事前調査資料の『新修茨木市史』第10巻の記載が最も詳しいもののようです。
以下に調査経過を記します。
1. 山田村、三宅村関連の古文書について
大阪府立図書館では、所蔵していません。
2. 図書
中之島図書館の資料で八丁池の名の出てくる資料を以下に書きました。
『郷土吹田の歴史』 吹田市市長公室市史編さん室編 吹田市役所 昭和56年
p.218-223
昭和32年、名神高速道路着工にともない、道路計画の道筋が、吹田市域では中央部を横断することになっていたので、昭和32年11月に説明会がもたれた。吹田のおもな通過地点は、八丁池北側・津志長池南側・山田の南東・釈迦ヶ池北部・山の谷・関大敷地内・榎阪大池南側・稲荷神社南側。通過地点が南北に分断されることによっておこる街路網や交差する水路に与える影響の解決方法として、測道をつくることや、地元の要望のある箇所は築堤から高架式にかえることなどで、地元と道路公団は、合意し、昭和39年に貫通工事が完成した。
また、昭和31年頃から、千里ニュータウン建設や、昭和35年頃には、土地区画整理事業に着手。(省略してまとめました)
この資料で、名神高速道路の工事が、八丁池の変化に関係することがわかりました。
『名神高速道路建設誌』総論・各論 日本道路公団 昭和41・42年 を調べましたが、吹田市の部分で八丁池についての記載は見つけられませんでした。
『新修茨木市史』第10巻 茨木市 2005
『郷土茨木』郷土誌編纂委員会編 茨木市教育委員会 昭和33年
『吹田市史』第3巻 吹田市史編さん委員会 吹田市役所 平成元年
『吹田町誌』山内平三郎編著 吹田通信社 昭和8年
『郷土吹田』吹田市学校教育研究会社会科部会編 受験研究社 昭和28年
『吹田志稿』亘節著 亘甫 昭和51年
『三島郡史蹟』山内平三郎編 三島郡史蹟研究会 昭和6年
『郷土三島』三島郡国民教育会編 盛運堂 昭和18年
『三宅村誌』山内平三郎編著 三宅村誌刊行会 昭和8年
これらの資料には、八丁池の記載はありませんでした。
3. 写真
『日本万国博覧会政府公式記録』 通商産業省企業局編 通商産業省 昭和46年
巻末ページに①会場進行状況 昭和40年10月27日現在(池の全景がある写真)②昭和43年8月11日現在(池が南側だけになった写真)④昭和45年4月2日現在(名神吹田インターチェンジの東部分に池の南側部分がある写真)前8ページ目に昭和42年8月(池の全景がある写真)、昭和44年7月(池が半分になり、周辺工事中の写真)
『大阪を翔ぶ 航空写真集』大阪新聞社 昭和57年
p.155 吹田市万国博記念公園とその周辺 1982年4月5日撮影の写真(池の南側がある写真)
『飛んで翔んで大阪 航空写真集』大阪新聞社 平成3年
p.187吹田ジャンクション 平成2年10月10日撮影の写真(池の南側部分がさらに半分くらい埋め立てられ、工事中の写真)
4. 地図
『いばらき 温かい心の通った人間都市-市政施行35周年記念』 茨木市役所市長公室広報公聴課 昭和58年
付図 吹田インターチェンジに茨木市飛地とあり、八丁池南部分の記載あり。
地形図は調査済みとのことですが、大阪府立中之島図書館所蔵の地形図について書いておきます。
1:20000八町池(M18)
1:250000
八町池(T12,S2,7,22,24,29,32,35)、八丁池(S44)、吹田インターチェンジの下になり池の半分がみえるが名前なし(S45,47,49,51)、茨木市飛地(S55,59,61)茨木市飛地(H14 池がさらに小さくなっている)
1:10000
H3 茨木市飛地 八丁池
H9 茨木市飛地 八丁池
H17 茨木市飛地 八丁池 池が小さくなり、その元池があった部分に「小坪井」と記載あり。
5.その他
『明日をひらく町:小坪井土地区画整理事業誌』(摂津市小坪井土地区画整理組合 1982)という資料が大阪市立中央図書館に所蔵されています。内容について不明なので、八丁池について全く関連がないかもしれませんが、小坪井という地名があるので、記載内容を問い合わされてはと思います。
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