『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡新旭町大字新庄字東町にあり、放光山大善寺と称し、天台真盛宗。本尊大日如来(木造坐像)は伝教大師作とつたえられ、重要文化財(藤原期)に指定されている。べつに伝恵心作観音立像があり、この像は口碑に旧弥勒寺の本尊であったが、堂塔が破壊し、安曇川の洪水のときひろいあげて大善寺におさめたという。(中略)大善寺の創立は延暦年間(782~806)で、最初熊野山の堂立山にあったのを寛平年間(889~98)に東河原村(現、大字新庄)の現在地にうつった。延暦寺の飛地境内の一区で当時は七堂伽藍がそなわっていたが、1571年(元亀2)織田信長に焼打ちされ衰退した。1578年(天正6)織田信澄が新庄城から大溝城へうつったとき、大溝城下に大善寺の別院を建立した。1582年(天正10)6月丹羽長秀は新庄、万木、三重生に26石余を寄進した。延宝年間(1673~81)火災にかかり諸堂什器はすべて焼失した。本尊はさいわい難をのがれた。(河原喜久男)」とあります。なお、高島郡新旭町大字新庄字東町は現在高島市新旭町新庄になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.460,
参考資料:
2 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.296,
参考資料:
3 近江・若狭 小学館 1991年 S-1800- 91,
参考資料:
4 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95,
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5 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ,
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6 日本名刹大事典 圭室文雄∥編 雄山閣出版 1992年 R-1859-タ,
参考資料:
7 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ,
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