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旧野州町(現、野洲市)の野蔵(のくら)神社当家宅の午王祝(ごいわい)の神事(じんじ)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十二月最後の日曜日から一月五日まで」で、概要は「御神事ともいう。野蔵(のくら)神社氏子の相続披露と子孫繁栄の儀式で、当人にとって一生一代の盛儀。起源は室町以前。不浄を避けて社参を続け、精進潔斎の一年を送った当家は、一月五日早朝に行列を組んで、「御祝い唄」もにぎにぎしく社参する。神前で氏子ともども氏神の宝印を額に頂き、神の加護と弥栄を祈る。この時奉納される御供(荷...

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旧愛東町(現、東近江市)の北野(きたの)神社の田植え祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月七日午前〇時から二時まで」で、概要は「稲田に擬した夏ハゼの幹三十センチばかりのもの十二本を年末に準備しておく。そして鳥居のもとに田に擬した土の方体二つを準備する。当日、奉仕者である社守・禰宜・社守の長男は、夏ハゼの幹を神前に供える。社守は祝詞を奏上する。次に長男を中継として夏ハゼを一本ずつ、禰宜に渡す。禰宜はこれを土に刺し、東西六本ずつを植え終える。」とあり...

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旧五個荘町(現、東近江市)の大城(おおぎ)神社の春祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十四日」で、概要は「神輿とともに、稚児の乗った輿が奉齣される。氏子の装束は、山高帽に着物・股引をはき、裾をからげた簡便なもの。これに革靴をはく。総代など役員は山高帽・紋付・袴・皮靴である。この装束は金堂のほか、塚本・八日市市建部の日吉神社の祭礼にもみられる。」とあります。なお、八日市市は現在東近江市になっています。

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旧五個荘町(現、東近江市)の五箇(ごか)神社の春祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十五日」で、概要は「正午すぎ、若衆が鳥居の下に集まり、手をつないで結界をする。直後、かき手の連中が結界を破り、境内にある神輿倉から神輿を舁ぎ出す。そのあと稚児行列が続き、御旅所まで行き、神子の鈴舞いが奉納される。その日、曳山も登場するが、唐破風付きの屋根をもつ舞台のある長浜型のもので、明治中期までは、子供歌舞伎を上演していた。」とあります。

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旧五個荘町(現、東近江市)の奥村(おくむら)神社・苗村神社・氏子周辺の大提灯渡御(おおちょうちんとぎょ)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十三日から十四日まで」で、概要は「祭礼の渡御には、神輿ではなく大提灯が使われるのが特徴である。高さ三メートル、直径二・五メートル、重さ五十六キロという巨大な提灯である。蝋燭も長さ七十センチ、直径十五センチ、重さ十二キロある。当日は午後七時から若衆八名にかつがれ、鉦・太鼓の囃しとともに出発し、二キロ程離れた苗村神社まで渡御をする。」とあります。

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旧永源寺町(現、東近江市)の九居瀬八幡(くいぜはちまん)神社のきょうずえ神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十一月二十三日」で、概要は「氏神に奉仕している者の長男が、十八歳に成長した時、餅米を蒸して皿に盛り、杉の箸(長さ三十センチ、太さ約二センチ)を付けて、祝福する神事である。」とあります。

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竜王町の苗村(なむら)神社・氏子周辺の苗村祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十日」で、概要は「当社は古来から近郷三十三郷の総社とされ、祭礼には九座の宮座をもち、七日前から始められる。頭人は日参し、精進潔斎に入り宵宮の神事を終える。祭礼当日には、三基の神輿と共に各頭人が白丁姿にて乗馬し、供人多数が古式の服装を整えて行列を組む。俗に、苗村祭りとも呼ばれている。」とあります。

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日野町熊野の熊野(くまの)神社・出世神社の御滝(おたき)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月八日午前十一時から」で、概要は「紀州熊野を倣い、当山一帯を修験場の修業霊場とした頃、修業を終え御滝で禊をして俗世へ出生する意味の祭りとも解されている。この日、熊野神社で祭典の間、御滝に祀る祠の御扉を開けに行くところから、神聖な御滝を熊野神社の御神体として祀る祭りともいわれている。」とあります。なお、文中の「修験場」は「修験道」の誤植と思われます。

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日野町原の野神社の野神(のがみ)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月三十一日」で、概要は「鼻面(はなづら)石と呼ばれる穴のあいた石塊に藤蔓を通し、これを牛に見立てて野神社に祀る。参拝者に白米をすりつぶして作った餅が配られ、飼牛のある家はこれを牛に与える。また子供の奉納相撲も行われる。」とあります。

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日野町木津の野神(のがみ)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月二十日(二十日に近い日曜日)」で、概要は「米粉を用い、丸盆に鳥居、米俵をはじめ、人形や風景等のお供えを作り、お旅と称して上組下組が別々の参詣道を太鼓を打ち鳴らしながら野神さんへ参集する。お供物を献じた後、タテと呼ばれる卒塔婆の形をした板で打ち合いをして吉凶を占うという、予祝の祭りである。」とあります。

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日野町の大屋(おおや)神社の茅(ち)の輪神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月三十一日」で、概要は「夏越しの祓に行う神事で、人形をはさんだ十二本の串が刺された茅の輪を地面に置き、神主を始め、氏子たちがその中に入り、「三座めでたい」と唱えて、皆で茅の輪を持ち上げてくぐり抜ける。これを三回繰り返し行う。三座とは旧宮座の名称で、木村座・新村座・佐々木座をいう。」とあります。

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日野町の長寸(ながき)神社・大家(おおや)神社の春祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十七日」で、沿革は「長寸神社で祭典を終えると、大屋神社まで大幣を立てて渡御し、祭典後、二柱の大幣にて再び長寸神社へ渡御し盃を交す。その後両神社の道半ばにて、各々還御する。長寸大神が大屋大神を迎え、もてなして送る祭りといわれている。明和(一七六四~七一)年間の頃までは、二社の神輿によって渡御が行われたと伝えられる。」とあります。

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日野町の馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の御田植え祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月二十五日午後二時」で、沿革は「雌雄の松の小枝各五十本ずつを早苗に、拝殿を水田に見立てて、その年の吉方から雄松を右回り、雌松を左回りに植える神事。この松の小枝を一対、田の水口に立てておくと、その年は水に困ることなく豊作になると伝えられている。」とあります。

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日野町の芦谷(あしや)神社の山口(やまぐち)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月二日」で、沿革は「新藁で二本の縄を作り、二か所の山の神の神木に張り渡し、松で作った男型、ネムの木で作った女型の人形、ムツギの木で作った箸、切餅を両方の山の神に供える。大松明を燃やし、鳥を呼び煙をくぐらせると祭典が始まる。神木に張り渡された太い縄へ栗の木で作ったカギを引っ掛け、神主の祝詞に合わせて、祝いの言葉を唱えながらカギ引きを行う。」とあります。

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旧蒲生町(現、東近江市)の玉緒(たまお)神社の秋祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月十五日」で、沿革は「近くの玉尾山に祀られていた琴平宮の下山・鎮座を記念し、奉納相撲が行われたのが起源である。現在では、当番氏子約三十名で、朝から土俵を作り、神事の後、午後から子供相撲を奉納している。三人抜き、五人抜きと賞品は豊富で、盛大に執り行われる。」とあります。

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旧安土町(現、近江八幡市)の奥石(おいそ)神社の管絃渡御(かんげんとぎょ)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月五日から六日まで」で、沿革は「管絃渡御は神幸祭の後、行列を整え鐘・太鼓の次に神旗の列が続き、長生を始め崇敬会長・宮司・神職・巫女と続く。さらに神輿の渡御があり、御旅所にて祭典の後、再び行列を組んで本宮に帰還する。神輿は、応永三十年(一四二三)製作であることから推して、祭礼の古さを思わせる。」とあります。

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旧安土町(現、近江八幡市)の熊野(くまの)神社の夜宮・本祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月四日から五日まで」で、沿革は「寛永四年(一六二七)三月から始められたと伝える。古くは毎年四月二十二・二十三日に行われていたが、明治四十年から現行の日となる。宵宮は午後八時から大松明三本の献火と大太鼓の渡御、本祭は午後二時から大太鼓の渡御が執り行われる。」とあります。

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旧安土町(現、近江八幡市)の活津彦根(いくつひこね)神社の花の四月祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月三日から五日まで」で、沿革は「織田信長の安土城以来のものという。径三尺の締太鼓を背から前に下げ、鐘に合わせて手を振りながら踊る。そして当年元服者(数え年十七歳)が、朝管絃の時に御殿舞いと称して、成人したことを産土神に奉納する。さらに拝殿内には七社の神輿が集合し、宵宮本祭と神幸がくりひろげられる。」とあります。

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彦根市の近々木(ささき)神社の納涼祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月第二日曜日夜」で、概要は「起源は古いが詳しくは不明。昭和三十一年から再興された。近郷の田の虫除けとも降雨祈願のためとも伝えられている。当日は式典後、夜に火を焚き、その回りを幌を着けた近郷の有志が躍る。幌踊りともいう。」とあります。

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彦根市の荒神山頂・山麓遥拝所の水無月(みなづき)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「六月二十九日から三十日まで」で、概要は「天智天皇の時代、本社が犬上・愛知・蒲生・神崎四郡の祓殿と称した頃、毎年六月晦日に大祓会を催したのが始まりという。現在でも、祭りには茅の輪を設けるところから、夏越しの祓いが、そのまま荒神山(こうじんやま)神社の大祭となったと思われる。当日の行事としては、本社が火の神を祀るところから、満三歳までの幼児を対象とする神楽の奉納があ...

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