大阪市に対する空襲は、昭和20年1月3日午前2時30分頃、マリアナ基地より出撃したB29による夜間空襲に始まる。そして最終は終戦前日の8月14日である。
『大阪市戦災復興誌』 (大阪市役所,1958) p.203- (大阪の戦災)
では、空襲回数、日時、場所等について当時の様子が詳しく、しるされている。またあわせて当時の戦災地域図も付せられている。
同時に
『大阪市の戦災復興』 (大阪市計画局/編 大阪市計画局,1961.10)
『昭和大阪市史 第8巻 附篇』(大阪市役所/編集 大阪市役所,1954) p.144
『昭和20年大阪市戦災概観』 (大阪市/編 大阪市,1945)
にも、その当時の事情が紹介されており参考になる。
2013.1.26情報追加
昭和20年1月3日の空襲についての報道は、昭和20年1月4日付けの新聞記事で確認できる。
「聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)」「毎索(マイサク)(毎日新聞記事)」「ヨミダス歴史館(読売新聞記事)」により大阪市立図書館の利用者用検索端末(多機能オムリス)で閲覧可。
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