『国史大辞典 4巻』p539-540 「銀座」の項目を調査したところ、「銀座」の事業は、基本的に次の2種類。
(1)以前から流通していた銀貨や諸国灰吹銀を買い集め、これら買灰吹銀を吹き立てて丁銀・小玉銀を鋳造する。
(2)生野や石見などの公儀銀山上納灰吹銀を預かり、この公儀灰吹銀を吹き立てて丁銀・小玉銀を鋳造する。
石見銀山の産銀に関しては(2)。
石見銀山は公領であり、幕府の直轄の銀山なので、ここで産出された銀については吹立方入用、つまり必要経費として吹立高の一部を差引き、残余分は幕府に上納するというシステムだった。
そのため、これらの銀は幕府の蔵に上納の上、管理され、幕府が使用して初めて流通するもので、石見銀山の産銀を「銀座」や銀座役人が直接取引する(流通させる)ということはなかったのではないかと考えられる。質問にあるように、「石見銀山を含む西国地方の銀を一堂に集め、そこから全国の業者へ銀が売買されていった」という事実は資料からは考えにくいと思われる。
ただ、(1)の事業で公儀銀山以外の私領の銀山の銀については利潤として得ていたようなので、その点では、「銀座」から流通したということがあるかもしれない。
銀貨鋳造については、江戸時代初期から大黒屋常是の一族が代々独占しており、京都銀座がその始まりだが、銀の産出量の減少を受けて江戸時代の最後には、江戸銀座のみで銀貨鋳造が行われるようになる。そのため、数少ない「銀座」についての史料(つまりほぼ常是家の記録)は東京に残っている。
また、「銀座」とは一般に幕府の銀貨鋳造所のことを指すが、大坂高麗橋にあった「銀座」では銀貨は鋳造せず、生野や石見など公儀銀山の上納灰吹銀を預かり、京都銀座に回送していた取次所であり、京都銀座の出店(出張所)だった。そのため、大坂銀座についての史料はほとんど残っていない。
参考文献:
『国史大辞典 4巻』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1984.2) p539-540 「銀座」の項目等
『近世銀座の研究』(田谷博吉/著 吉川弘文館 1963)
『近世の大阪(日本経済史研究所研究叢書第17冊)』(黒羽兵治郎著 有斐閣 1943)
『大阪春秋 第16号』(新風書房 1978.2) p92-93 銀座のはじまり 大黒屋作兵衛常是(米谷修)
『日本鉱山史の研究[正]』(小葉田淳/著 岩波書店 1987)
上記の資料の内容から、現時点で銀座研究の際、根本史料とされているのは以下の史料。
いずれも国立国会図書館東京本館が所蔵。
(国立国会図書館の和古書・漢籍にチェックし、タイトル「銀座」でヒット。)
(1)『金銀座書留』
通常は『銀座書留』(ぎんざかきとめ)とされる。旧銀座座人の手控帳ほか
(2)『御用留便覧』(ごようどめびんらん)
江戸時代に銀座の銀吹所を勤めた大黒常是の御用記録
(3)『銀座掛御用留』
(1)は『銀座万覚書 上・下-京都銀座役所年寄の手帳-(書信館出版貨幣叢書11・12)』西脇 康 校訂・補編
(3)は『銀座御用留(1)-銀座掛り 葦名重次郎の手控-(書信館出版貨幣叢書2)』西脇 康 校訂・補編
として解読したものが出版されているが、近隣の大学図書館等では所蔵が確認できず。
また、(1)(2)については、『国史大辞典』でもそれぞれ一項目たてられて説明がある。
また、質問には「銅座」「鉄座」についての古文書とも書かれているが、確かに「銅座」は銀の代替物として銅を使用するために「銀座加役」としてできたもので、「銀座」では粗銅から銀を分解抽出したりもしていたようだが、「銅座」の史料では石見銀山に関わる記述はないのではと考えられる。「鉄座」にしても同様。「銅座」についての史料は、『住友史料叢書』に御用留などが収録されている。『国史大辞典』のそれぞれの項目も参考になる。
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