お初天神について
『大阪ガイド』 (牧村 史陽/著 東京法令出版,1961.9) p.13 によれば、「露ノ天神」の俗称であり、お初天神と呼ばれるようになった由来は、近松門左衛門の曽根崎心中にもとづいているとある。 『大阪府神社史資料』(大阪府/編 大阪府,1933.3) p.61-73 『キタ : 中之島・堂島・曽根崎・梅田(風土記大阪 第2集)』 (宮本 又次/著 ミネルヴァ書房,1964.4)...
View Article大阪市が初めて空襲を受けた日と罹災状況について
大阪市に対する空襲は、昭和20年1月3日午前2時30分頃、マリアナ基地より出撃したB29による夜間空襲に始まる。そして最終は終戦前日の8月14日である。 『大阪市戦災復興誌』 (大阪市役所,1958) p.203- (大阪の戦災) では、空襲回数、日時、場所等について当時の様子が詳しく、しるされている。またあわせて当時の戦災地域図も付せられている。 同時に 『大阪市の戦災復興』...
View Article各地の猫を巡る信仰について調査しているが、先ごろ、山形県内に興味深い猫の伝承がいくつかあることを知った。そこで、次の伝承について教えてほしい。 1....
ご照会のありましたことについて、下記のとおり回答します。 1. 「簗沢の猫股」について ・ 資料① 『置賜の民俗』 に「烏川の猫また」 という題名で掲載がありました。(P92~P93) ・ 資料② 『三沢郷土誌』 でも「烏川の猫また」 という題名で掲載がありました。内容は資料①とほとんど同じです。(P485~P486) ・ 資料③ 『米沢の民話』 では「猫又の権助」...
View Article明治33年(1900)12月当時の山形県村山地方や置賜地方の気象状況を知りたい。特に天候、積雪や気温など。
ご照会ありましたことについて、当館所蔵の資料から次のとおり回答します。 ・ 資料1では、明治33年(1900) の山形測候所(山形市旅篭町字北東原611番地) での観測値として 1900年12月の月平均気温 1.5℃ (P116) 同 月降水量 109.2mm (P118) 同 月最深積雪 54cm (P120) の記載があります。 ・...
View Article菱垣廻船の名前の由来となったと言われる文書「菱垣廻船起立並問屋古来より之仕来り御尋に付御答書」が、『大阪市史』の史料編のどこに収録されているか知りたい。大...
まず、町奉行の御触れということで、次の資料を調査したがみあたらなかった。 ・『大阪市史 第四上』の、御觸及口達の文政12年部分を確認。 ・『大阪編年史 第16巻 自文化十年十月 至文政十二年十二月』 ・『大阪市史』『新修大阪市史』の史料編 ・『新修大阪市史 第3巻 近世Ⅰ』 第4章 天下の台所 第2節 近世海運の発展と市場の拡大 2.上方・江戸間海運の展開と江戸積問屋制度 p679...
View Article船場言葉の会話文が載っている資料はないか。船場生まれなので、船場言葉を録音し、記録に残したい。
1. 船場言葉の用例、会話文例が掲載されているもの ・『方言と大阪』猪飼九兵衛著 梅田書房 1948 ※衣、季節など項目ごとに、ことばと意味を掲載。用例が書かれているものもある。“まへがき”に、「古き大阪のすがた、船場や町々の方言を恋ふるのあまり、こゝに書き留めて」とあり、収録されているのは基本的に船場言葉と考えていいと思われる。...
View Article現在の大阪府にあった狭山藩の分限帳など家臣の名前等がわかる資料はないか。
1. 狭山藩について ・『大阪狭山市史要』上田宏範編 大阪狭山市役所 1988 狭山藩の機構と藩制p207 によると、狭山藩では、藩士の姓名・等級・禄高・扶持高・職務・年齢などを記す分限帳に該当するものを「御家中順席帳」という名称にしている。残存するもののうちで、最も古いものが宝暦5年(1755)、二番目に古いものが天明8年(1788)、最も新しいものが明治2(1869)年4月とある。...
View Article1.淀川大橋について書かれた資料や建設当時の写真などないか。 2.淀川の河川改修の記録が書かれた資料が見たい。
1.淀川大橋について ◆解説◆ ・『大阪の橋』松村博著 松籟社 1987 p57~59 淀川大橋 ※p58に「西成大橋と工事中の淀川大橋」の写真あり。 ・『大阪春秋 7(1)<19>』新風書房 特集:大阪の川と橋 p49 淀川大橋 ・『大阪の橋ものがたり』伊藤純[ほか]著 創元社 2010.4 p82~83 淀川大橋 ※写真もあり。 ・『阪神国道竣功記念写真帖』[大阪府編] 大阪府...
View Article堺市にある寺院「紅谷庵(べにやあん)」がいつ頃できたのかなど、沿革が知りたい。
・『堺市史 第7巻 別編』 清文堂出版 1977.10(昭和5年刊の復刻) p638-639 (一五)紅谷菴 に、沿革が書かれている。 成立については、 「紅谷菴は天王山と號し、三國ヶ丘町にあり、曹洞宗興聖寺末、寺格常恆會地である。大永中堺大小路の豪商紅屋喜平草庵を結び、牡丹花肖柏池田より來つて此處に隠栖した。爾來紅屋の庵、紅庵又は紅谷庵と呼ばれるやうになつた。」...
View Article大正から昭和はじめ頃の、戦前の船場の様子がうかがえる資料が見たい。
昔の船場の様子がわかる自伝、インタビュー記事などを紹介します。 ・『言語生活 259号』言語生活編集部 筑摩書房 1973.4 船場のことば・大阪のことば(むかしのことば4) p88~95 ※牧村史陽へのインタビュー記事 ・『船場を語る-大正末期から昭和初期の中船場-』船場昭五会編 船場昭五会 1987.6 ・『番茶しょうゆ-船場丁稚の語る四方山話』秋田収一著 ルミエ企画 1990 ※大正6年...
View Article幕末・明治初期の山形県の写真を探している。人物であれば侍・藩士が写っているもの。女性であれば髷の姿など。
当館所蔵の資料では、下記資料①~⑥に山形県の幕末・明治初期の写真が掲載されています。それぞれの掲載写真のタイトルと撮影年代、説明文は次のとおりです。 資料① 「家族で撮った天童の商家」(明治初期) 家族で写したものでは天童で最も古い。ソロバンを持つちょんまげ姿の父親が息子とともに帳簿を広げ、母親が幼子を抱いて いる。小火鉢一つにゴザ敷きの生活だった。...
View Article第二次世界大戦中の大阪空襲の際、東区で被害にあった町名を空襲の日別で知りたい。
東区が最初に空襲の被害にあったのは、3月13日ということはわかったが、罹災町名を列記した資料はみつからなかった。 以下、参考になる資料を紹介する。 (1)『大阪春秋 119号 付録』「日別空襲被害地図 焼失区域(期日別)」 ※原図は桃山学院史料室蔵。原図は、天地約107センチ、左右約76センチ。表面にタイトルはなく、裏面に「日別空襲被害地図」「焼失区域(期日別)」とある。 凡例によれば、...
View Article1959年に市制七十年記念事業として改造工事が行われた中之島公園の大噴水について、工事に至るまでの議論、竣工当時の様子などを記録した資料をさがしている。
『大阪ガイド』牧村史陽著 東京法令出版 1961 p.33に 「大噴水塔は34年7月市制70周年記念事業の1つとして復旧したもので、噴水の高さ7.5m、噴水量は毎水11.7t、工費950万円を要した。」との記述がありました。 下記の資料を調査しましたが、特に「七十周年記念事業」を個別の事業として別途、予算化している様子はありませんでした。 参考までに、公園について書かれている部分を引用しておきます。...
View Article茨木市の飛び地である小坪井の「八丁池」についての資料を探している。 吹田の山田村、三宅村関連の古文書などがないか調べてほしい。 「新修茨木市史」10巻...
事前調査資料の『新修茨木市史』第10巻の記載が最も詳しいもののようです。 以下に調査経過を記します。 1. 山田村、三宅村関連の古文書について 大阪府立図書館では、所蔵していません。 2. 図書 中之島図書館の資料で八丁池の名の出てくる資料を以下に書きました。 『郷土吹田の歴史』 吹田市市長公室市史編さん室編 吹田市役所 昭和56年 p.218-223...
View Article・大坂の天文学者である、麻田剛立門下の高橋至時の住居跡 ・間重富の住居跡 ・麻田剛立の「先事館」の跡...
下記1~3について、案内板や住居跡の碑について調査しましたが、いずれも現時点では存在しません。 1. 麻田剛立門下 高橋至時の住居 現在:大阪市中央区法円坂1~2付近 高橋至時は、大坂城京橋口定番・井上筑後守組同心であったことから、在坂中の住居は京橋組同心屋敷にあったと推定できます。 ◆『角川日本地名大辞典 DVD版』(角川学芸出版 2011.10) 上本町 うえほんまち<大阪府...
View Article大阪市淀川区にある渡辺邸の写真や図面が載っている資料をさがしている。
『大阪史蹟辞典』(三善貞司編 清文堂 1986.7) p.642 「渡辺家」によると、住所は淀川区西三国3丁目。昭和22年に大阪府古文化記念物等保存顕彰規則で重要建造物に指定されている。 大阪府立図書館蔵書検索を「大阪」「民家」「文化財」のキーワードで検索すると 『大阪府の民家 大阪府文化財調査報告書』(大阪府教育委員会)1巻-3巻にヒットした。 うち2巻によると、正式名は「渡辺マサヱ家住宅」。...
View Article明治時代に中之島にあった「自由亭」というホテル、及びその経営者についての資料をさがしている。
大阪府立図書館「大阪文献データベース」を「自由亭」のキーワードで検索すると次の文献にヒットした。 『川口居留地 1』(1988.5)p.23-26 自由亭ホテル/堀田暁生 『大阪春秋』51(1987.11) p.78-81 写真が語る自由亭ホテルと大阪ホテル/堀田暁生 この2点の資料によると、自由亭の概略は次のとおり。 明治元年 草野丈吉によって洋食屋として梅本町(現在の西区)に開業 明治14年...
View Article戦前期の中学校、実業学校、師範学校、高等女学校が行った修学旅行を調べています。貴館所蔵の 『学事年報』 明治21年~29年に修学旅行の記述はありますか。
上記 『学事年報』 を調べましたところ、次の2つの年報に修学旅行に関する記述がありました。 学校名 行先 ① 明治21年 山形懸尋常師範學校 (懸立) 県内飽海、田川地方 (資料1) ② 〃 28年 尋常師範學校 (懸立) 京都 (資料2) なお、資料1には、...
View Article大熊信行の菩提寺はどこですか。
ご照会ありました件について、下記のとおり回答します。 資料①のP28~31に、「大熊信行先生の家系」(我妻圭介著)と題する論文の掲載があり、そのなかに、「大熊家の祖先は、直江兼続の家臣団与板組の妥配頭であった。・・・越後の与板から会津、米沢と移ってきたのが大熊家である。・・・大熊家の寺は、米沢に移ってから北寺町の曹洞宗の転輪寺であったが、宝暦年間、同宗の東源寺に変った」とする記述があります。...
View Article江戸時代(幕末期)に江戸に蘭学を学びに行った県人(特に庄内出身者)の手がかりになるような資料はありますか?
ご照会ありました件について、下記のとおり回答します。 資料①のP952~953に、幕末期の江戸・長崎・大坂で蘭学を学んだ県人62名(うち庄内出身者18名)について、当時の代表的な蘭学者(杉田玄白、大槻玄沢など12名)の「門人帳」ごとに氏名、出身地が掲載されています。...
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