大津市)の小野(おの)神社・村内3か所の神座の?(しとぎ)祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十一月二日」で、概要は「境内の神田で穫れた新穀の餅米を前日から水に浸して、生のまま木臼で搗き固める。それを藁のツトに包み入れる。納豆のように包まれたこれを「?」と呼んでいる。そして他の神饌とともに神前に供える。祭典が終わると、注連縄を張り渡した青竹を捧げ持ち、小野地区(神座)を北、中、南の順で廻り、各地点で?を吊り下げて礼拝し、五穀豊饒・天下泰平を祈念する。なお...
View Article旧西浅井町(現、長浜市)の須賀(すが)神社・氏子周辺の例祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二日から四日まで」で、概要は「二日から祭礼の準備にかかる。神主組は早朝から潔斎し、東組・中組・西組から各九名出て、榊を立て神輿飾り等をする。三日は御供所から三基の神輿(須賀神社・赤崎社・八王子社)めがけてとび出し、引きずり出す。次に宮司が神輿を祓い、渡御となる。渡御が終わると次に幣祭がある。神主が幣祭を行い、さらに審判、幣倒と続く。四日は後宴で、ボンタタキと...
View Article旧余呉町(現、長浜市)余呉湖畔の湖神(こしん)祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十月第二日曜日」で、概要は「余呉湖祭としての湖神祭は、昭和五十年から始められた新しい祭りである。しかし以前から新羅崎の森に鎮座する白木明神や、下余呉に鎮座する乎彌神社に祀る海宮神(余呉湖の守護神)の感謝祭は、古くから行われていた。奉納神事として、四条流秘伝の鯉の庖丁式が執り行われる。」とあります。
View Article旧余呉町国安(現、長浜市)の草岡(くさおか)神社・氏子周辺の野神(のがみ)祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月二十五日」で、概要は「祭りには近郷の池原・東野・今市・新堂・文室の各五郷から太鼓・鉦を打ち鳴らしながら社参する。踊りには、のと踊り・しのみや踊り・さいもん祭の三種が奉納される。」とあります。
View Article旧余呉町(現、長浜市)の鉛練比古(えれひこ)神社の相撲神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月二十四日」で、概要は「野神祭に建暦元年(一二一一)から奉納した古事を今に伝えるものである。祭礼には神輿の渡御があり、境内において湖北地方唯一の奉納相撲が行われ、多くの参拝者で賑わう。」とあります。
View Article旧余呉町下丹生一帯(現、長浜市)の虫送りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月の終わり頃」で、概要は「夕方六時頃から丹生神社の前に各人が松明を持って集まる。虫送りの開始をつげる鐘の後、神主の祝詞・おはらいがなされ、神主・総代の持つ御幣を先頭に行列が出発。行列の途中、太鼓を打ちつつ唱え言をする。高時川沿いに南下し、二組に分かれる。定められた場所に着くと御幣を立て、総代が般若心経を読誦、松明が燃え尽きると、夜虫送りは終了する。」とあります。
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