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旧甲西町(現、湖南市)の明喜(めいき)神社のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十三日(もとは一月十三日)」で、概要は「明喜神社には、左・右・中座と三座があり、そのなかから各一名、トウヤを出して、おこないをする。前日、餅つきをし、六メートル余の松にお鏡をくくりつけるほか笹餅もつくる。また左右両座は、生御膳とよばれる神饌をつくる。本日には、松をかついで、エトエトと唱えつつ村内を練り歩いたのち、本殿に供える。午後からは、各座でトウワタシのの...

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旧石部町(現、湖南市)の三聖(さんせい)神社・白山神社(はくさん)・氏子周辺の虫送りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月の月末に近い卯の日か辰の日あるいは申の日におこなう」で、概要は「イモチ送りともいうが、松明を各戸が準備して点火し、村のはずれまで害虫を追い出す。当日の夕方、三聖神社付近に集まり、神社の神の火を提灯に移し、御神酒のあと、松明に点火し、行列を組んで出発。先頭は御幣で、各戸の松明の行列が続く。ガチという当番二人が、太鼓・半鐘をたたきながらこれに続く。田のなかを通っ...

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旧石部町(現、湖南市)の愛宕(あたご)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月二十三、二十四の両日」で、概要は「愛宕まつりは、火伏せの神である京都の愛宕社から勧請してきた各町の社の祭礼である。宿場町にとって、防火という最も切なる願いのあらわれであり、旧町内で愛宕講を作って運営されている。二十二日は町内総出で愛宕社の清掃、沿道に提灯の飾りつけ、二十三日は昼から夜まで、愛宕社付近の集会所で当番を中心に町内の人が守をし、夜には出店がでて賑わ...

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旧石部町(現、湖南市)の吉御子(よしみこ)神社・吉姫(よしひめ)神社の石部祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月三十日・五月一日」で、概要は「起源は定かではなく、古くは四日中の酉の日に行われていたが、明治初め頃より五月一日になった。宵宮祭(四月三十日)には氏子の宮籠りがあり、神楽が奉奏される。例祭(五月一日)当日は午前九時から祭典が本殿であり、引き続き分霊を神輿に移して行列を整え、両神社同時に出発し、御旅所に向かう。大神輿、子供神輿は夕方まで氏子中を巡行する。」とあり...

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旧野洲町(現、野洲市)の冨波甲の常楽寺境内のはなづくりの神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月八日」で、概要は「生和(いくわ)神社祭神の藤原忠重が平安時代中期に冨波一の沢の大蛇を退治した古事にちなむ。明治時代からは場所の都合で、一の沢に一番近い常楽寺の境内を借りて勧請吊りを行っている。大蛇に見立てた太い藁作りの縄にかなめの葉を付けて、大蛇が出た道に吊り下げ、一年の無事息災を祈る行事である。なお神事講は十軒で行っている。冨波乙にも同様の神事がある。」と...

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旧中主町(現、野洲市)のマイアミ浜水泳場沖の八ヶ崎(やつがさき)神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十一月下旬から十二月上旬の吉日午前十時」で、概要は「養老二年(七一八)の祭神鎮座のありさまを再現するものといわれる。当日は、先頭役である木村家に立ち寄り、宮司とともに祭場に向かう。浜辺において修祓の後、宮司自ら湖中を沖まで進み、祝詞を奏上して祭神を迎える。なお古来から秘密神事とされており、一般の参拝者は遠慮してもらっている。」とあります。

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旧中主町(現、野洲市)の兵主(ひょうず)大社の御千度(おせんど)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月初旬の吉日」で、概要は「常緑で強い生命力を持つ椿の葉は、古来から神の依代として榊と並んで尊い木とされてきた。厳しい暑さを前に健康延命・疫病退散の意味を込めて御百度参りをするという素朴な神事である。兵主大社の境内社である乙殿神社の氏子が一同に会し、一人一人椿の小枝を手に境内を往復しながら神前に供える。同様の祭事に戸津神社(境内社)の「はだし参り」もある。」とあ...

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旧中主町(現、野洲市)の矢放(やはなち)神社のぬり山の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「春の農作業に入る前の吉日」で、概要は「境内の神池の中に神籠木を十二本植えた神山を祀っている。一月十日には「十日舞」という神事を行い「勧請吊り」をする。春の苗代準備にとりかかる前の吉日を選び、氏子総出で神山の清掃を行い、神池の底をすくった泥を塗り付けて形を整える。これが済むと氏子の人々は農事に励むと意気込んで、苗代の準備にかかるという。古来から田の神を迎える神迎え...

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旧中主町(現、野洲市)の高木(たかぎ)神社・氏子周辺の神事祭・五百母(いおや)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月七日・三月八日」で、概要は「二月七日神事祭と三月八日五百母祭とで一連の神事とされる。神事祭では男性の性器、五百母祭では女性の性器(前者は牛蒡を大豆かすで漬けたもの、後者は餅で形作ったもの)が神饌で、それらを入れた大桶を男性数人でかついで各氏子に配り歩く。それぞれの日には神事邸・五百母邸と称する「やど」が担当し、各家の長男が御幣を、一族の女児が帯と茅の輪を持ち...

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旧中主町(現、野洲市)の兵主(ひょうず)大社の節分祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「節分前の吉日」で、概要は「乾湿伺神事・豆占い。節分につきものの豆(大豆)を使って、その焦げ具合で一年十二か月の天候を予想する神事。当日にはその結果が氏子に公表できるよう、前日までの吉日を選んで宮司自ら豆をいる。」とあります。

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旧中主町(現、野洲市)の戸津(とづ)神社の神事(じんじ)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月および九月の吉日」で、概要は「神事の「やど」の家から、その家の男児と一族の女児が、それぞれ御幣と帯を持ち、それを先頭に以下神饌等を持った老人・宮衆が神社まで渡御する。神饌は、蒸し米を型で高く盛り上げた「もっそ」・豆・えび等で、祭典終了後、氏子各戸が盆を持って「おさがり」を戴きに来る。なお一月は鬼の字を弓で射る神事、九月には相撲の神事を行う。」とあります。

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栗東市の三輪(みわ)神社・当番家の鰌(どじょう)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月十日」で、概要は「東西に分かれた当番村で鰌鮨の神饌調理が行われる。鰌鮨づくりは、前年から用意し始め、八日の口明けには、ココロミといって神社で試食する。そして再度当番家に戻り本格的な神饌づくりにはいる。組立ては古式にのっとり、御膳と漬物御膳の二種類が仕立てられる。準備が終わると竈払いの儀式があり、次いで三輪神社へお渡りする。鰌鮨などが神前に供えられ、祭典が行わ...

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栗東市の出庭(でば)神社・当番宅の餅搗(もちつき)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月一日」で、概要は「田植えを前にして、作物の豊饒を祈念するために行われる祭礼。年寄組(五十~六十歳)と若衆組(三十~四十歳)が神事講をつくり、各一年交替で渡し番をつとめる。四月二十二日の口明けの儀、二十九日の米研ぎの儀を終え、三十日に御鏡餅の儀(餅搗き)が行われる。四臼めが搗き終わる頃に当主が謡曲千秋楽をうたい、四組の鏡餅が仕上げられる。五月一日には鏡餅が神社...

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栗東市の白山(はくさん)神社および村の入口のおこないの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「旧暦二月一日から」で、概要は「五日の早朝(午前五時ごろ)、白山神社の中に供えられている蛇縄を出す。蛇縄は、太さ三十センチ、長さ四メートルぐらいの注連縄で、弓を一本と矢十二本(閏年は十三本)とシキミ十二~三本、キツネのタスキで飾る。蛇縄を吊るのは、三人のトーヤで、人が通らない内に白山神社より下げて、村の入口に吊るのがならわしである。」とあります。

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守山市の八幡(はちまん)神社・天満宮(てんまんぐう)・大日堂の勧請吊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十一日」で、概要は「当日は氏子各戸より男子(主に世帯主)が出て、字内の大日堂の中で二本の大きな注連縄(勧請縄)を作る。一本を八幡神社に、一本を天満宮に吊るすが、古くは村のはずれにも一本ずつ吊るしていた。注連縄中央には竹で編んだ「目」を付け、二匹の蛇の交合の姿を模しているという。一般的な注連縄の持つ意味の他に、秋の豊作を祈って氏子全員が共同作業で行っている。」...

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草津市の伊砂砂(いささ)神社の講踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月十三日午後八時」で、概要は「室町時代の亥年、早魃で稲作に困窮し、氏神に雨乞い祈願をした結果、降雨豊作に恵まれた御礼に始まったと伝える。軍配を持つ新発意(しんぼち)二 人と太鼓打ち二人が、団扇をもって踊る中踊りと外踊りの二重の円陣の間を踊りながら廻る。いずれも花笠を頭につける。」とあります。

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草津市の立木(たちき)神社末社若宮八幡宮のさんやれ踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月二日から三日まで」で、概要は「立木神社祭神が鹿に乗り西征のおり、矢倉地区に先住していた人々が神をお迎えするにあたり、踊りを以って迎えたのが始まりという。神輿渡御の祭、先導を司り、稚児(当番宿の男児)が先頭となり、太鼓・鉦・ささらを持った男児数名が続き、次に音頭取り(唄方)の青年が続く。なお二日夕方にはささらに替り、笹の葉をもって踊る。これに参加する者はすべて...

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草津市の惣社(そうしゃ)神社の風神(ふうじん)踊りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十四日」で、概要は「午前十二時、祭典斎行ののち、踊子・笛三名・鉦鼓二名・鼓?一名・太鼓?二名・太鼓浮二名・踊子多数によって宮入りをする。そのあと、「サンヤーレ」のかけ声とともに、太鼓?のとびつき打ちの所作を含む風神踊りが奉納される。なお、享保年間の年中行事帳によれば、祭礼は四月最初の戌の日におこなわれていたことが知られる。」とあります。

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草津市の老杉(おいすぎ)神社・神事元のえとえと祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十日午前中、十二日から十四日終日(十四日は午前三時から)、十五日午前六時から正午」で、概要は「農耕と祭神速素盞命に係わり、五穀豊饒、厄除家内安全を祈願して行われる。八宮座あり、輪番で当番宮座が神事奉仕する。十日は内清め(神事元宅で修祓)。十二日は道具揃えと蛇縄縫い。十三・四日は古式神饌調理。十五日は午前六時に神饌持参のうえ社参し、神饌献持。十時にえとえと祭り...

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大津市の長等(ながら)神社末社馬神(うまかみ)神社のまつりの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十月十七日午前十時」で、概要は「縁起によると寛永期(一六二四~四三)に疫病が流行し、多くの牛馬が病死したため、吉田神社から当地に神を勧請し、疫病退散の祈?をした事に始まるという。馬の安全を祈願し、馬小屋の護符や「大津東町馬神」と染め抜いた馬の腹掛は有名である。棟札には多くの寄進者が記されている。」とあります。

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