『大阪市史 附図』(大阪市参事会/編纂 大阪市参事会 1912.5)の〔図1〕中、堂島新地の北、桜橋南詰の西に位置する“彌左衛門町”であるとの前提で調査を行った。
・『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 1986.2)
P561(上)
「堂島弥左衛門町(現・北区堂島二丁目):
単に弥左衛門町ともいう。堂島永良(えら)町北筋の西にある。蜆川に北面し、桜橋南詰より西へ一町分。弥左衛門は塩屋と号し、この町の開発者。(後略)」
≪ 参考(由来の記述はないが、弥左衛門町について記載のあった資料) ≫
・『大坂町鑑集成 清文堂史料叢書』 有坂隆道/編 清文堂出版 1976.3
P160(宝暦6<1756>)[堂嶋]弥左衛門町:蜆川さくらばし南詰より西へ、浜内共
P198(天保13<1842>)弥左衛門丁:堂島さくら橋南詰より西
P238(明治3<1870>)弥左衛門丁[十弐番組十丁ノ内]:堂じまさくらばし南詰より西へ
・『角川日本地名大辞典 27 大阪府』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10
P816「堂島弥左衛門町」の項目。
「江戸期~明治5年の町名。江戸期は大坂三郷天満組のうち。蜆川桜橋南詰から西へ、浜ともの町(宝暦町鑑)。(後略)」
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