ひらがなではないが、『河内名所図会』第四巻に「丹比野」と記載されており、「すべて丹南丹北の両郡をいう」とある。
また、『大阪府の地名』Ⅱ(平凡社 1986.2)の河内国の項のp.804に丹比郡(たじひぐん)がでており、現在の行政区画は松原市・大阪狭山市の全地域と大阪市東住吉区、平野区、藤井寺市、羽曳野市・八尾市・堺市の一部にあたる。
同書によると「丹比郡の地は南東から南にかけての郡境に丘陵があるが、おおむね平坦な平野であるので、丹比野とよばれ」「『古事記』の履中天皇の段のはじめに出てくる」と書かれている。
『たじひのだより 松原市文化財情報誌』(松原市教育委員会地域教育振興課市史文化財保護課)No.1 p.1「はじめに」には、「大阪府のほぼ中央部に位置する松原市は、古代丹比(たじひ)"と呼ばれていました。」とある。
なお、『河内名所図会』の「丹比野」につづき紹介されている丹比神社(『河内名所図会には「たじひのじんじゃ」、『大阪府の地名』には「たじひじんじゃ」とルビがふられている)は旧美原町多治井にある。
作詞者の三上博司氏については、『藤井寺市史』通史編第二巻p.733に「市民から憲章文と市歌(作詞)を募集することになった」とあるので、一般市民の方と推察。当館に所蔵する名簿では見つからない。
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