延暦寺阿弥陀堂鐘楼の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「1634年(寛永11)山麓に建立の讃仏堂の鐘楼としてたてられたと考えられるもので、1963年(昭和38)に讃仏堂が山上の大講堂跡に移建されるにともない、この鐘楼は阿弥陀堂の前に移建された。壇正積基壇(だんじょうづみきだん)上に礎石、礎盤(そばん)をすえて円柱を四方転びにたて、地覆(じふく)、腰貫(こしぬき)、飛貫(ひぬき)、頭...
View Article円満寺千石船絵馬額の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
円満寺は近江八幡市多賀町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)代々北海道松前交易で財をなした近江商人西川伝右衛門が航海守護の鎮守金毘羅大権現社に奉納したものである。この神社が古くより円満寺に付属したところから、絵馬は現在円満寺の所蔵となっている。円満寺千石絵馬額は1851年(嘉永4)に住吉屋の当主により奉納されたもので、画面は堺港に浮かぶ住吉屋(西川伝右衛門の屋号)所有の6艘の...
View Article今堅田船大工仲間文書の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「「天正十二年六月十三日江州諸浦船大工四拾人中宛羽柴秀吉朱印状」1通と「無年六月十三日三郎左衛門宛書状」1通の計2通がある。(中略)中世以来堅田と大津を二大拠点としていた船大工は、当時湖上交通を支配していた堅田の地侍層のもとに組み込まれていたが、織田信長や羽柴秀吉の進出とともにその支配を離れ、やがて秀吉の支配下となった。1584年(天正12)の朱印状は、大津を中...
View Article園城寺(三井寺)木造智証大師坐像(御廟安置)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「智証大師円珍は讃岐国(さぬきのくに)(現...
View Article園城寺(三井寺)紙本墨画五部心観の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
園城寺は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「智証大師円珍の在唐中の巡礼地域は福州から長安まで6省にわたり、洛陽にも滞在しているが、その中心は天台山の国清寺と長安の青竜寺であった。五部心観は円珍が青竜寺で修行中に法全(はつせん)阿闍梨からさずけられたものである。原本と写本との2巻にわかれる。(中略)内容は全剛界の諸尊およびその印契をえがいたもので、末尾に善無畏三蔵の肖像を...
View Article大野神社楼門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
大野神社は栗東市荒張にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「楼門は正面柱間数3間5.37m、側面は柱間数2間2.75mで、形式、技法から鎌倉時代初期の建立とみられ、現在する楼門中最古の遺構である。下層の柱や沓石は後世のものであるが、扉構(とびらがまえ)の形式は当初のものであり、上層には当初の柱や組物(くみもの)がのこる。組物は下層出三斗(でみつど)、上層は平三斗(ひらみつど)で、斗(ます...
View Article延暦寺伝教大師入唐牒(にっとうちょう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「最澄(766または767~822)は、804年(延暦23)遺唐使に隋行し入唐(にっとう)するが、その年の秋、訳語僧(通訳)義真、行者丹福成をともない、天台山に巡礼している。このおりに、明州と台州の各役所へ旅行承認書の申請を行い、下付されたのがこの文書である。前者明州牒では、巡礼の目的・携帯する経典・衣類・侍者および出発の日時な...
View Article金剛輪寺三重塔の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
金剛輪寺は愛荘町松尾にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)寺伝では寺蔵文書に1246年(寛元4)の造立供養文があることから、この時を塔の建立としているが、様式、手法からみると室町時代前期にたてられたと推察される。その後、1520年(永正17)の修理をはじめ数度の小修理があったが、寺院の衰退にともない上方よりしだいに破損し、明治ころには三重をうしない初重と二重の軸部のみが、のこさ...
View Article玉桂寺木造阿弥陀如来像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
玉桂寺は甲賀市信楽町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)1979年(昭和54)の像修理にともない、納入品が世にあきらかにされ注目をあびた像である。像高98.6cm。頭体の主要部をヒノキ一材から彫成し、耳うしろの線で前後に割放ち、割首とする。これに両肩下および両手首、両足先を矧ぐ構造となっている。納入品がおさめられていた像内は、漆箔がほどこされていたことも注意される。納入品は、...
View Article鶏足寺乾漆十二神将立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
長浜市木之本町古橋の鶏足寺収蔵庫である己高閣に保管されています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)十二神将とつたえるが3?しか現存していない。像高87.0~91.8cm。両腕を欠失した像、右肩以下を欠失した像、左肩以下を欠失した像の3?とも、表面を布張りしたうえに木屎漆(こくそうるし)をおき、彩色してしあげている。木心は頭体幹部をヒノキ材からつくり、体部の肩から裾にかけてのかなり背面よ...
View Article草木染め手組み組みひもの概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「技術保持者として大津市逢坂1-21-5在住の太田藤三郎(明治43年6月10日生)が認定されている。組みひもは古くからもちいられ、巻物、袈裟(けさ)、礼服、刀剣、甲冑(かっちゅう)などに使用された。紅花、あかね、すおう、紫根などの草木を材料として糸を染め。三手以上の糸を数本から数十本にあわせたものを交互に斜めに組んで行う。組むのに使用する手動式の台は、内記(ない...
View Article大津絵踊の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津絵踊は10種の大津絵の画題をうたいこんだ元唄にあわせておどることから「大津絵踊」という。踊り子が3人いて、おどる時は大津絵の10種の画題から考案した10種の面を1人1面ずつ顔につけ、3人が交替でおどる。2人は3回ずつ面をとりかえ、あとの1人は4回面をとりかえておどる。ほかに唄をうたう人と三味線をひく者がいる。また替歌でおどるときはもちろん面をつけず1人でお...
View Article延暦寺嵯峨天皇宸翰光定戒牒(しんかんこうじょうかいちょう)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「最澄の弟子光定(こうじょう)(779~858)が、823年(弘仁14)4月14日比叡山の一乗止観院で菩薩戒をうけた戒牒(証明書)である。嵯峨天皇の宸筆。最澄は平安時代のはじめ比叡山上に天台仏教の根本道場を創設し、門弟の育成につとめたが、当時受戒のさいには東大寺・下野薬師寺・筑紫観音世音寺のいずれかの戒壇に出向かなければならず、...
View Article延暦寺根本中堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「最澄は788年(延暦7)比叡山寺を創建し、薬師如来をまつる仏堂と、その左右に経蔵と文殊堂をたてた。第5世座主円珍の時に3堂を1堂にまとめ、887年(仁和3)「九間四面正面孫庇(まごひさし)」の堂が完成した。その後焼失再建3回におよび、さらに1571年(元亀2)織田信長の叡山焼討ちで全焼。豊臣秀吉の援助により1584年(天正12...
View Article延暦寺金銅経箱の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「1923年(大正12)にひさしく廃絶していた横川の根本如法堂(にょほうどう)跡に、如法塔を再建するための工事が行われたときに出土発見されたものである。高さ8.3cm、縦27.1cm、横12.1㎝のもので国宝に指定されている。経箱は総高1.64mにおよぶ鋳銅装の外筒にはいっていた。このなかには円仁(えんにん)(慈覚大師)造立の木...
View Article延暦寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)天台大師像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「天台智者大師智顗(ちぎ)(538~597)は中国天台宗の開祖で、わが国においても最澄(さいちょう)とともに、天台宗の宗祖としてあおがれている。大師の遺例はかならずしも少なくないが、兵庫県一乗寺伝来の天台宗高僧像中のものをのぞけば、本図は小品ながら最もすぐれ、天台宗における大師の根本像ともいうべき画像である。斜に椅上に趺坐し、静...
View Article延暦寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)相応和尚像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
延暦寺は大津市坂本本町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「相応和尚(831~918)は、近江浅井郡の人で、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)に師事して天台の奥義(おうぎ)をきわめ、とくに秘密法は当代一といわれ、宮中にしばしばめされて、天皇や皇后の病気を加持(かじ)し、霊験(れいげん)をあらわす。また不動明王を信じ、比叡山無動寺、葛川明王院をひらいて、比叡山の代表的実践行である回峰行...
View Article円満院宸殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
円満院は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)その宸殿は1647年(正保4)、明正天皇の旧御殿をたまわったもので、明治初年には大津県庁舎につかわれたりしたが、現状は下賜されたときの姿に復原されている。桁行10間、梁間7間、一重、入母屋造(いりもやづくり)、?葺(こけらぶき)の宮廷建築で、平面は3列2行の計6室と東に唐破風(からはふ)を持つ玄関とからなっている。外廻...
View Article円満院紙本著色(しほんちゃくしょく)七難七福図の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
円満院は大津市園城寺町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)「七難七福図」は「天災の巻」「人災の巻」「福の巻」の3巻からなり、円山応拳(1733~95)によってえがかれた。「福の巻」に1768年(明和5)8月の年紀と応拳の署名があり、また「天災の巻」の序文は円満院56代の門跡、祐常(1723~73)のものであるが、それによるとこの絵巻は3年の歳月をかけて完成したことが知られる。...
View Article伊吹社および三宮修造勧進状・奉加帳の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
伊吹社は伊夫伎神社といい、米原市伊吹にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊吹社の勧進状1巻、奉加帳(公卿分・領主分・僧俗壇那分・僧俗結縁分)6巻と三宮奉加帳1巻、都合8巻からなる。いずれも1536年(天文5)5月、伊吹社修造にさいしてのものである。勧進状には、古くより美濃・近江の守護神として信仰を集めてきた伊吹神の社殿や諸伽藍が、兵乱によって枯損したため、秀円・源盛の2人の勧進沙門が...
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