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明治5年前後の家塾、寺子屋で使われた教科書について教えてください。

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  山形県の寺子屋に関する事項については、山形県立図書館ホームページ、山形県関係文献目録項目編「た」行 「寺子屋・私塾」に採録しています。使用されていた年代を特定する資料は見当たりませんでしたが、採録している資料から、資料①~⑦を紹介します。あわせて山形県関係文献目録をご覧ください。  資料①のP246~247では、江戸時代の出羽(山形県)の寺子屋で用いられた教科書について次のように述べています。  「読書の教科書は、庭訓往来・今川状・大學・中庸・實語教・論語・商賣往来・孟子・童子教・孝経五経が最も多く、要するに往来物・教訓物・古状等の平民的實用的教材と、四書・五経の武士的儒教的教材とが交へ用ひられて居ました。  習字の手本としては假名・手紙・名頭・村盡・国盡・数字・商賣往来・千字文・今川状・庭訓往来・和漢朗詠集・都路往来・村日記などが主なものでありました。書流は御家流が最も廣く行はれました。これは藩の祐筆の流儀でもあり、又この流儀で書かなければ願書の許可を得られない地方もあつたためでありませう。   算術は珠算で、その程度は八算・見一・加減乗除・利息算等が多く、稀には開平・開立に進んだ者もありました」  資料②のP13には、明治以前の江戸時代の寺子屋の教科書について、  「寺子屋の教科書は一般に往来物とよばれ、実用的なものが多く『いろは』の手習い、『名尽し』『名頭』『村尽し』の基本学習ののち職業に応じて『商売往来』『百姓往来』などで、それぞれの読み書きと手紙の書き方をおぼえました。庶民生活を支える家庭や世間的な道徳的教訓は『庭訓往来』『童子教』『実語教』、女子用には『女今川』等がありました。『五人組長』のような法令も利用され、西村山の白岩一揆の『白岩状』まで使われたともいわれます。算術は町人が中心で『塵劫記』が代表的です。山形では和算がさかんでした。市販のもののほか師匠の手書きの『お手本』がその地域や寺子の年令にあわせて使われました。 明治5年に学制がしかれ近代教育の制度が誕生しましたが、この前後にはすでに新しい教科書が出版され始めました」と記載されています。  資料③P30~31には、山形商業学校長だった故渡辺徳太郎氏の稿本「寺子屋物語」に記載されている幕末の山形市内私塾についての教育内容が記述されていますが、そのなかで、教科書については次のように記載されています。   「教科書は『お手本』と『読本』の2つにわかれていて、「お手本」は、片仮名いろは、源平藤橘、町尽し、村尽し、国尽し、用文章などで、習字と共に、地理、歴史、作文などの智識を授けた。「読本」は、実語教、童子教、商売往来、庭訓往来、大学、中庸、論語、孟子などで、修身、倫理から一般社会科的教養を授けたもので、「今川」又は「古状揃」などの教養書が使われた。女子には「女今川」「女庭訓」「女大学」「百人一首」などが別に教えられた。   また、農村では「商売往来」のかわりに「農家手習状」とか「百姓往来」とかがあり、職人の子弟には「番匠往来」、武家の子弟には「三字経」「近思録」「蒙求」「四書」「五経」「文撰」「史記」「左伝」などが授けられた」  資料④P7~28には、羽前(現山形県)において、県内地域のことを題材にして自作・自主編成されたもの、県内の内容に関するもので県内出版されたもの等を羽前「地域往来物」(現在の教科書)と定義し、著者が実際に収集した羽前「地域往来物」51種(これらのうちほとんどが地理類に属するものであったとのこと)について、その年代および主な特徴等を一覧表にまとめて掲載してあります。また、その中でも特に注目すべき特徴をもつものとして、「山寺状」「二乃瀧往来」「松竹往来」「三山詣文章(湯殿山詣文章)」「澤畑往来」「白岩目安」を挙げ、これらについて詳しい解説を加えています。  資料⑤P47~49は、資料④と同一の著者による「寺子屋の教科書」と題する論文で、資料④の内容を簡潔にまとめた記述内容となっています。  資料⑥P1~3には、江戸時代から明治初期に山形で使用されていた教科書は、主流はもちろん中央の江戸、そして流通経路の発達した文化都市の京都・大阪版であったが、地方版も多かったとあり、この時期に山形から出されたもののうち、貴重なものとして、江戸時代の「白岩状」と「山伏状」、明治時代の「幼学須知」、「さとのしるべ(置賜県管内地誌略)」、「酒田県下小学校用 単語篇」などがあると記しています。  「白岩状」は江戸時代の寒河江白岩で起きた百姓一揆の目安状の流布本、「山寺状」は享保11年(1726)京都で出版されたもので、この時代の山形を書いて全国的に読まれた往来物の1つ、「幼学須知」は明治6年の出版で、山形県における最初の官許教科書と推定されていることなどが記されています。  資料⑦P36~40には、白山林村(現鶴岡市)の手習所で用いられた手習本(教科書)として、地域を題材にした「白山往来」が原文のまま流麗な美文調で掲載されています。またこのほかにも「新改字林集韻」(画引の字典)や「唐詩選」などが用いられた旨記載されています。 その他、資料⑧~⑪は全国の寺子屋で使用された教科書が掲載されています。  資料⑧には、奈良女子師範学校(奈良教育大学の前身)が1930年代ころ収集した往来物(実業類・教訓・消息・地理・歴史、理学類や女子用往来等)や大和・奈良地域の地往来について記載されています。  資料⑨には、宮城県の寺子屋で使用された教材が記載されています。  資料⑩および資料⑪には、江戸幕末期における全国の寺子屋の教科目や教科書について、道府県ごとにまとめて記載されています。

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