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現在の大阪府にあった狭山藩の分限帳など家臣の名前等がわかる資料はないか。

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1. 狭山藩について ・『大阪狭山市史要』上田宏範編 大阪狭山市役所 1988 狭山藩の機構と藩制p207 によると、狭山藩では、藩士の姓名・等級・禄高・扶持高・職務・年齢などを記す分限帳に該当するものを「御家中順席帳」という名称にしている。残存するもののうちで、最も古いものが宝暦5年(1755)、二番目に古いものが天明8年(1788)、最も新しいものが明治2(1869)年4月とある。 (1)文書目録に掲載されているもの 次の狭山藩関係文書目録のうち、支配方文書の部分を中心に確認した。 ※支配方文書以外でも、名簿と思しき名称の文書も散見されるが、割愛している。 ◆調査資料◆ S:『旧狭山藩士沢田秀雄家文書目録(大阪狭山市史編さん資料目録4)』   大阪狭山市教育委員会生涯学習部生涯学習推進課市史編さん室 1995 E:『旧狭山藩士江馬家文書目録(大阪狭山市史編さん資料目録2)』   大阪狭山市教育委員会生涯学習部生涯学習推進課市史編さん室 [1994] H:『旧狭山藩主北条家文書目録(大阪狭山市史編さん資料目録7)』   大阪狭山市教育委員会生涯学習部生涯学習推進課市史編さん室 1996   T:『旧狭山池樋役人・狭山藩医壺井家文書目録(大阪狭山市史編さん資料目録8)』   大阪狭山市教育委員会生涯学習部生涯学習推進課市史編さん室 1997 ■「御家中順席帳」ほか、分限帳に類すると思われる史料 ※アルファベットは、文書目録を指す(上記「調査資料」を参照)。その後ろに記入した番号は、目録に記載された整理番号。 天明8(1788)正.11・・・S-37「御家中順席帳」 安政2(1855)4.・・・E-93「御家中順席帳」・・・※1 安政4(1857)正月・・・E-94「御家中順席帳」 万延元年(1860)8.・・・S-38「御家中順席帳」 元治2(1865)正.・・・S-39「御家中順席帳」 慶応4(1868)正.・・・S-40「御家中順席帳」・・・※2 明治2(1869)4.・・・S-41「御家中順席帳」・・・※3 明治2(1869)12.・・・S-42 「士族順席帳」 明治3(1870)12.・・・H-114 「旧藩士人名」            H-115 「旧狭山藩士人名」            H-116 「旧狭山藩士人名」(旧狭山藩士人名及び廃藩後の所在地)            H-117 「旧狭山士人名」 年月日未詳・・・H-124 「元狭山藩俸禄并藩列帳」          T-146 「御家中順席帳」 うち、※1、※2、※3については、史料に基づいて翻刻および独自に表を作成したものが掲載されている資料がある。 ※1 S:『旧狭山藩士沢田秀雄家文書目録』p62-71 「御家中順席表」安政二乙卯年四月御家中順席表 (『江馬家文書目録』No.93御家中順席表より作成) ※2 『大阪狭山市史 第3巻 史料編 近世』大阪狭山市史編さん委員会編集 大阪狭山市役所 2010.3 付録p12-16 「2 狭山藩家臣一覧 慶応4年(1868)正月」(慶応4年の「御家中順席帳」(澤田秀雄家文書)より作成) ※3 『狭山町史 第2巻 史料編』狭山町史編纂委員会編集 狭山町役場 1966 p410-426に掲載の、No.208『〔舊狹山藩記事書類〕』澤田昌雄氏所蔵 ○明治廿九年(一八九六)  p414-423に、「舊狹山藩家中人名簿」として、明治二年四月調御家中順席人員と明治二十九年調旧藩人現在員をまとめたものが掲載されている。ただし、「明治二年ノ欄ノウチ備考ノ項中略、明治廿九年ノ欄ノウチ原籍地・住所・舊名ノ項中略」とあり、原本の内容を一部省略している。 また、※3については、他の資料にも掲載されているため、記載する。 ・上記『狭山町史』を参考に、「明治二年四月調御家中順席人員」部分のみ抽出して表にしたものが、前掲『旧狭山藩士沢田秀雄家文書目録』p52-61に掲載されている。 ・『舊狹山藩記事書類』[森權六, 植田謙八編] [森權六 : 植田謙八] [1896]   当中之島図書館で所蔵しているもの。『狭山町史』掲載のものと同じもので、刊行された原本のうちのひとつと思われる。 (2)『狭山藩誌稿』に登場するもの ・『大阪狭山市史紀要 第1号』大阪狭山市史編さん室編集 大阪狭山市教育委員会 1995.3 p82-181 別所亨「狭山藩誌稿」 凡例によると、「本史料『狭山藩誌稿』は、狭山在住の郷土史家であった故別所亨氏(昭和二十四年七月没・行年六十三歳)が昭和二十二年に記された狭山藩に関する著述である。別所氏は、昭和八年ごろから狭山藩関係古文書の複写を心掛けられ、九冊の狭山藩史料を残しておられる。原文書の存在が確認されていない今、これらの史料は、狭山藩の実体を知るために真に貴重な物で昭和四十二年刊行の『狭山町史』でも、これらの史料集及び『誌稿』から多くを得ている。今回ご遺族の別所勤氏のご好意により、『大阪狭山市史紀要』に翻刻して収めることになった。」とあり、1995年時点では、別所氏が収集した狭山藩関係の原文書のありかはすでに不明であった模様。 p84-86に、『狭山藩誌稿』の目次が掲載されているが、この『大阪狭山市史紀要 第1号』で翻刻されているのは、第一編の総説(全八章)のみで、第二編 資料編(全九輯)はない。本編の翻刻を見ると、「御家中順席表」などの資料を参考に、どんな役職があったかなどがまとめられているが、「御家中順席表」自体は掲載されていなかった。 掲載されている資料編の目次をみると、(1)の目録類で見つかった年度以外の「御家中順席表」等の名簿がいくつか見受けられる。 第二輯:安政二年及文久元年、慶応元年同三年御家中順席表 第六輯:宝暦五年家中名順 第八輯:旧狭山藩士人名 同年藩士卒禄高表 士族版籍帳(明治五年調) (1)に書かれていた安政2年(1855)以外にも、文久元年(1861)、慶応元年(1865)、慶応3年(1867)の「御家中順席表」や、名称は違うが、『大阪狭山市史要』で残存するものの中で最も古いとされていた宝暦5年(1755)の名簿も収載されている。 『狭山藩誌稿』は稿本で、この紀要以外で翻刻されている様子はない。『藩史大事典 第5巻 近畿編』狭山藩の項によると、原本は大阪狭山市立郷土資料館保管となっているが、調べてみると複製を大阪狭山市立図書館が所蔵しているようである。また、『狭山藩誌稿』の資料編と思しき『狭山藩史料』の複製も作成している模様。(大阪狭山市立郷土資料館保管分は、第7輯が欠本。図書館の複製も欠本がある。)

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