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ご照会ありました件について、下記のとおり回答します。 資料①のP46~50には、粕谷藤次郎は店の名で、当主13代の本名は幸次郎であること、初代藤次郎の没年が寛保元年(1741)とのことだから、かりにそれから30年溯ったころが創業の時期とすれば、創業したのが正徳元年(1711年)あたりになるということが記載されています。...
View Article「ひとつちょうだい さくらんぼ-」で始まる山形の童謡について、下記のことを知りたい。 ・ 作詞者 ・ 作曲者 ・ いつごろつくられたか
ご照会ありました件について、下記のとおり回答します。 山形県のさくらんぼに関する文献については、当館ホームページ(http://www.lib.pref.yamagata.jp/)を開いていただき、山形県関係文献目録項目編「あ」行で「桜桃」を検索しますと、さくらんぼ栽培に関する資料を中心に文献が採録されています。さくらんぼに関する童謡や物語もこのなかに採録されています。...
View Article明治5年前後の家塾、寺子屋で使われた教科書について教えてください。
山形県の寺子屋に関する事項については、山形県立図書館ホームページ、山形県関係文献目録項目編「た」行 「寺子屋・私塾」に採録しています。使用されていた年代を特定する資料は見当たりませんでしたが、採録している資料から、資料①~⑦を紹介します。あわせて山形県関係文献目録をご覧ください。 資料①のP246~247では、江戸時代の出羽(山形県)の寺子屋で用いられた教科書について次のように述べています。...
View Article紅花の生産量について調べている。江戸期から現在に至るまでの山形県内の紅花の生産量の推移が知りたい。
ご照会ありました件について、下記のとおり回答します。 資料①のP14に、「第2表...
View Article住友銀行本店の設計図、図面があれば見たい。中之島図書館所蔵の『野口博士建築図集』は既に見たが、これらの中には支店は載っているものの、本店の図面は載っていな...
『近代建築畫譜 近畿篇』(近代建築畫譜刊行會/編 不二出版 2007.6)には本店は載っていない。 大阪府立図書館蔵書検索で、書名に「近代建築」を含む条件で検索しヒットした『大阪市近代建築物調査報告書』(大阪市 1971.2 )を見たところ、「住友ビルディング」という項目で記載があり、「参考」として雑誌『建築と社会』13輯11号があがっていた。それを見ると、平面図と構造についての詳細が記載されていた。
View Article藤井寺市歌の歌詞の1番に「たじひ野」という言葉がでてくる。「たじひ野」は、奈良期から平安期に見える河内国の郡名だということは考えられるが地名辞典や「藤井寺...
ひらがなではないが、『河内名所図会』第四巻に「丹比野」と記載されており、「すべて丹南丹北の両郡をいう」とある。 また、『大阪府の地名』Ⅱ(平凡社 1986.2)の河内国の項のp.804に丹比郡(たじひぐん)がでており、現在の行政区画は松原市・大阪狭山市の全地域と大阪市東住吉区、平野区、藤井寺市、羽曳野市・八尾市・堺市の一部にあたる。...
View Article大阪万博が開催されるにあたって、南茨木駅が設置された。その当時の南茨木周辺の開発状況を知りたい。地図以外の資料を探している。...
阪急電車関連資料、また当時発見された東奈良遺跡関連資料にいくつかの言及があった。 1.『阪急電車駅めぐり 京都線の巻 空から見た街と駅』(阪急電鉄/編、1981刊) 【引用】 「(前略) 南茨木駅は恒久的に使用するため建設され、約5千平方メートルの駅前広場もつくられ、これより後、地域の発展に大きな影響を与えることになった。南茨木の三沢地区には、阪急では初めての高層住宅を分譲した (中略)...
View Article大阪市史(附図)にある「彌左衛門町」の町名の由来について知りたい。
『大阪市史 附図』(大阪市参事会/編纂 大阪市参事会 1912.5)の〔図1〕中、堂島新地の北、桜橋南詰の西に位置する“彌左衛門町”であるとの前提で調査を行った。 ・『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 1986.2) P561(上) 「堂島弥左衛門町(現・北区堂島二丁目):...
View Article約35年前に大阪市西成区にあった大阪市電の「梅通り」という名称の停留所が位置していたのは、現在の住所でいうとどこにあたるのか知りたい。
大阪市電の路線図と当時の西成区の地図を調査したが、大阪市電の「梅通り」という停留所は見つからず。 市電ではなく、市バス停留所で「梅通」がつくものが、「梅通三」と「梅通六」の2つあり、停留所があった通りの南部は現在の「梅南1~3丁目」、北部は「旭1~3丁目」となる。 調査資料はすべて中之島図書館の所蔵資料。 1.大阪市電 ・『大阪市電-路面電車66年の記録-』(大阪市電編集委員会編 鉄道資料保存会...
View Article与謝蕪村の俳句で「狐火やいづこ河内の麦畠」(安永5年)の解釈・意味を探している。 この句は「蕪村句集 巻之上 夏之部」にあり、『蕪村俳句集』(岩波文庫...
『蕪村事典』の「発句評釈一覧」を参照して解釈・意味が載っている資料を探したところ下記1-5が該当した。 また、『蕪村事典』刊行後に出版された資料からは6を見つけることができた。 1.『蕪村句集講義 夏の部』 p121-122(『蕪村研究資料集成 作品研究6』所収) 鳴雪 碧梧桐 虚子それぞれの解釈が載っている。 2.『蕪村夢物語 夏の部』木村架空著 p132-134(『蕪村研究資料集成...
View Article以前何かの本で「明治初期に軍隊で使われていたものが民間に払い下げされ、大阪で流行したことがあった」ということを読んだ記憶があるが、書名などが不明でその本が...
探している資料と同一かはわからないが、明治期の軍からの払下げ品についての記載が見つかった資料は次のとおり。 『日本洋服沿革史』(大阪洋服商同業組合/編纂 大阪洋服商同業組合 1930) p.123~124に、西南戦争後に陸軍および警察方面の払下服を入札して買い分けた「分取屋」と言われる古服業者について記載されている。 『上方の研究 第一巻』(清文堂出版...
View Article帝釈天に対する信仰について調べている過程で、箕面市に帝釈寺という寺院があり、帝釈天を本尊としてまつっていることを知った。...
帝釈寺および帝釈天像についての説明記載が見つかった資料は、以下の通り。 (それぞれ1~2ページ程度の説明。) ・『摂津国八十八所巡礼』(摂津国八十八所霊場会/編著 朱鷺書房 1987.12) p.118-119 寺および本尊についての説明があり。また、p.222-223には行き方の地図があり。 ・『日本名所風俗図会10 大阪の巻』(森修/編、角川書店、1980.6) p.174 「摂津名所図会...
View Article次の期間に当該自治体で行われた全ての議会選挙の年月日と法的事由を知りたい。 泉佐野市 昭和22年4月30日~昭和33年5月11日 箕面市...
調査の過程でわかった選挙については以下のとおり。 選挙事由については(1)の資料にのみ記述がある。 泉佐野市、箕面市は調査対象の期間内に市町村合併があったので、合併の経緯と合併前の町村における選挙も挙げている。 [調査した資料] (1)大阪府知事・市町村長選挙結果一覧 昭和22年~59年執行(大阪府選挙管理委員会 [1984]) (2)選挙の記録 昭和34年執行 (大阪府選挙管理委員会...
View Article明治初期に東区南本町で医師として開業していた匹田修庵の履歴がわかる資料を探している。...
『浪華の魁』に掲載されていることから、明治15年前後の年代の人名録や名鑑の類を調査、 また、医師として開業していたとことから、大阪の医学に関する資料も調査した。 『船場の医者:大阪市東区医師会三十周年記念誌』(大阪市東区医師会三十周年記念誌刊行会編 1982) 「大坂府病院の創立」(p.118-120)の中に「匹田修庵」らが職員だったという記述があり。 ほかには履歴がわかる資料は見つからず。...
View Article江戸時代、石見銀山より産出された銀、銅、鉄の「銀座」「銅座」「鉄座」での取引記録についての古文書を探している。
『国史大辞典 4巻』p539-540 「銀座」の項目を調査したところ、「銀座」の事業は、基本的に次の2種類。 (1)以前から流通していた銀貨や諸国灰吹銀を買い集め、これら買灰吹銀を吹き立てて丁銀・小玉銀を鋳造する。 (2)生野や石見などの公儀銀山上納灰吹銀を預かり、この公儀灰吹銀を吹き立てて丁銀・小玉銀を鋳造する。 石見銀山の産銀に関しては(2)。...
View Article『浪花の風』(大坂町奉行に在職した久須美祐雋の随筆)の中に、江戸人の口に合わないもののひとつとして大阪のそばをあげていて「そばは・・・・風味劣れるなり・・...
『日本随筆大成 第3期 第5巻』(日本随筆大成編輯部/編 吉川弘文館 1995.8) に『浪花の風』が収録されており、質問の部分は、P396に掲載されている。...
View Article大阪府内の駅の、1日あたり乗降人数がわかる資料を探している。
●『大阪府統計年鑑 平成二十三年度』(大阪府総務部統計課/編集 大阪府総務部統計課 2012.3 ) 鉄道会社によって数値の取り方に違いはあるが、大阪府内の駅の利用状況を調べることができる。 P190:「JR各駅別乗車人員」 平成21年度、平成22年度の1日平均の乗車人員が掲載されている(降車人員はない)。 P191-194:「私鉄各駅別乗降人員」...
View Article1998年夏の高校野球大阪府予選で寝屋川高校が16強にまで進んだらしい。1回戦から敗れるまでの全試合のスコアや新聞記事を見たい。また、当時のメンバーやその...
『大阪府高等学校野球連盟史 第3巻』により、平成10(1998)年の夏の全国高等学校野球選手権大阪大会の日程を調べた。 この大会は、第80回の記念大会ということで、北大阪大会・南大阪大会に分かれて開催され、それぞれの大会の優勝校2校が甲子園に出場した。 寝屋川高校は北大阪大会に出場、2回戦から登場。関連する日程は以下の通り。 7月14日 大会開幕 7月18日 2回戦 寝屋川 7-2 茨木東...
View Article江戸時代初期の1615年(慶長20年:元和元年)から摂津大坂城主となった松平忠明(初名:清匡、官職:下総守)の花押が掲載されている書籍が見たい。
松平忠明の花押は下記資料に掲載された松平忠明の書状で見ることができる。 『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989.3) 口絵 〔道周老宛 松平忠明書状:寺田家文書〕(寺田孟氏蔵) 白黒。折紙のため花押は逆向き。「松下総守(花押)」 その他、次の資料を調査したが、掲載なし。 ・『書の日本史 第9巻...
View Article作家 織田作之助の母親がかつて勤めていた料理屋「いろは」は、現在のどのあたりにあったかを知りたい。
・『絵で見る明治商工便覧 第6巻』(ゆまに書房 1987)収載の『商工技芸浪華の魁』(明治15年7月刊行の複製)p.127に店頭図が掲載され、「料理商 荒川重蔵 いろは亭 道頓堀二ツ井戸」とあった。 大阪府立図書館 大阪文献データベースで「二ツ井戸」を検索。 ・『上方[復刻版]6』(上方郷土研究會 新和出版)...
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