まず、町奉行の御触れということで、次の資料を調査したがみあたらなかった。
・『大阪市史 第四上』の、御觸及口達の文政12年部分を確認。
・『大阪編年史 第16巻 自文化十年十月 至文政十二年十二月』
・『大阪市史』『新修大阪市史』の史料編
・『新修大阪市史 第3巻 近世Ⅰ』
第4章 天下の台所 第2節 近世海運の発展と市場の拡大
2.上方・江戸間海運の展開と江戸積問屋制度
p679 菱垣廻船の「菱垣」の由来について、『大阪市史』第五所収の『大坂番船ノ濫觴及慣行』の説明が、「文政十二年、菱垣廻船問屋側が大坂町奉行へ提出した「乍恐口上」に依拠したもの」という記述があるが、文書の内容は不明。『新修大阪市史』の史料編は刊行途中で該当の時期のものはなし。御触れではなく、町人側から町奉行に提出された文書ということがわかったが、市史には掲載されていない。
そこで、市史以外で、この文書が掲載されているものがないか調査した。
・『国史大辞典 11』p833-834 菱垣廻船
菱垣廻船の「菱垣」の由来となったとされる文書ということで、この項目の参考資料に挙げられた次の資料を確認したところ、掲載されていそうな資料がわかった。
・「菱垣廻船の菱垣について」p58-75(『海事史研究 3・4合併号』)
p58に「これは文政十二年、大坂町奉行の諮問に対して菱垣廻船問屋富田屋吉左衛門が提出した答申書によったものであるが」とあり、答申書の横に注記(2)と書かれている。
p72の(2)を見ると、「菱垣廻船起立並問屋古来より之仕来り御尋に付御答書」、『海事史料叢書』第二巻、二九五-三〇一頁 とあり、確認したところ、この資料に掲載されていた。
・『海事史料叢書 第2巻』住田正一編纂 巌松堂書店 1929 に翻刻あり。
「菱垣廻船問屋規録」
p294-301 菱垣廻船諸荷物積方之儀御尋に付御答書之控 十 が該当。
※p297
「文政十二丑年二月 菱垣廻船起立並問屋古来より之仕来り御尋に付御答書之扣 菱垣廻船仲間之内 富田屋吉左衛門」とあり。
※菱垣廻船の由来となったとされている部分は、
p298-301の「乍恐口上(恐れながら口上)」の部分とされている。
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