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幕末・明治初期の山形県の写真を探している。人物であれば侍・藩士が写っているもの。女性であれば髷の姿など。

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 当館所蔵の資料では、下記資料①~⑥に山形県の幕末・明治初期の写真が掲載されています。それぞれの掲載写真のタイトルと撮影年代、説明文は次のとおりです。 資料① 「家族で撮った天童の商家」(明治初期)         家族で写したものでは天童で最も古い。ソロバンを持つちょんまげ姿の父親が息子とともに帳簿を広げ、母親が幼子を抱いて いる。小火鉢一つにゴザ敷きの生活だった。      「8歳で四書五経を素読した雲井龍雄」(明治元年)        江戸末期の漢詩人で政治改革論者。弘化元年(1844)米沢藩士の家に生まれ独学で陽明学を研究。新政府に反感を持ち明治        3年、内乱罪で刑死。      「二本差し姿の本間郡兵衛」(幕末、40歳前後)         文政5年(1822)酒田生まれの蘭学者。江戸に出て蘭学を修め、勝海舟の塾の蘭学教師も務めた。慶応4年、庄内藩に捕えられ        毒殺された。  資料② 「ちょんまげと断髪」(明治初期)          断髪した武士らしき男が刀を腰に差しキセルを持っている。床に座っているのはちょんまげ姿の商人であろうか。 資料③ 「天童藩最後の藩主織田信敏」(明治初年)          慶応4年(1868)3月、15歳で第12代藩主となる。戊辰戦争の際、奥羽鎮撫軍の先導役をつとめた。       「天童藩11代藩主の織田信学」(明治初年)          慶応4年3月、病気のため隠居し、家督を世子信敏に譲った。その後も若年の信敏を助けた。 資料④ 「ちょんまげ姿の侍」(明治初期)         山形市六日町。手に刀を持っている。明治9年に佩刀が禁じられてからは、このような侍姿はみかけられなくなった。 資料⑤ 「チョンまげ姿」(明治初期)         南陽市。角帯に着流し、右手にはたばこ入れを持つ、当時のダンディな商家の二人。 資料⑥ 「旧藩主忠篤ら鹿児島遊学」(明治3年)         旧庄内藩は西郷隆盛らと親交を深め士族体制の維持を図った。忠篤以下藩士70余名が鹿児島訪問。兵学修行に励んだ。         これは25名の集合写真。

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